愛について3







 翌朝、イルカを見送った。

「気をつけてね」

 彼自身、充分に気をつけていると知っていても尚、小言のように言ってしまう。イルカは苦笑して、それでも言葉を受け取ってくれた。

「はい、行ってきます」
「いってらっしゃい」

 大門で背中を消えるまで見てから、カカシは報告所へと足を向けた。
 とくに任務受けろと言い渡されているわけでなく、休日にしようと思えばできる一日だった。
 いつもなら埃の積もる自宅の掃除か休息、または備品の手入れ、もしくは鍛錬でもするところだが、それらを行うまえにしたいことがあった。
 イルカの任務に就いている忍びの名前の確認だ。
 それがすまないことには不安が去らない。

 帰ってくる時期がわからないといわれたことも手伝っているのかもしれない。
 いつ帰ってくるかもしれないのに、安否まで不確かであることに、カカシは堪えがたいほどの不安を感じていた。
 転じて、自分の場合を考えれば、もしかしてイルカにこんな不安を抱かせていたのだろうかと思ったが、すぐに、イルカが自分ほどに情を感じているわけがないだろうと、自嘲した。昨日、いつになく抱きしめてきたのも、久しぶりの長期外地任務を控えていたからだ。

 自分で自分の反論に落ち込みながら、着いた報告所でカカシは訊くまでに任務書などをもらってしまった。
 しかも任務内容が、最低でも二日以上かかるものだ。こんな気持ちのまま任務に就くなど、冗談じゃない。任務中に気が散って仕方がない。
 とはいえ、知りたいのはイルカの任務内容。
 機密が関係するだろうことは重々承知で、無駄だと思いつつ食い下がってみる。

「いや、別にいかないとは言いませんよ? ただちょっとその前に、調べてほしいことがあるんですけど」
「はあ何です」

 先日に見た中忍は受付内に見当たらなかった。
 仕方なく、壮年の受付員に訊いてみたのだが、答えはにべもなかった。

「そうは言われましても、機密事項ですのでお教えできませんな」
「だから知り合いですって。ちょっと任務のことで想定外の危険があるかもしれないんです、就いてる忍びの名前だけでも教えてもらえません?」
「申し訳ないですが、関係者の方でもないと、こちらも仕事なんでね」
「……」

 充分関係者だといいたかったが、ぐっと堪えた。先ほどから、受付の奥にいる責任者風の男の視線が、こちらに向けられている。声を、不審におもわれない程度まで落とした。

「うみのさんと一緒に仕事してる人の名前、知りたいだけじゃないですか。仲良くできるかなとか、それだけ。俺、心配性で。じゃないと気になって、任務で失敗しそうですよ」

 じろりと、受付員が目がカカシを見る。自分でも上手くない説得だと思ったから、内心冷や汗ものだ。そんなことで失敗するのかと言われればそれまでだ。

「アカデミーのうみの先生でしょう? そんなことないと思うけどねえ…」
「忍びも色々ですよ」

 我ながら必死だ。

「お願いしますよ、俺が安心して任務にいけるように」

 カカシに渡された任務はランクの低いものではない。危険のつきまとうものだ。
 カカシが心身状況を理由に任務を断れば、また数日は任務達成が遅れるだろう。
 それをダシにしていると分かっていながらも食い下がると、ふん、と男が気難しげに鼻を鳴らした。
 そして手元の巻物のうち、ひとつを抜いて開き、素っ気ない声で次々と名前だけを読み上げていく。
 驚きつつ、耳を澄ました。
 八名を数えたところで巻物を閉じた男は、カカシを睨む。
 本人は睨んでいる意識がないのかもしれないが、目つきがさすがに年季の入った受付員といった貫禄だ。

「これでいいですかね?」

 目の端で、奥からこちらを見ていた男が出てくるのが見えていた。カカシは、ええ充分です、と答える。聞いた名前のなかには先日の名前は無かった。ホッとした。
 重苦しい声がかかる。

「―――何か、問題でもありましたかな、はたけ上忍」

 内心、きたな、と思う。
 イビキが受付にも手が回っている、といっていたが、その人物は十中八九、この男だろう。
 でなければ火影も座ることがあるこの受付で、特定の忍びに思うように任務を下せるわけがない。
 本心から協力しているのか、弱みを握られているのか、詳細は知らないが、分かるのはカカシの協力者ではないということだ。

「いや、なんでもありませんよ。じゃあ、任務いってきます」

 表面上にこやかに、カカシは受付所をでた。
 今回の任務は単独任務だ。密書の奪取となっているが、ここから半日ほど行った場所の邸にあるとされているから、忍び込めということらしい。スタミナが人並みなカカシには、こういう細やかさを求められる任務のほうが適しているのだが、今は億劫だと思った。
 イルカのことでホッとして肩の力が抜けた。
 一日、のんびりしたいところだ。
 それでも、今まで何百回とした任務と同じく、入念に準備をして里を経ったのが昼過ぎだった。
 現地について一晩、様子を見た。
 警護はさすがに厳重で、夜中ともなれば邸中に忍びの気配が溢れ、猫の子一匹入れないといった具合だ。その様子を確認して、夜はゆっくり眠った。

 朝、起きて、イルカはいまどの辺りにいるんだろうとぼんやり想像する。
 場所は聞かなかったから、行程はわからない。
 見当をつけた東の山岳地帯であるなら、いまごろ着いているころだが。
 無事でありますように、と不安の種が芽吹かないよう、願う。

 昼、邸の忍びたちの昼食に紛れて密書を手に入れ、ついでに昼食も一人分いただいた。外で見張っている忍び用のおかずつき竹皮包み握り飯だ。それを食いながら、里へ戻った。
 里の大門をくぐったのは、食った握り飯が完全に消化されて、腹の根が盛大に鳴る時間だった。夕飯のまえに報告だけするか、と報告所へ向かった。

 通りからの食欲をそそる匂いが辛かったが、より辛いのがこれから帰る先が、埃だらけの自宅という事実だ。頻繁にイルカの家に入り浸っているから、肝心の自宅は半倉庫のようで、生活感というものは薄れている。
 あ〜ぁ、とため息をつきつつ、報告所の扉をくぐると、さらにため息がでそうになった。
 いつもより受付は人でごたついていて、さらに、久しぶりに火影が受付に座っていた。
 奥の管理長らしき男がいないことだけがマシなところか。

 カカシは若い上忍のなかでも目立つほうだ。
 いわく有る片目のせいでもあり、実力のせいでもある。
 数年前まで異性関係でも噂になることがあったから、畢竟、火影の覚えもなかなかめでたい、ということになる。
 ありがたいかは時と場合によるが。

 昨今は年のせいか丸くなっているが、年のせいか口やかましくなっているとおもうのかカカシの気のせいだろうか。
 素行が褒められるとは到底おもえないと自覚しているカカシは、視線を火影から外して他へやった。
 うろつかせるうちに、火影の他にも知った顔をみつけた。ふた月ほど前だろうか、任務中に助けた中忍だ。あれ以降、受付で見かけるたびに挨拶ぐらいはする。今日は受付席にではなく、任務帰りのようだった。カカシの視線に気づいてか、会釈をしてきたから、軽く手をあげて返した。
 とくにこだわりなく列を選んで、報告書を提出していると、真ん中に座る火影が口を開いた。

「くたびれた格好をしよって。よう疲れとるの」
「はい、まあ疲れました」
「ゆっくり休むがいい」
「どうもありがとうございます」

 気構えていたよりも穏便な言葉だ。てっきり、イルカのことなどをいわれるかと思ったが杞憂だったようだ。ホッと息をついて踵をかえすカカシの目の端に、受付カウンターの向こう側、先ほどの中忍が見えた。あれれ、あいつはこれから仕事か可哀想に、と同情しながら、帰って休むため扉をくぐった。
 ゆっくり眠ろうと、外に出ると夏の夜風がふわりと香って、カカシは大きく伸びをしたのだった。




2007.04.11