愛について4







 慌てふためいて、取り繕おうとしたとき、カカシが嫌そうに。

「あー、あれさ、一応解決したみたいなんだけど、なんか俺のこと鬼みたいに怖がっててさ、失礼しちゃうよ全く。ゲンマや紅も気をつけたほうがいいよ。中忍君だったんだけど、めちゃめちゃ怖がられた」
「私はお隣さんは一般人だけど、怖がられたこと無いわ。あんたの人望じゃない? それか、ものすごい噂が流れてるか。うん、ありえるわね」
「あー、やっぱりそっちが原因でしたか。俺は上忍じゃないですけどありませんねえ、隣の奴は中忍ですが、仲良くやってますよ」
「え? 嘘。俺なんて、説得の途中で逃げられたよ」
「…それはアンタが脅してたからでしょうが」
「だから脅してなんかないって」
「最初の一歩と第一印象って大事らしいですよ」

 三人の言い合いが、イルカの耳を通り過ぎていく。
 聞こえた単語の、脅すだの怖がるだの、中忍がどうとか。

「それはなにゲンマ、俺が悪いってこと?」
「いやまあ一般論ってやつでね」
「すぐそうやって逃げるよね」
「まあ当たってるから良いじゃない。それで結局、説得とやらはうまくいったわけ」
「…なんか引っかかるけど、うん、多分。この間も大家さんに会ったけど、とくに何も言われなかったし、両隣さんともども、上手くいったみたい。良かったよ」
「そう、上手くいっちゃったんだ。まあでもイルカには本当に良かったわよね。イルカも迷惑よねえ、こんな迷惑な上忍が家に居ついちゃったら」

 話の矛先が、いきなりイルカに向いて、ビクッとした。
 内心の冷や汗を乾かす暇も無く、挙動不審になる。
 猛烈な恥ずかしさが顔を染める。

「い、いえ、はい、その、良かったです。すいません」
「? どうしたの。どっちのなの? 顔も赤いし」
「ええと、全然迷惑じゃないというか大丈夫というか」
「イルカさん? 具合が悪いんじゃ…」
「大丈夫ですっ、まったく問題ありませんっ」

 カカシの顔が見れずに、額に手が伸びてきたからとっさに避けてしまった。
 木陰を作ってくれている木の幹に、背中を貼りつけた。
 いま触られれば、さらに赤面しそうだ。

 だが、カカシはイルカの内心を勘違いしたようで、少し傷付いたように目を伏せた。ごめんね、と呟く。
 それに更に焦ってしまい、イルカがそんなに焦る理由も分からない紅とゲンマを気にする余裕も無く、一人でオロオロしていると助け舟がやってきた。

「おーい、てめえらこんなあっちぃ中でなに集まってやがる」

 煙草をふかしながらいつもの格好だ。

「アスマさん」

 ホッとした。
 別にアスマが今のイルカを助けてくれるわけではないが、話題が他に移れば助かるという姑息な考えだ。
 自分がとんでもない勘違いをしていたということがカカシにばれなければいいのだ。
 だが、すぐに後悔した。

「お、イルカじゃねえか。帰ってきてたのか。カカシの子守も大変だったろ、お疲れさん」
「―――あ?」

 イルカが甘かった。
 アスマの軽口に、今日の今ばかりは、カカシも流しきれずに、胡乱な声を上げて荒んだ目を向けた。

「うぉっ、カカシ、なんだその顔。鬼瓦みてえだぞ」
「…五月蝿い。俺がどんなことしようがどんな顔しようがどこに行こうが、俺の勝手でしょ」
「そらそうだけどよ。…なんだあ?」

 戸惑ったアスマの目が紅やゲンマに行くが、どちらも肩を竦めるだけ。
 紅のほうは、少しばかり申し訳なさそうにしていたが、まさかイルカが
『中忍が上忍を怖がるのはカカシ限定らしいが、上忍が家に来て迷惑かといわれて大丈夫ですと答えた後にイルカがカカシの手を避けた』
 という、たったそれだけのことで下降気味だったカカシの機嫌が、一気に最底辺まで落ちたと、逐一報告できるわけがなかった。

「いいでしょどうでも。イルカさん、怪我人なんだしもう帰るよ。ったく、あっついなら北国でも行って白クマにでもなってろこのクマヒゲが」
「……一気に口が悪くなったわね」
「白クマになれって言われたのは初めてだぜ」
「それはいいんですが、イルカが目ぇ丸くしてますよ、カカシさん」

 え!? とカカシがイルカを振り返る。
 一転して焦った様子で覗き込んでくるが、イルカは驚きつつも納得していた。
 先ほどからのやりとりでどうも不思議な感覚があると思ったら、カカシが意外と毒舌でそっけない話し方だったからだ。
 自分との話し方とは大きく違っていて、驚いていたが、同じ任務につくことも多い面子だ。
 同じ里の仲間であり、友人でもあるのだろう。
 カカシの一面を新しく知れて嬉しく、同時に少し寂しいものだ。

「これはこいつらが酷いこというからだからね、いつもはこんなこと言わないからね」
「おっと、ウソ発見機が作動したぜ。俺のヒゲがビンビンだ」
「アスマの髭っていつからそんな機能が付いたの、気をつけなくちゃ」
「芸が増えますね、アスマさん」
「ちょっとまて、なんで気をつけるんだよ、おい紅」
「ふふふ」
「―――あんたら、五月蝿い」

 取り繕う端から周囲の茶々によって崩されていくようで、カカシが、イルカに向けていた目とはまったく違う鋭い視線を三人に向ける。
 イルカは思わず笑ってしまった。
 どんなカカシでも、カカシがカカシである限り、嬉しいし好きだ。

「カカシさん、俺に気を使わないで下さい。俺、邪魔なら先に一人で帰ってますから」
「え―――、いやいや、なんでですか、俺も一緒に帰りますって、どこをどう聞いたらそんな流れになるの」
「いえ、俺が居ると何かと邪魔かと思ったんですが」
「邪魔じゃないって、こいつらが邪魔者なんですって!」
「…そんなこと、思ってもいないのに仰ることじゃありませんよ」
「いや心底思ってるから、てかホントに火影様の一筆思い出してくださいって」

 一筆、と言われて、カカシが小脇に抱えている巻きを見た。
 中身の筆書きはもちろん覚えている、相互理解、だ。
 火影がなにを感じて、掛け物にはそうそう無いだろうこの言葉を選んだのかは分からないが、確かに自分とカカシには理解が足りていない。
 今回のことでも重々身に滲みた。

「…じゃあ、俺はここに居ても良いんですか?」
「当たり前ですよ、居てもらわないと困るんだから!」

 あからさまにホッとした様子に、イルカも、カカシの言葉が本音だと思う。
 だが、イルカに気を使ってカカシが喋っているのなら、窮屈に感じさせてしまうだろうしやっぱり嫌だな、と思いながら、視線を周囲の三人に流してみた。
 なぜか―――三人とも口や腹を押さえて、小刻みに揺れていた。
 笑っている。
 それも腹を抱えて。
 声も無く抱腹絶倒というやつだ。

「…あの?」
「ちょ、あんたらナニ笑ってるわけ、しっつれいだよ。いいよ、イルカさん、もう帰ろ。疲れたでしょ」
「え? まだ大丈夫ですが…」

 手を取られて問答無用で引っ張られた。
 まだ三人は腹を抱えて笑っている。
 そんなに面白いやりとりをしただろうか。
 首を傾げつつ引っ張られたものだから、少したたらを踏んで、ちょっと待って下さいと言おうとした瞬間。


「―――ひっどいんじゃない!?」


 いきなりだった。
 ぼふんと煙がカカシの眼前に立ち昇って、煙のもやから出てきたのは、当たり前のようにアンコだった。

「なーんでアンタはイルカだけ抱えて逃げるかな! アタシも逃がせよ! おかげでみっちり絞られたじゃん!!」

 弾丸のような罵声だ。
 イルカにすればもう首を縮めてしまうような勢いなのに、カカシはしれっとしたものだ。

「当たり前でしょ? あれはアンタが火影様の部屋の前なのに大声だしてたから。自業自得。俺とイルカさんは関係ないから失礼しただけー。なんか問題ある?」
「あるよ! アタシにも教えろ!」
「何を?」
「危険を!」
「やだよ、面倒くさい」

 一瞬のうちにアンコの言い分が却下された。
 アンコもアンコだが、カカシの態度もどうかと思ってしまった。

「このケチすけ! そーいうこと言う奴には、三代目からもらった饅頭、分けてあげないからね! ふふん、紅白のって意外と餡が上等で美味しいのよね〜」

 アンコが取り出した小ぶりの饅頭は、さきほどカカシが買ってきて火影が無体にも投げていたものだ。
 分けてあげない、と言いつつも、最初からアンコは誰にも分けるつもりがないようで、一人でさっさとひとつを取り出して、底辺の薄い竹皮を剥いでかぶりついている。
 一口でひとつがなくなった。
 火影が問題にしていたように饅頭が紅白であるのは、中身が上等であれば問題にしないようだ。

「にしても、ホンット無事でよかったよねえ、イルカ」
「は、あ、ありがとうございます」
「大怪我で黒胡麻肉団子がイッコだったら、あんたが死んだらどうなるんだって話よねー」

 瞬間、カカシの周囲の空気が止まった気がした。
 イルカにしても、あれだけカカシから念押しされていた事柄であったから、アンコがあっさりと逆撫でしたことに慌てた。

「ア、アンコさん、それは…」
「…みんなも饅頭食いたいよねえ、お前ばっか食ってないでさあ」

 イルカにはまったく見えない素早さで、カカシの手が動いたようだった。
 風がそよいだかな、と思わせる一秒のあと、イルカを初め紅とゲンマとアスマの手の中に、饅頭がひとつづつ。
 アンコが、あー! と叫ぶ。

「なにすんのよ! あたしの饅頭!」
「あんたのじゃないの。正確にいえば火影様の。買ったのは俺」
「もらったのはあたしだから、あたしんだ!」
「あーもー。イルカさん、帰ろう。ここでこいつらに遊ばれてるヒマはないんだから」

 うんざりした、と顔にあからさまに出してカカシがイルカの手を引く。
 だがイルカにとっては上官にもあたる顔ぶれだ。
 そんな失礼をしてはいけない、という躊躇いが生じる。
 それが顔にありありと出たのだろうが、カカシはむしろ眉を吊り上げて、

「あなたは怪我人、分かってる? 安静にしとかないといけないんだよ、―――分かってるよね?」
「う……、は、はい」

 迫力をこめた声音でいうものだから、しょうがなく返事をした。
 周囲では、アンコを筆頭にヤジが飛ぶ。暑いだの過保護だの言いたい放題だ。

「じゃあ、あの、失礼します」
「噂は消しとくように」

 ビシッとカカシが言った。

「なんでそんな面倒臭ぇことしなきゃならねえんだよ」
「消すのは無理ねえ」
「まあ七十五日っていいますが」
「諦めなさいよ!」

 四者四様のようで、言っていることはさして変わりない返事が飛んできた。
 カカシも分かっていたのか返事など聞いていませんというふうにイルカを促す。

 さて帰ろうかと、遠くを見れば、見えたのが大柄な黒いコートの強面。
 イビキだ。
 体の中心あたりになぜか白いものが見える。
 まだ遠くにいるイビキをアンコが大声で呼び、なぜかがっしりとイルカの腕が、満面の笑みのアンコにつかまれた。

「もうちょっと居なさいよ!」

 カカシが天を仰ぎ、イルカは笑った。
 他の三人もそれぞれ言いたい放題言いながらも、大いに笑っていたようだ。
 イビキが持っていたのは兎で、このあいだ手懐けたところだと自慢げに話していた。兎はちょっと暑そうにぐったりしていたが、人懐こい仕草でイルカたちを和ませた。

 やがて夏の木陰に、知った顔につられて人が集まり、暑いといいながらも談笑していく。
 ある者はカカシをからかい、ある者はイルカを見聞していった。
 興味津々だといった風に二十歳前後の者たちや、幼さの抜けきらないくの一も来ては去っていった。
 穏やかな夏の午後。
 カカシが何度帰ろうと促しても、人の話がそれを引きとめ、陽がそのうち傾き夕暮れになるころまで、その人の輪がなくなることはなかった。




2007.05.23