愛について4
さすがにカカシも腕から降ろしてくれ、イルカは不可解ながらも姿勢を正す。
カカシが扉を叩いて、すぐに扉が開いた。
「失礼します、はたけカカシ、任務報告に参りました」
部屋のなかで大きな筆を使って、床に広げた巻物に書き物をしてる火影が見えた。
うむ、といいながらも、書き物に集中しているようだ。
イルカは邪魔にならないように、失礼しますと小声になりすぎないように言い、カカシの後ろに付く。
「で、どうじゃった。首尾はどうかの」
「あー、まあ心配したとおりでした。詳しくは報告書が上がってくると思うので、そちらをどうぞ。酷いもんでした。あ、それと俺のほうの報告書と饅頭、これです」
カカシが背負っていたイルカの荷物の中から、一方が長い四角い箱と書類を取り出して火影の机の上においた。
「忘れておらんかったか、重畳重畳―――ん、イルカではないか。どうした、何ぞ用か」
会話をしながら筆を置いて、向き直った火影が、カカシの後ろのイルカに気づいた。
用を問われて、やっぱり、と思う。
慌てて辞意を告げようとして口を開きかけた。
それに被さるように、のんびりとしたカカシの声が言う。
「いやですね、火影様。一緒に来いって仰ったじゃないですか、任務が終わったら」
「なんのことじゃ」
「二人揃って挨拶来いって。だからこの人、怪我してるのに連れてきたんですよ。もういいですか?」
そのときの火影の顔は見ものだった、と後になってイルカは思いだした。
実際には、その瞬間、冷や汗がどっと噴き出て、火影の顔を面白がっている余裕などなかったのだが。
あんぐりと口を開けて、放心した数秒後に、火影は顔を真っ赤にして、怒鳴った。
「ば―――ばっかもん!! イルカは男じゃろう! お主、なんぞ間違えておらんか!」
「え? 間違えてませんって。一緒に住んでますし」
「な、なにぃ!?」
じわりじわりと嫌な悪寒が背筋を這い上がって、イルカは我慢できずに会話に割り込んだ。
「あのっ、申し訳ありません。俺には一体なんの話しか全く分からないのですが、どういうことなのでしょうか? 何か、俺が来ることで失礼をしましたでしょうか。それならばすぐに失礼いたします」
火影は虚を突かれたようで、言葉は水を掛けたように静まった。
「む―――いや、それはかまわんが―――」
火影とは、幼いころからよく面倒を見てもらった。
イルカにとって、里の長であるとともに、口には出さねど祖父のようにも感じている。
その火影がめったにないほど顔を真っ赤にして怒鳴っているわけだから、心配になるのは当然だ。
たとえ火影といえど、ひとしなみに高血圧ということもあろうし。
イルカの心をこめていった言葉は、火影に通じたようで、ひとまずぐっと言葉を飲み込んだ火影は、背丈ほどもある筆を壁にたてかけた。そしてどっしりとした机に相応しい、幅広の椅子に腰掛ける。
煙管を手に取り、紫煙が立ち昇った。
カカシもあえて口火を切ることも無く、佇んでいる。
居心地の悪い沈黙が束の間降り、イルカがやはり退室しようかと思い始めたころに、重苦しい声が響いた。
「―――イルカよ」
「は、はい」
「随分と前からカカシとは懇意にしとるそうじゃの?」
咄嗟に傍らをかえりみたが、カカシはそ知らぬ風で火影を見ている。
どんな話を火影としたのだろう。
先ほどの受付の同僚のことといい、知らぬ間に話題にされているようだ。
気が悪いなどとはいわないが、気になる。
「…はい、はたけ上忍には大変お世話になっております」
「ふむ、はたけ、とな。ほほぅ―――」
「イルカさん、いつもの呼び方でいいですよ。火影様、もういいですか。イルカさんに変なこと言わないで下さいよ」
「黙らっしゃい。お主、察するところ、イルカになぁんも言うて来とらんな?」
「……」
沈黙したカカシ。
火影が紫煙を吐き出す。
「あの…三代目…? 一体、どういう…」
「イルカよ」
「はい」
「お主、今回、任務によって怪我をしたそうじゃが、見たところ無事に帰ってこれたようでワシは嬉しいぞ。それでどうかの、この男は役に立ったかの」
問われた意味を考えて、少し間が空いた。
どうして怪我とカカシの関係を、火影が気にするのだろう。
カカシを見ても視線もくれず、質問の意図を教えてくれそうにない。
真剣に考えて、任務規定のことを思い出し、カカシの不利にならないようにと答えた。
「はい。はたけ上忍は任務の途中にも関わらず、混乱をきたしていた現場に留まり、補助いただきました。はたけ上忍がいらっしゃらなければ怪我人も…」
どうだろう。
カカシが居たから怪我人が増えたともいえる。
実際、虫の息の男が一人に、重症患者が二人になったわけだし。
ただイルカは確実に安全に帰ってこれた。
それだけは確かだ。
「怪我人も、助かったのだと考えます。はたけ上忍には大変助けていただきました」
「ふむ…なるほどの。任務の途中にも関わらず、か。カカシ」
「はい、なんでしょ」
「今回の任務、どうやって受けたかもイルカに言うておらんのか」
「はあ…まあその、さすがにちょっと…はっきりとは…」
「情けないのぉ。なんじゃい、纏まらんのはやはりお主のその弱腰が原因じゃな」
不機嫌そうな火影の眉間の皺が緩み、可笑しそうに頬が笑った。
まあ無理強いしての関係ではなさそうじゃの、と独り言にしては大きな声で火影が言う。
ひょい、と煙管の先がイルカに向く。
「イルカよ、カカシがこうではお主も苦労しとるのではないか?」
火影の言う苦労とはどんなことを指すのだろうと思いながらも、イルカは自然と首を横に振っていた。
「―――いえ、苦労などと思ったこともありません」
「カカシは我侭じゃろう」
「俺も我侭で迷惑をかけていますので、お互い様かと」
「人の話を聞かんで突っ走るから困るじゃろう」
「まあ…多少は…。でも、頑固なのは俺も同じです。火影さま?」
「なんじゃ」
「一体、どんな答えをご希望ですか?」
言った途端に、火影は呵呵と笑い、煙管を大いに揺らした。
隣のカカシをみると、バツの悪そうな顔をしている。
何も言わずイルカをここに連れてきて、何かと思えば、これではまるで抜き打ちの審査のようではないか。
イルカの知らぬところでイルカの話しをし、イルカの前でイルカには分からない話をする。
しかも、イルカがカカシに不満です、と一言でも漏らせば、すぐにでも引き離してくれる、といいたげな質問だ。
少なからず腹を立てて、イルカは火影を見る。
「仰りたいことをはっきり仰ってください、火影様。一体、どういう意味ですか。確かに何にも聞かされずにここに居ますけど、そんな遠まわしの質問ばかりでは訳が分かりません」
はっきりと言いたいことを伸べると、火影が好々爺の態で笑う。
それが幼子を見るような目で、いつもなら尊敬の念が溢れるのだが、今はすこし腹立たしい。
「火影様」
「まあ落ち着け、イルカ。なにもお主を笑うたのではない」
「は?」
「お主とカカシの纏まらん理由が少ぅし分かって、笑うたのじゃ」
首を捻ると、隣から、
「だから、纏まるとか纏まらないとかじゃないんですって」
と抗議の声。
イルカとしては本当に分からない。
カカシと火影は意味が通じているらしいが、いったい報告書と一緒に饅頭など差し出して、始まった会話がこれだ。
カカシの任務への取り組み方でも訊きたいのだろうか。
「そうじゃの。カカシはイルカにカッコ付けたところばかり見せよるからいかんのかもしれんの」
「イルカさんにはカッコ悪いところばかり見られてます」
言い返したカカシの言に、内心、嘘だと反論する。
火影が、壁に立てかけてあった中ぐらいの巻物を、書き物をしていた床の横へと広げた。
白紙の面が広がる。
普通の筆より二倍ほど太い毛筆をとり、たっぷりと墨を含ませた。
「あと、イルカはもうちっと、カカシのことをよぅく観察したほうが良いの。目をつぶっていては肝心のカカシが見えんじゃろう。まあ顔の良い男は甲斐性がないと昔からいうもんじゃが」
ムッとして思わず言い返す。
「そんなことありません」
「そら、その頑固なところもお主の良いところじゃが、欠点でもあるの」
包容力のある声でしっかりと釘をさされて、ぐっと黙る。
確かにカカシにも頑固で石頭だと散々言われたし、自分でも思わないことも無い。
火影の腕が、流暢な墨蹟を描いていく。
なんと書いてあるかイルカの位置からでは分からなかったが、やがて書き終えた火影が風遁で一気に墨を乾かして、ほれ、と掲げた。
イルカの背丈ほどの長さの巻物だ。
おおらかな墨蹟で、黒々とした墨色も鮮やかに『 相 互 理 解 』と大きく書かれていた。
「―――…カッコ悪」
ぼそりと呟いたカカシに火影の喝が飛ぶ。
「何を言うかこの若造が。七年もかけてイルカに本心ひとつ言えんこわっぱが、えらそうに言うでないわ! 祝いの言葉でも書いてやろうかと思うておったが相手がイルカとなれば、そうも言えん。この書の通り、精進するがよい」
「ええ? なんですかそりゃ。横暴ですよ。第一、相互理解って、俺もイルカさんも努力してますって」
「ほうかほうか。努力して、それかの」
書き終わって、一仕事を終えたというように、ぷかあと火影は煙管から満足そうな紫煙を吸い、美味そうに吐き出した。
カカシの抗議など意に介さない、といった風だ。
「まあ安心するがええ、イルカの相手なら良いじゃろうというおなごには心当たりがある。お主の努力が実らんかった場合には、お主ともどもイルカの面倒もみてやろうかの」
「ちょ、なに勝手なこといってるんですか。世話焼きは結構ですよ。イルカさんにも結構です!」
「まあ遠慮するでない。ほれ、これも持ってかえって吊るすがよかろう。一緒に住んどるという言葉が真ならの」
本当ですって、とカカシが憤慨するのを、不思議な思いでイルカは見る。
じわり、とおこがましい考えが浮かんでくる。
勘違いでなければ、もしかしてこれは火影に相手を紹介しろとカカシが言われたから、自分はこの場にいるのだろうか、などと思えてきてしまう。
自惚れも甚だしいから、口には出せないが、そんなことよりも、一緒に住んでいるとカカシがはっきり言ったことに、嬉しくなった。
家主がぴたりと催促を止めてから忘れていた家移りの件だが、これならば言い易いかもしれない、と一人でホッとする。
火影が書を巻いて投げ、カカシの腕が空を切るようにひらめいたかと思うと、その脇に巻物が抱えられていた。
「じゃあそういうことで。饅頭、ちゃんと食べてくださいね。お代と報酬は現物支給ってことでコレでいいですから」
「なんじゃ、殊勝なことを言いおって。もしや饅頭になんぞ入れたか」
「まさか。まあ、これからの俺たちの前途を祝しつつ、火影様に気持ちよく召し上がって頂きたいという、ささやかな気持ちです」
では失礼しますと、言うだけ言って、カカシはイルカの背を押して退出しようしたが、気になって促されつつ振り返って火影をみてみた。
机の上に置かれた箱を手に取り、蓋をあけた火影の動きが、一瞬止まる。
次の瞬間、
「紅白など百年早いわ!」
という声とともに、白と薄桃色の小ぶりな饅頭がカカシめがけて飛んだ。
カカシはぬかりなくイルカを先に出し、つぶてのように飛んできたそれらを扉で避け、飄々と言い放つ。
「だって祝ってくれるって仰ったじゃないですか、一石二鳥ですよ」
「お主がやるとどうも姑息でいかん!」
「周到って言ってください」
正直、どっちもどっちの言い方だと思った。
「それじゃどうも、今回はありがとうございました、本当に感謝してます」
先に部屋から出されたイルカからは、部屋の中の火影がどんな表情をしているかは到底みえなかったが、少なくとも罵声は返ってこなかったようだ。
2007.05.21