愛について4







 それからは、夕方まで色んな話をした。
 好きな食べ物の話や、嫌いな食べ物の話。
 イルカの家の料理に鍋物が多い理由や、カカシの周りがイルカをあてにカカシを面白がっていること。
 アパートの家移りをせまれられていることや、女のことは言えなかったが、結局、イルカが疲れてまどろむまでカカシは傍らで横になって、話をしてくれていたようだった。

 翌朝、早くにカカシに起こされた。
 申し訳なさそうに、だがはっきりと、撤収するから用意をするように言い、握り飯での朝食の後、手早い作業で昨日のようにイルカの包帯を代えてくれた。速さだけは昨日より素早く、イルカは身を縮める隙も恥ずかしがる隙もないほどだった。
 服を着込み、ベストと額宛も締めた。首にタグとともにあの指輪もかけると、気が引き締まったが、もうそれだけで暑さにふらつきそうだ。全身包帯はやはりきつい。

「俺はテントをたたんでおくから、イルカさん、木陰で休んでて」
「いえ、俺がすることですから。カカシさんこそ、どうぞ休んで…」
「なに言ってるんですか、ほら、そこ退いて―――」

 カカシが促すのを無視して、テントの梁に手を掛けた。
 せめてそれぐらいはしなければ、と折りたたみ式の梁に手をかけて力を入れる。途端に、熱が頭に上がって、信じられないほど簡単にふらついた。
 梁を崩すつもりが、自分から梁にもたれかかってしまい、それをカカシが抱え上げる。

「だから言ったでしょ。あなたは今怪我人なんです、養生してください」
「ぅ……、はい」

 呆れ半分静かな怒り半分で言われ、イルカは大人しくなった。情けないが、ここでまた体調を崩せば、昨日の二の舞だとは分かる。撤収だというなら、これから一日半の行程を帰らねばならない。いまここで無理をするよりは、と引き下がった。
 カカシがテントを出て、少し離れた木陰へとイルカを下ろす。

「良いですか? 気を失ってたからあんまり実感ないんだと思いますけどね。一昨日には、あなたは全身火傷と裂傷で死に掛けてたんです。こうやって立ったり、服着れたり、喋れるのもじつは凄いことなんです。分かってますか? 分かったら、大人しく、そこにじっとしてて、帰りも俺に運ばれてください」
「ぇ…」
「俺に、運ばれてください。―――いいね?」

 強気の念押しには、イルカの異議をきかない響きがあって、返事をまごついているとカカシは構わずにテントの片付けに行ってしまった。
 木陰で、あっというまにぺしゃんこになり小さくなり折りたたまれていく様子をみる。
 蝉の声と風の葉鳴りが賑やかで、暑さも手伝って木の根元に座り込んだ。
 目を閉じて、頭まで幹に預ける。

 風が心地よく、しばらく目を閉じていたが、しばらくしてカカシの声が聞こえた気がして目を開けた。
 随分と向こうにカカシと、女の姿があった。二人は立ち話をしているようで、何か胸のモヤッとしたものを感じつつも、気にするのは失礼だし馬鹿らしいと振り払った。

 イルカの見ていることに気づいていないのか、仲睦まじく話している。女がカカシの腕を、おかしくてたまらないという風に軽く叩き、カカシが後頭部を掻いた。
 女のすらりとした両腕がカカシの首に伸び、ぎゅっと抱きしめる。それを拒むでもなく、カカシもまた女の細い腰に腕を回し、背中を愛しげに撫でた。

 正直、その様子をみてしまって軽い衝撃はあったが、あーあ、という思いもあった。
 カカシほどの男なら当然だろうし、妙にお似合いだからしょうがない、というのもある。
 変にモヤモヤしているよりは、はっきりと見せ付けられたほうがスッキリするものだな、と二人が抱き合う様子を見ながら感心していると、ふいにカカシがビクッと体を揺らして、女を離した。
 そして見る間にイルカへと直進してきた。
 木陰に座り込んでいるイルカの目の前で止まって、カカシは開口一番、違いますからね、と言った。

「…は?」
「だから、さっきのは、昔のことで俺がありがとうっていったから、俺がバカだったって話をしてて、ごめんねって、俺のせいで死ななくて良かったっていうべきだったって話をしてて、たんに仲間として―――」
「ちょ、ちょっと待って下さい。カカシさん? 別に俺は…」
「そうね。なに焦ってるの? 変な人」

 カカシの後ろから、可笑しそうに女が言った。カカシが振り返って、

「あんた、最初からイルカさんが見てるって分かっててやったでしょ」
「途中で教えてあげたんだから、いいじゃない」
「余計悪いよ。そんな性格だった? あんた」

 カカシが苛立たしげに言った言葉に、イルカのほうが却ってぎょっとした。失礼な、と思ったのだが、女は怒るわけでもなく笑って、

「嬉しいわ、褒め言葉よそれ。それに人妻になるんだもの、これぐらい強かにならなきゃ」
「え? 結婚すんの、早く言ってよ」

 やっぱり少し失礼なカカシに代わって、イルカが寿いだ。驚いたが、カカシとの近しいながらも妙にサバけた距離のとり方も、それだからか、とも納得した。

「おめでとうございます。どうかお幸せに」
「ありがとう。そう、指輪のこと、ごめんなさいね。早く言ってれば良かったんだけど」
「いえ…俺こそまたご迷惑を…」
「私は処置を言ったぐらいで、なんにもしなかったのよ。やったのはこの人。お礼は言った?」

 反射的に、顔が赤くなった。

「は、はい」
「あら、赤くなったわ。カカシ、何したの。まさか」
「してないって。怒鳴ってもないし乱暴もしてないし、したのはキスだけ」
「カカシさん!」
「そこまでは言わなくていいのよ、バカね」
「疑いは晴らしておかないと」

 まあとにかく、とカカシが言う。

「おめでと。なんかお祝い、欲しい?」

 イルカにはやっぱり失礼に思える言葉をカカシは吐いて、女は少し考え込む。
 カカシと女の間に挟まれたようなイルカは、心中複雑だ。こういう話こそ、二人きりでしてもらいたいが、かといって本当にそうされれば、また胸がすっきりしないことも確かだろう。
 諦める選択肢が遠くなった今は、自分でも驚くほど嫉妬深く、疲れる。
 女が、顔を上げた。

「そうね。じゃあ、イルカの付けてる指輪、作ったところ教えてくれる?」
「え…」
「なんだ、そんなことでいいの? 紹介状書こうか?」

 あっさり応じたのはカカシで、思わず声を漏らしたのはイルカ。
 とっさに抵抗を感じて声をあげてしまったが、考えればただの指輪なのだから、どこの店で作っても構わないはず。イルカの指輪をみて造作が気に入ったのなら、女のいうことも分かる。だから―――。

「なんてね。嘘よ。ちょっとした意地悪よ」
「……」
「なに、それ」

 カカシは憮然としていたが、イルカのほうは肩の力が抜けてしまった。意地悪、ということはイルカの心中も読まれているということで、情けなくなる。

「まあ、その指輪、ちょっとまえに結婚情報誌に特集されてて有名になってるから、みんな知ってるし、作ろうと思ったら今はほんとに紹介状が要るのかもしれないけど」
「結婚情報誌? そんなのあるんだ。ふぅん、あのお店、繁盛するといいねえ、イルカさん」
「え? え、ええ、そうですね」

 どもってしまった。女がかすかに笑ったような気がして、さらに居た堪れない。

「イルカさん? 顔赤いよ、暑いんじゃない? 大丈夫?」
「いえ、だいじょうぶ、大丈夫です。すぐにおさまりますから」
「そう? あなたは無理するほうだから、ヤバそうだと思ったらすぐに俺にいうんだよ? いいね?」

 ただの指示だと思うのに、どうにも甘やかされているように感じてしまい、女からの視線もあいまって顔が熱くなる。何とか頷いたとき、女が言った。

「そろそろ出立ね。向こうの様子を見てくるわ。いつでも移動できる準備をしておいて」
「ああ、分かった」
「あと―――カカシ? ちょっと」
「何?」

 女の指がカカシを呼び寄せ、イルカへとしゃがみこんでいた体が立ち上がったとき、細い腕がカカシの首にまきつき、女の顔がカカシの横顔にぴったりとくっ付いた。
 イルカを含めカカシの動きが止まり、再度動いたのは、女が離れたあと。

「今のあなた見てたら何だかもう吹っ切れちゃったから、感謝のキスよ。受け取って」
「な…、なにするんだよ。する必要ないだろ」
「いいじゃない、最後ぐらい。じゃあまたあとでね」

 ひらりと身をひるがえして女は行ってしまった。憮然としているカカシが、イルカの視線に気づいて苦笑する。最後ぐらい、と笑いながら、さっぱりした顔の女には、やはりイルカも苦笑するしかなくて、顔を見合わせて二人で、笑った。




2007.05.13