愛について4
「自分で食べます。だから」
「いいから。俺のせいなんだから、俺にやらせて」
「……」
匙がイルカの口元で、開口を促すように動き、カカシの視線にも圧されてイルカは渋々口を開けた。カカシが引かない様であったことと、あまり固持すればまた昨日のように平行線だと思ったからだ。
口をうっすらと開けた途端、ぬるくなった液体が咥内に流し込まれる。粥のようで、塩味のきいた欠片肉が入ったもののようだ。幸い、咥内の傷はどさくさのうちに治っていたようで、傷に塩が沁みることはなかったが、次の匙は熱く、イルカは舌を少し火傷してしまった。
「ごめんなさい、イルカさん…ッ」
「いえ…これぐらい大丈夫です。粥、美味しいです」
「ごめんね、冷ますんだったね」
そういって口布を下ろし、匙に息を吹きかけてからイルカへと運ぶ。恐縮すると同時に面映いものだ。
ほぼ一日ぶりの食事は、粥とはいえ本当に美味かった。
胃の方も目覚めたのか、腹がすいていることを思い出したのか、早く早くと空腹感を訴えてきた。雛鳥のように、カカシからの匙を大人しく啄ばむ。全て無くなってしまうと、カカシが腰のポーチから、竹包みを取り出した。
「良かった、食欲あるみたいで。これ、作っといて良かった。中身、握り飯だからまた後で食べてね」
後でどころか今からでも食べたいところだったが、続いてカカシが服一式の間から包帯数巻きと薬瓶を取り出したから、とりあえず受け取って横においておいた。
「包帯を取ってから、塗り薬塗って、それからまた包帯するね」
「はい、すいません…」
「なに謝ってるの?」
笑いを交えてカカシは言い、上半身だけ起き上がったイルカの背のほうへ回りこんだ。待つような間もなく、すぐに包帯の先端が前へと投げ出され、カカシがイルカを後ろから抱きすくめるような格好で、その先端をぐるぐると解いていく。
昨日から水も浴びず風呂も入らず、内心、悲鳴をあげそうだった。汗臭い上に見っとも無い傷だらけで、その上、火傷の跡がまるで滲みのようにまだらに広がっている。
カカシが手際よくしてくれるお陰で、あっというまに口元も楽になり、上半身は素肌になった。
「イルカさん、立てる? 下も一気にやっちゃおう」
言うカカシは淡々としているし、そんなことを気にするのはおかしいと思いつつも、穴に入りたくなった。
掛け布をどけて、その場によろめきつつも立ち上がった。下着もなく、肌を隠しているのは包帯だけだ。
しかも腰と下腹、太腿にかけて巻かれている包帯は、性器の部分だけ巻かれていない。
ため息をかなりの努力を要して堪え、イルカは性器を隠すことなくまっすぐに立った。カカシは手際よく、イルカの下半身の包帯も解いていく。カカシが手早いことが救いだ。
不思議と痛みは感じなかった。
痛みを感じている余裕がないだけなのかもしれないが。
「これ、塗っていってくれる?」
包帯が解け終わるころ、カカシが床においていた瓶をイルカに手渡した。
「顔から薄く塗っていって。塗った後に俺が包帯していくよ」
「はい」
心もとない下半身を意識しないことにして、イルカは瓶を傾けて、とろりとした液体を手のひらに流す。
片方の指先で、顔のつるりとしている境目を探し、塗っていく。それを追いかけるように、カカシの手が新しい包帯を被せていった。
髪の毛が撫で付けられ、縦に横にと、顔のおうとつに添って包帯が巻かれる。首の辺りも、ちょうどいい絞まり具合で苦しくなく、胸にも薬を垂らしながら、変なところで上忍だと感心した。
「…首、苦しくない?」
黙って巻いていたカカシがふいに喋った。いつのまにかイルカの正面に来て、胸のあたりの包帯を巻いている。背中に手を回すときなど、まるで抱きしめる格好になって、心臓よ静まれと念じながら答えた。
「あ、はい、ちょうどいいです」
「顔のあたりも?」
「はい、大丈夫です」
試しに首を横に捻ってみても、苦しくはない。そうしているうちにカカシの手が臍のあたりまで下りていて、イルカは少し焦り身を引く。
「足の方はまだ薬を塗ってないんです。ちょっと塗りますね」
言って背中を向けて、太腿のあたりに、指で薬を広げていく。
何も考えるな焦るな心臓よ静まれ、とひたすら念じた。いまの状況を考えると、治療のためだと分かっていても赤面どころではすまない。数え切れないほど抱き合っているにもかかわらず、叫びだしたい。
カカシが平然としているから、イルカも平然としている風を装えるだけだ。救いは、むき出しの性器が反応を示していないことだけだった。
カカシが、イルカの足の薬が塗られた部分へ、背後から包帯を被せていく。
全てを巻き終わったときにはホッとした。
「ありがとうございました」
「うん、念のための包帯だけど、もし暑くて具合が悪くなりそうだったら解くか言ってね。広い火傷は体温の上昇に気をつけるように、って聞いたよ。夏だし、悪くしたら意味ないから、気をつけてね」
「はい」
忍びには忍耐が求められるし、体温調節もできるが、暑いものは暑い。足元に散らばった包帯を拾い上げると、カカシがそれを横から掬い取った。
「俺が片付けておくよ」
「でも…」
「それより服、着て? イルカさんの荷物、あそこに持って来てるよ。新しいアンダーの上下はここね。俺、目のやり場に困るよ」
「カカシさん…っ」
一気に顔に血が上った。焦って、足元の掛け布を引き上げ、腰に巻きつけた。カカシが苦笑しながら、汚れた包帯を手繰っていく。
「そういうことを言わないでくださいっ。気にしてたんですから…っ」
「あ、そうなんだ、良かった。俺だけかと思った」
「―――…すいません」
「どうして謝るの」
問われて、目を逸らした。自分の荷物から下着を取り出す。
こんな姿をみせるのはカカシの目を汚すだけだな、と思うから謝った。
だが口に出すには卑屈すぎる言葉だ。
「その…気を使わせたかと…」
だから態の良い誤魔化しをすると、カカシが苦笑したまま小首を傾げた。
「んー、まあ気は使ったけど…イルカさんが謝ることじゃないんじゃない? 俺がイルカさんの裸みて、おかしな気分にならないように気ぃ張るのって、イルカさんのせいじゃないし」
「……」
真っ赤な顔のまま、ぎこちなくカカシの顔をみる。からかいや嘘をいっているように見えず、いっそう居た堪れない。
「言わないとイルカさん、きっと気づかないだろうと思って」
「―――…言わなくても良いと思います」
「そう? そうかな」
イルカのささやかな抗議などどこふく風で、カカシは包帯をいくつかの巻きへと片付けていく。イルカといえば、心臓が堪らずに早鐘を打っていて、座り込みたい心地だった。
昨日から、カカシにはこんな気持ちにさせられてばかりのように思う。
手早く下着も忍服も着込んだ。一気に暑さが増して、ため息をついてしまった。
「イルカさん、大丈夫?」
「はい…少し暑いぐらいで…大丈夫です」
「体温調節が上手くできないかもね…テントの中より風通りの良い日陰に居た方がいいかもしれないね。俺はこれからちょっと出るけど…」
ハッとした。忘れそうになるが、カカシは他の任務の途中なのだ。
「任務ですか。…俺のせいで任務に影響がでてしまい、申し訳―――」
「いや、そんなことはないから。大丈夫。任務も済ませてくるけど、すぐ帰ってくるからね」
「え? 任務はどうされるんですか、いつまでもここに…」
「それについてはもう調整が済んでるからいいんだ。さっき、ついでに連絡入れたし、返事も分かってるから」
「はあ…」
はっきりとカカシが言い切るのだから、そうなのだろうが、今回のカカシの任務は何かと腑に落ちない。達成内容も時期もいい加減なように思える。
「本当にいいんですか…?」
「いいの。だから、今から出て昼過ぎには戻ってくるけど、イルカさん、大人しくしててね」
本気で心配げにいうから、少し癪に障った。
「大丈夫です。怪我人なのは重々承知していますので、無理はしません」
「なら、いいけど…」
疑わしそうなカカシに、さらにムッときて、無理しませんと胸を張った。
カカシは苦笑しつつ、
「お願いしますよ?」
というような、なだめているのか煽っているのかわからない言葉を残して、カカシはテントを出て行った。
2007.05.6