愛について3
「お、なんか用? イルカマニア!」
開口一番これだ。
上忍待機所の扉をあけたとたん、言葉だけが弾丸のように飛んできた。
「―――…ヒマそうだね。ダンゴマニア」
「これでもヒマじゃないの、イルマニア」
「…どーみてもヒマそうだけど」
「リフレッシュしてんの」
「……あ、そう」
「イルマニはこれだから!」
がっくりと力が抜けそうになるが、カカシは渾身の力を振り絞って、懐から任務書を取り出した。
ソファに座るアンコに見せる。
一ヶ月ほどまえの状況と反対だ。
「あん? なにこれ」
「さっき受けてきたの。あんたヒマだったら付いてきてよ」
「ふぅん、なになに」
あたりを見回してもアンコ以外に待機所は誰も居らず、これで贅沢をいえばアスマかゲンマやライドウ、最後の手段でガイがいれば彼らに頼むのになあ、と思った。アンコの実力に文句をつけるつもりは全くないが、性格に問題がありすぎる。
アンコは、カカシから任務書を素早く奪うと、じっくりと熟読している。
内容は、里から街へと続く街道沿いに、他国の抜け忍が潜んでいる可能性があるので、巡回をかねて捕縛してこいという任務だった。
捕縛したあとは里に戻り、尋問するためにイビキ、もしくは他の尋問部員に渡せと指示が書いてある。
場所もだいたい特定してあるということは、下見もされてある確実な任務だ。
とはいえ、相手も忍びということで油断は禁物。一人では危なかろうということで、もうひとり、上忍レベルを連れて行けといわれたわけだが。
「へぇぇ、どっかよその抜け忍か〜。てことは、生きてりゃいいわけね」
ぶつぶつと嬉しげに呟いているアンコに、やめてくれ、と心中でぼやく。
「あのね、んなわけないでしょ。無傷が一番なの。治療費もバカになんないのよ?」
「なんであんたはそう細かいかな〜。現場はそんなこと気にしなくていいの!」
「捕縛しろっていわれてんだから、喋れる状態で捕まえろってことでしょー」
「だから生きてりゃいいわけじゃん」
「捕まえてから病院放り込むの? そんな無駄な手間、却下」
「いいじゃんこれぐらい!」
「だ〜め。素早い任務達成と適切な達成内容は木の葉の信頼の源です」
「ク、このマジメ君め!」
「マジメでけっこう。マジメだし」
「ケチ!」
「まあケチでもけっこう」
「このイルカマニア!」
「うん、マニアでけっこう。はい、行くよ」
ちぇ〜、と言いながらアンコは腰をあげた。
任務自体はつつがなくすんだ、といえばすんだ。巡回がてら夕刻から始めたのだが、あっさりと抜け忍たちは見つかった。ただアンコがこっそりと、捕縛した抜け忍をクナイでもてあそんでいたりしたが、顔のちょっとした傷ぐらいでカカシが気づき、大事はなかった。
ひとつだけ、カカシたちが驚いたのが、抜け忍たちのアジトにしていた小屋に踏み込んでみると、木の葉の額宛をした男が全身を縄でしばられ、猿ぐつわ状態で放置されていたことだった。
意識はしっかりあるようで、カカシたちの姿をみると、解いてくれとジェスチャーをして、希望どおりに解いてやるとしきりと感謝を表した。
なんでも、配達依頼で隣町から帰ってくる途中にうっかり捕まってしまい、どうしようかと思っていたところだったらしい。階級をきくと中忍だそうだから、呑気だなあ、とカカシは呆れた。
捕縛した抜け忍たちはまとめて縛り上げて逃げられないようにし、さて三人で里へと帰るかという道すがら。
「それにしてもさ、あんた、受付にいたことない? 中忍だよねえ」
あいかわらず他人に失礼なアンコが口火を切った。
対して、訊かれた男は気分を害した様子もなく、むしろ声をかけられて嬉しいとでもいうような弾んだ声音で答えた。
「は、はい! みたらし特別上忍の任務を受付させていただいたこともあります!」
「あー、そうなんだ。変な査定してないよね?」
「はははい! もちろんです!」
「ちょっとアンコさん、それこそ変な査定入るんじゃない?」
「あんたはほんっと細かいよねー」
ほっとけ、と思う。
アンコがザルなだけだ。
「こいつの言うことは耳半分以下だよ、中忍くん。気にしないで」
「は、はい!」
「ちょっとなんでそんな冷酷かな、あんたは。そうか、中忍が好きか」
「あのね」
急ぐ帰路でもないが、木々を飛びながらの会話だ。がっくりときて、おもわず木から落ちそうになってしまった。否定する気力も失せて、黙ったままいると、沈黙に気を使わざるをえなかったとみえる。その「中忍くん」が
「あ、あの、はたけ上忍は面倒見が良く素晴らしい忍びだと同じ中忍から聞いております!」
フォローなのかどうなのか、一応「はあ」と気のない返事をした。あまり面倒見が良い自覚はないから、余計に返事もおざなりになる。
「へぇ〜、あんた、中忍に好感触? よかったねえ、カカシ〜」
「心にもないこというんじゃないよ」
「まったまた、嬉しいくせに〜。イルカちゃんもそう思ってるといいねえ」
「…あのね、そう引き合いに出さないでくれる? だいたいあの人が―――」
しつこくイルカのことを当てこするアンコに、いい加減腹が立ってきて言い返そうとすれば、それを遮って男が驚いたように言った。
「イルカ、ってうみのイルカですか? おれ、いえ私にはたけ上忍のことを教えてくれたのが、そのイルカなのですが」
「……」
カカシは咄嗟に返事もできなかった。
ひゅう、とアンコの口笛が聞こえる。
「そうそう、中忍のイルカくん。うわあ、あっつあつぅ」
「うるさい」
夕刻も過ぎ、薄闇がかかるころでよかった。肌の表面が熱く、自分の顔に血が上っているのがわかる。
「はたけ上忍はイルカとよく飯を食べたりされているんですか?」
「あ、ああ、うん、まあね。イルカさんがそう言ったの?」
「はい! 昔任務で知り合ってから、よくしていただいていると言っていました」
「そう…」
「とても良い方だと聞きました」
「…そっか」
思わぬ第三者から回ってきたイルカの言葉に、むやみに嬉しくなった。今すぐ帰って、イルカに報告したいぐらい、気持ちが浮き立って仕方がない。
どうしよう、イルカを抱きしめたい。
ありがとうといって、キスしてイルカが嫌がるぐらい撫でて、やっぱりありがとうと言いたい気分だ。
そして、そんなカカシの気分に水をさすのは、やっぱりアンコだった。
「まあ、根暗で陰険なヤツだって思っててもそりゃ言えないよねえ」
「…アンコ」
「あ、そうそう中忍くん。こいつにイルカの情報やると色々お得かもね!」
「え?」
「アンコ」
咎めるように声を出す。
「いーじゃん、アタシらだけじゃ分かんないこと、あるかもよ? なんせ受付くんでしょ」
ね? と同意を求めたアンコへ、男は上擦ったような返事をした。だがカカシは乗り気ではない。カカシが上忍の間に情報を求めるのは、相互の利益のやりとりがまだできるからだ。上忍が中忍へ、情報をよこせというのとは全く違う。それは強制だ。
イルカの部屋の隣人にした仕打ちを別枠にとりおいて、カカシは硬い声でいった。
「やめなよ」
「え〜、またあんたはマジメ君で…」
「いいんだよ、いい加減にしろよ」
「――――――あの」
言いかけようとした男の声を、カカシは遮る。
「いいんだよ。気にしないで」
「いえ、実は」
「本当にいいから」
言ってから、苛立ちが声に出てしまったことに気づいて、言い訳がましく付け足した。
「確かに俺はイルカさんの情報を集めたりしてるよ。でもそれはイルカさんが心配だから、っていう個人的な理由だし、何かの規定に引っかかるような情報なら、俺は無理に聞こうとは思わないよ。俺のいってること、分かる?」
「……は、はい」
「じゃあいいよ。さあ、無駄口はやめて帰るよ」
会話を打ち切るように、カカシは木々を渡るスピードをあげた。
アンコも、これ以上つつくといけないと本能で感じたのか、もう何も言わず、残りの短い帰路のあいだ、結局それ以上なにも話さなかった。
2007.04.07