愛について4







 カカシが出て行った後に、そういえばカカシに訊けといわれていたことを訊けずじまいだったと、遅まきながら気づいた。女がはっきりと返事をした、カカシとの関係のことで気が重く、言い出しにくかったこともある。
 昼過ぎに帰ってくると言っていたから、そのときにでも訊こうと思い直した。

 テントのなかが息苦しく、だが体が重く、ひとまずイルカは座った。
 立っていることは、意外と筋力を要する動作らしい。
 座ると、熱っぽい息が漏れた。
 首をめぐらすと、カカシが用意してくれたのだろうか、水のたっぶりと入った大き目の椀と、水筒、それから竹包みが目に入った。

 現金なもので、竹包みをみたとたんに、腹がぐぅと盛大になって、イルカは苦笑した。
 服の下の包帯のおかげで動きにくいものの、手を伸ばして取り、包みを開くと握り飯が三つ並んでいて、そのうちの一つにかぶりつく。水筒から水を飲み、夢中で、それでもゆっくりと三つを食べきった。
 水をたっぷり飲み、腹が満たされて人心地がつく。
 乱れたままだった掛け布をたたんで片付け、厚い布を敷いて作っただけの寝床を整えた。
 一通りのことを終えてしまうと、テントのなかですることはなくなり、外に出ようかと腰をあげる。

 ふと自分の手荷物が目に入り、指輪のことを思い出した。
 記憶が正しいなら、一昨日の夜に傷を負い、意識が遠のく前に、腰の携帯ポーチにねじ込んだはずだった。あれから、立て続けに色んなことが起きて、確かめる間もなかった。
 あれは大切なものだから、何より大事とはいわないが、絶対になくしたくないものの一つだ。

 イルカはテントの端にまとめてあった荷物の中から、くたびれたポーチを捜し当てた。蓋をあけてみると、すぐ使えるように整えられた巻物やクナイ、薬瓶がある。タグと一緒にあの指輪は細鎖に通しているから、記憶のとおりなら蓋をあけるとすぐに見えるはずなのに、と首を傾げた。
 もしかして中身の透間に入って、底のほうにあるのかもしれない、とイルカはポーチの中身を出していく。だが、全部を出してみても、指輪どころかタグも細鎖もない。

 自分の記憶をもう一度確かめてみる。
 たしか、ポーチにねじ込んだように思ったが、ベストにでも入れたかと、イルカは畳んであったベストも隅々までひっくり返してみたが、やはり見つからなかった。
 このときになって、背中のあたりが冷え冷えとしてくる。

 ねじ込んだはずのところにないなら、あと考えられるのは、どこかに落とした、ということだ。
 この森の中で。
 足元も草が生い茂り、枝葉がそこら中に落ちている、真夏の森の中に。
 手が無意識のうちに首元に行き、何もかかっていないことを確かめる。頭のなかで、あのとき、どの場所で 鎖を外したかを懸命に思い出す。

 月は出ていたが、繁る森の木々の陰で、何もかもが暗く、意識は薄れかかっていた。
 自分がどの場所で意識を失ったかもあやふやだ。
 道はかろうじて、水場へ続く獣道を通ってきたのではないかと推察できるだけ。
 居ても堪らず、イルカは立ちあがり、よろめきつつもテントを出た。
 日差しの眩さに目を焼かれ、太陽光の暑さがどっと全身を襲う。
 思わずふらついたが、目を瞬かせながら水場の方向を探して、一歩を踏み出そうとしたところへ、声がかけられた。すぐには分からなかったが、最初、この場所についたときに話しかけてきた男だった。

「おーい、どこ行こうってんだ? あんた、寝てなきゃ駄目だろうが」

 今まで何をしていたかしらないが、目下のところ男は撤収作業にいそしんでいるようだった。木箱を脇にかかえて、イルカに近づいてきた。

「ちょっと、その辺りを歩こうかと…」

 とっさに誤魔化すと、男はとんでもないと首を激しく振った。

「なに言ってんだよ。あんた、随分酷い怪我だったそうじゃないか。はたけ上忍によろしくって怖ェぐらいに言われてんだぜ、ふらふら出歩かないでくれよ。俺が叱られちまうよ。怖い怖い!」

 そう言ってイルカをテントの中まで押し返した勢いは、取り付くしまもないという程だった。イルカは矢継ぎ早の言葉にも勢いにも圧倒されてしまって、気が付いたときにはテントの中だ。
 我にかえってもう一度、外に出ようとすると、まだ見つかって、さらに念押しされてしまった。

「撤収の準備してるからな、あんたのテントがよく見えるんだ。出ようとしたらすぐ分かるぜ。いいな、せめてはたけ上忍が帰ってくるまで、大人しくしててくれよな!」

 察するに、この場の力関係の頂点に立つものに忠実にあろうとする男なのだろう。それほどに、男の言い分は単純明快で、イルカは説得することもできなかった。
 負傷続きの治療直後で、イルカのほうも持久力がない。
 しばらく、テントのなかで座り込んでしまった。
 いじましくポーチのなかを探してみるが、やっぱり見当たらない。

 外をうかがうと、男があちらへこちらへと忙しなく行き来している。
 いつ居なくなるのかも予想がつかず、だからといって、目的が目的だけにカカシの帰着を待っていられなかった。
 ベストを着こんで、水筒のなかの水を、カカシが持ってきてくれていた水と交換して、たっぷりと補充した。
 自分のなかのチャクラの残量を確かめる。
 幸い、瞬身の術の術を使えるぐらいは残っていた。

 一瞬でテントの外の、木の影へ移動することができた。
 途端にムッとするほどの夏の草木の熱気がイルカを包む。
 木陰だから直射をうけるよりはずっと涼しいはずなのに、今のイルカにはまるでサウナのなかにいるように感じられた。
 それでも、いつまでもテント近くで目眩を起こしているわけにもいかず、注意深く歩を踏み出す。ひらけたところで作業をしているらしい男に見つからないように、水場を目指す。
 すぐに見つけて、すぐに帰るつもりだった。

 とはいえ、なにせ草も潅木もあり、倒木も落ち葉もある森のなかだ。
 歩きづらく、探しづらい。体温が火傷のためか上がるのが早く、息がすぐに切れ、動悸が激しくなる。汗も常なら噴き出る場所から発汗できないものだから、内に溜まる。それがいっそう、熱と苦しさを高めていく。
 それを呼吸と休憩で逃しながら、足場の悪いところを歩き、自分が歩いたかもしれない場所を探す作業は、なかなか進むものではなかった。

 水場が酷いことになっていることは分かっていたから、水場の近くの道から、テントが集まるほうへの細い道のようなものを辿ろうとするころには、イルカの額からは滝のような汗が噴き出、吐き気がこみ上げていた。
 何度も、腰掛けられそうなところで座り込んでは休憩をとりつつだったが、次第に悪化していく体調は誤魔化しようがなかった。

 ふらりとよろめいた体を、手近な幹にもたれた。
 その拍子に、喉をせりあがって来たものが、口をついて溢れ出た。
 朝食に食べた粥や握り飯が全て、一気に逆流した。

「………勿体無ぇ」

 吐き出した後に、思わず呟いた。
 せっかく食べたというのに、勿体無いことをした。
 目の前が回る。
 幹にもたれかかっているというのに、酷い目眩だ。
 口のなかをすすぎたいが、手を水筒まで持っていくことも、水筒を掴むことも困難に思えた。

 ヤバイ、とこの時になって感じた。
 治療も終わっているし、いつもの自分の体のように過信して動きすぎた。カカシも言っていたではないか、体温の上昇に気をつけろと。火照った頭がぐるぐると回る。

 帰ろうと一歩を踏み出し、ずるりと手が幹から滑った。
 痺れに似た痛みを感じたが、霞がかかったように感覚が遠い。
 バランスが崩れ、イルカは膝をつきそうになる。

 それを堪え、また一歩と踏み出し、帰ろうと頭を上げた。
 熱い息が唇から漏れる。
 視界が暗い、と思った瞬間。
 糸が切れたようにあっさりと、体が草むらへと倒れ落ちた。




2007.05.6