愛について3







 建物をでてからしばらく歩くうち、いいことを思い出した。
 昨日の朝、イルカが出発するときに、冷蔵庫の中のものを捨てるのがもったいないので、良かったら食べてくださいと言われていた。
 イルカの家に行く口実ができた。
 たしかジャガイモと人参が残っていたような気がするから、ついでに肉と糸こんにゃくを買って、肉じゃがにしようと決める。ついでにイルカの部屋で風呂に入って寝よう。うっかりしていたのか、イルカは風呂の湯も抜かず、ベッドのシーツもそのままだ。

 すぐ帰ってこれるつもりか、単にうっかりか。
 または、カカシの存在が当たり前になっていて、そのままにしていってくれたのか。
 それが理由だといいなあ、と思いながら通りを歩く。

 任務についても機密事項にかかる程度まで話してくれた。
 いけないとは思いつつも、カカシも詳しく聞きたかったから、あえて大人しく聞いたのだ。
 イルカのそういった行動は、いつもカカシに仄かな希望を抱かせる。

 通り沿いにある肉屋で立ち止まる。
 へいらっしゃいと言われ、何が良いかと視線をうろつかせた。すると店主が威勢よく、今日は良い肉があるよと言ったので、肉じゃがにするんだけどと首を傾げると、肉じゃがにゃぁ勿体無いが良すぎて悪いってこともねえよ、と言われた。
 まあたしかにそういわれれば、とじゃあそれでと頼んだ。まいど、と店主の声が確実に機嫌よくなった。ふと最近かまってやっていない忍犬たちのことも思い出して、脂肪の少ない肉も付け加えてもらった。
 あとは糸こんにゃくだけど、あんまり好きじゃないからどうしようかなあ、と手持ち無沙汰に通りを見回したとき、歩いてきた向こうから、知っている顔が全力疾走してこちらに走ってきている。

 さきほど、超過労働で可哀想と同情した彼だ。
 そんなに急いでどこにいくんだろうと眺めていると、驚いたことにカカシの前で止まった。
 急に立ち止まって、肩で息をして声もでないらしい。
 あっけにとられたが、とりあえず店主から肉と引き換えに支払を済ませてから声をかけた。

「―――…どうしたの」
「あ、あの、すいません、どうしても、その」
「まあ落ち着いて。俺に用事なの?」
「はい、どう、してもお知ら、せしたほうが」

 ぜぇぜぇと息を吐く勢いをみれば、急な用件だとは分かるが、肝心の用件が乱れた息ですぐには言えないようだ。
 ちょっと待って、とカカシは手で男を制して、目に見える範囲にあった飲み物の自動販売機まで行く。
 少し考えてから、自分用に缶コーヒーと、男のために茶を買ってやった。
 戻って渡してやると、あからさまに恐縮したようすで男がわたわたと手を振った。

「いいから、飲んでよ。この間のお礼」
「そんな! あれは助けていただいたお礼で」
「大したもんじゃないし、いいから。で? どうしたの」

 ハッと男の顔が引き締まった。一呼吸おいて、男は口を開いた。

「―――イルカが今、任務に就いていることはご存知でしょうか」

 ああ、とカカシは頷いた。

「そのこと? 知ってるよ。昨日からね。もしかして」
「ええ、その任務のことですが…」

 カカシは、いいのに、と軽く手をひらつかせた。

「このあいだ教えてくれたヤツのことでしょ? 俺も心配だったから、昨日受付で聞いたよ」
「え、どなたにでしょうか」
「えぇとね、目つきがちょっと怖い四十ぐらいの…」

 あの人にですか!? と男は驚いたようだった。

「よく教えてもらえましたね、はたけ上忍。あの人、厳しいんですよ。でも、そうですかあ…」

 男は照れたように頭をかいた。

「じゃあはたけ上忍はもうご存知だったんですね、さすがです」
「うん、でもありがとうね。わざわざ。仕事中だったんでしょ」
「まあ混んでたので一時しのぎになればと思いまして。それで昨日今日の任務書のなかにイルカの名前があったもんだから、ちょっと目を盗んで任務の履歴を見てみたんです」
「そっか」
「本当にさすがですね。何十人も聞き出すの、大変だったでしょう。あの人もはたけ上忍のファンなんですかね」

 カカシはすこし笑ってしまった。
 あのお堅そうな目つきには、そんな浮ついたものは微塵もなかった。
 それから―――あまりのことに顔から表情が消えた。
 じゃあ俺はまた受付に戻ります、という男の腕を、とっさに掴んだ。
 とまどった顔になった男に、真剣な顔でカカシは問うた。

「―――何十…人?」

 八人だ。
 カカシの聞いた名前は。
 そんなに多くはない。
 間違えるわけがない人数だ。
 行きかけた体を戻し、男はまだ分かっていない呑気な様子で頷いた。

「はい、三ヶ月も前からの任務なので、何人も負傷や申請で入れ替わっているんです。最初からいらっしゃるのは医療班の方ぐらいかと」

 昨日のやりとりと思い出す。
 カカシが訊いたのは、任務に就いている忍びの名前だ。
 受付での任務書は、見た限りでは少なくなかった。
 何枚も重ねて束ねられていたとしたら。
 一番上だけを見て、名前を答えていたのだとしたら。
 ゾクリと背筋が寒くなった。
 男がカカシの様子を訝しげにしながらも言葉を継ぐ。

「それで、二ヶ月ほどまえに、先日お話した特別上忍が副長として着任しています。それから入れ替わりが激しくなって、隊長職まで何人も変わっています。最近の定期報告では、もう事実上の討伐は終了していると見えるのですが、一向に引き上げることができないと、隊長自ら書いているほどです」

 ありがとう、とカカシは呟いた。
 任務地をきけば、予想通り東にある山岳地帯だった。
 ここまで情報を流して大丈夫かといいたくなったが、自分の利益のため、目を瞑った。ごめんなさい、と男とそれ以外の多くの何かに謝る。
 まだ開けていなかった缶コーヒーを、男に押し付けた。
 自分の初歩的な油断が、不安をかきたてる。

「あげる。安くてごめんね」

 とんでもない! という男の上擦った声をカカシは背中できいた。
 すでに足は受付所へと走っている。
 どうせなら手に持った肉をやればよかったと、間抜けなことをおもった。




2007.04.12