愛について3
「両隣に、苦情なんて言ったらどうなるか分かってるねって言ってあるんだよ」
「……」
「………」
今度はカカシが呆れた視線をもらった。
二人分。
だがカカシはむしろ胸を張って言い加えた。
「いっとくけど、イルカさんに変な目向けてたから、ちょっと注意するついでにだから」
「変な目って…そりゃ夜中にうるさけりゃ変な目もするでしょーよ」
「気の毒に…」
ゲンマのみならずアンコまでしみじみと言うから、カカシはちょっとひるむ。
「べ、別に手は出してないし。ちょっと睨んだだけだし」
「ふ〜ん」
「カカシさんの一睨みか…。心臓の弱い奴なら生きた心地もしないでしょうね」
「そんなことないって。…と思うんだけどな」
ゲンマの冷静なコメントにカカシの自信が揺らぐ。
イルカの両隣はどちらも中忍だったはずだ。心臓は弱いだろうか。中忍というとイルカを基準にしてしまって、イルカの気負わない様子を知っているから、普通の中忍の反応が分からない。任務中のことを思い出しても、判断がつかない。
「たぶん…大丈夫だと思うんだけどな…」
だんだん不安になってきた。
彼らの心臓が止まるかという不安でなくて、もしこれがイルカにばれたら、イルカはどう思うだろうという不安だ。
今度はイルカに告げ口などしようものならどうなるかと言い足したほうがいいのだろうか。
だがそれでは、自分の弱みがイルカであることが明白で、いっそう危ないことになるのではないだろうかと思案する。
二人の呆れた視線を無視してうんうん唸っていると、待機所の扉が開いて、待ち人が現れた。
「あー、イビキだ。なに、どんな薬なの」
「こんにちは」
「おう、なんだ珍しい三人組だな」
顔を上げると、アンコがイビキに、見せて見せてと手を伸ばしていた。
魔の手にさらわれる前に、カカシはイビキから緑色の小瓶を受け取る。
窓からの光が明るく、濃い緑色のガラスのなかでたぷんと液体が跳ねるのが見えた。
ここに来る前に買ったものと色味が合うかなあ、とさらに透かしてみる。
「ちょっとー、見せてくれたっていいじゃない」
「今見てるでしょー。何をそんなに期待してるんだか。ただの睡眠薬ですー」
「なんだ、それでイルカに悪戯するわけか、この変態」
「あのね…」
まったく、口の悪さはどうにかならないのかといつも思う。
「ありがとう、イビキ。助かりました」
「いや、この前ご馳走になったしな。その薬、お前も飲んだことがあるから知っているだろうが、寝酒程度の効き目だからな。あまり期待してくれるなよ。まあ即効性だけはピカイチだがな」
「うん、それでいいんだ。あんまりきついのでもイルカさんがかわいそうだし」
効果の強い薬はそれだけ副作用がある。
暗部時代には数え切れないほど薬の世話になったものだが、副作用もなく効き目も素晴らしい、そんな都合の良い薬は滅多になかった。結局は、心や体の具合が重要なのだろうとおもう。
イルカにしても、そうしたことを踏まえて、薬に頼ってまで寝入ろうとしないのかもしれない。
「飲んでくれるといいんだけど」
これは副作用もない薬だし、イルカの体に溜まっている疲労を考えると、飲んで欲しいとおもう。
無理強いはしたくないが、してしまったらどうしよう、とまで考えてしまう。
「イルカはお前を信用しているんだろ、飲んでくれるさ」
アンコと全く違う、耳に優しい言葉にカカシは苦笑した。
「そうだと嬉しいんだけど」
「それにしたって、ほんとあんたってイルカによく構ってるわよねー。鬱陶しがられない?」
こっちは耳に痛い言葉だ。
内心、ウッとひるむ。
じつは、腰のポーチには他にも、イルカにと思っている品物まで入っているのだが、カカシは努めて平静に返した。
「そんなことないよ。だいいち、一緒に外歩いたこともあんまりないし」
「あぁ、確かに見ませんね」
だから余計に、イルカを思い出すような品物をみると、つい買ってしまう。
先ほども、大通り沿いの店先で、青色のきらきらと透けるグラスを見つけ、そういえばイルカは青のイメージだなと思っているうちに、いつのまにか購入していた。
頭には、これからイビキに飲み薬をもらうのだし、ちょうどいいじゃないか、という言い訳もあったが。
「デートもなしで外じゃ他人面、そんで家のなかじゃベッタリかー。ますます…」
ちょっとムキになってカカシはアンコを遮った。
「ずっとべったりしてるわけじゃないし。これぐらい普通だよ」
「そうかあ? あんたが構いたがりってちょっと意外だよね」
ねえ、とアンコがゲンマとイビキに同意を求めると、二人の男は案外あっさりと頷いた。
ぐっと言葉に詰まった。
過去の自分の所業を省みると、反論できないところだ。
構いたがりどころか、構われることも嫌だった。
どこか一つに落ち着くなど論外で、だからこそ任務で温もりを分け合う人間と、里で抱く女をはっきりと区分していた。
縛られることと、繋がることが嫌で。
里と自分と社会と。
できることなら消してしまいたい、溶けてしまえばいいのに、と馬鹿なことを考えていた。
そんな嫌悪感も、いつのまにか薄められ、消えていたようだ。
年を取ったからだろうか。
それとも、共に居たいと願う存在ができたからだろうか。
とはいえ、カカシの実感としては、普段そんなにイルカイルカと構いつけている意識もなく、そう周囲から見られていることが不思議なほどだ。
気になるのはイルカがアンコのいうように鬱陶しいと思っているかどうかだが、その不安は、アンコ自身がばっさりと打ち砕いてくれた。
「まあ、あんたはイルカの知らないとこでコソコソ手回ししてるからね。私たちにしちゃ、いっつもイルカイルカいってるように見えるんだよね! イルカもあんたの根暗なとこ知らないわけだし、良いんじゃない?」
根暗、の単語がカカシのこめかみを貫いた。
ふらりとソファに座っているにも関わらずふらつき、両手を片脇にがっくりと付く。
そうか、これは根暗というのかと新たな発見をした気持ちもあるが、ショックはなかなか去ってくれない。
「おいおい、言いすぎだろアンコ。それよりカカシ、少し頼みたいんだがな」
密かに根暗は否定していないイビキに、さらにダメージを受けながらカカシは顔を上げた。
イビキの手からすると、とても小さく見えるカップ酒がカカシの脇に置かれる。とはいえ、中身は酒でなく、親指の先ほどの粒状の茶色いものだ。ドッグフードによく似ている。
「なに、これ」
「俺はもう戻らないといけなくてな。最近忙しいんだ。それで悪いんだが、これを頼みたくてな」
瓶を持ち上げて中身をよく見ると、ますますドックフードにそっくりだ。布と輪ゴムで封がしてあったので、すこし匂いをかいで見ると、本当にそのままだ。
「はぐれ犬? …撒き餌で殺すんなら、捕まえて犬飼んとこに持っていきなよ」
ついつい、忍犬使いとして余計なことを言ってしまったが、イビキは気を悪くすることもなく、強面を緩めて首を横に振った。
「それは正真正銘の餌だよ。犬用じゃなくて兎用なんだがな」
「ウサギ? …まあいいか。それじゃ、どこかに撒いてくればいいんだ?」
イビキが言った場所は慰霊碑の近くで、カカシが慰霊碑にあしげく行っていることを知っているのか、行ったついでで良いからとイビキは去っていった。
イビキについてアンコも出て行き、ゲンマはあまり喋らないし、カカシは日の高い今のうちに、とため息をつきつつ腰を上げたのだった。
2007.04.02