愛について3
五月も半ばをすぎたある日、カカシは上忍待機所でぼんやりとしていた。
窓から見える空は朝から嫌になるほど晴れ渡っていて爽やかだ。
最近の寝不足気味も手伝って、午後のこんな時間は眠くなってくる。
あくびをしながら、寝不足の原因を思い浮かべた。
冬の終わりから、カカシにとって「帰る場所」になってくれた相手のことだ。
他の誰かにとっては変哲もない男だろうが、カカシにとっては唯一の人。
そのイルカが、このところ寝つきが悪く、夜中にも目を覚ます。
つられて、一緒のベッドでくっ付いて寝ているカカシも目が覚める。
一度は、どうしたのと聞いてみたが、いつもと同じように曖昧な返事が返ってきただけで、理由はわからなかった。
注意してみているうちに、イルカの不眠が夢見のせいだとわかったが、今度は夢見の悪さの理由が分からない。
最近では、イルカが気にするだろうかと、寝付いているフリをしているが、ひと月近く続けば、さすがに日中でも眠くなってきた。そろそろ自分の任務にも影響がでてくるかもしれない。
きっと、イビキにこんな事情を言えば、自宅に戻って寝ればいいだろうが、といわれそうだと思う。
けれど里に居るのに、イルカと一緒にいれないなど、カカシが落ち着かない。
だから昔調合したことのある睡眠薬を作ろうとおもったが、すぐには作ることができなかったので、少しばかり職権乱用して調達することにした。
自分の任務と同じぐらい心配なのが、イルカの健康でもあるから。
イルカがぐっすり眠れれば、万事問題ないのだ。
そう自分勝手だと重々承知している結論を出して、カカシはまた一つあくびをする。
ふと待機所の扉が、ガラリと開けられた。
入ってきたのは珍しいことに、アンコとゲンマだった。
第一声が、
「なんだ、あんた今ヒマなんだ」
でガクリとくる。
「いやいや、なんでそうなるのよ」
「こんな時間に一人でこんなとこ居るんだから、ヒマなんでしょうが」
隣に立つゲンマが、慎ましく、どうも、と目線をくれてカカシも目線で返した。
「違いますー。人待ちなの、これでも」
「はあん。ヒマなんだ」
「…どうしても人をヒマにしたいんだね、あんたは」
言い返す気力が失せて、カカシはぐったりとソファにもたれる。その前にアンコが立った。
ぴらりと一枚の紙がその手に。
「まあねー。これ、付いてきてくんない」
どうみても任務通知書にしかみえない紙面には、アンコとゲンマ、そしてカカシの名前が載っている。
開始時刻は今から半日後の、日も沈みきったころだ。
「夜からかあ」
「なによ、不満? 最近、夜にあんまり出てないじゃない」
理由はカカシにとって一つしかないが、別にどうしてもというわけじゃない。
任務なのだから、イルカが傍にいなくても一晩ぐらい辛抱できる。
「…まあ、俺宛なら断るつもりはないよ。でもいっとくけど、ヒマじゃないからね」
「ふーん、誰待ってんの」
「俺たちはヒマ潰しにこっちに来たんでね。カカシさんが居てよかった」
「ゲンマ、ばらすんじゃないわよ」
やれやれ、と思いつつ、イビキを待ってるんだ、と告げた。アンコの目が興味をもってカカシを見る。こういうところは可愛いんだけどね、と心中で呟いた。
「なに? ヤバイ薬? どんな奴に使うの? ちょっと私も混ぜなさいよ」
前言撤回。
興味は興味でも、違う興味だったらしい。
「…残念だけど、あんたが楽しみにするよーなのと違うの。思いやりに満ちた薬なの」
「ああ、イルカですか」
「まあねー」
「なーんだ」
ゲンマの察しの早さには、内心驚く。ただ最近のカカシが思いやりを向ける先は、イルカをのぞけばせいぜい忍犬か鉢植えぐらいだから、事情を知るものなら簡単に考え付くだろうが。
アンコとゲンマが向かいのソファに腰掛けた。
「最近、イルカさんが寝付けないみたいでさ、時々うなされたりもしてるんだよ。何か原因、聞いてない?」
あいにくとカカシの耳には入ってきていない。
イルカのことに関してはそれなりの注意を払っているつもりだが、カカシも全知全能ではない。とくにこういったことは、知らないときは訊くのが一番近道だと分かっている。紅を初め、カカシの周りはイルカ個人もまんざら嫌いではないのか、素直に情報を教えてくれることが多い。
そんなとき、カカシはイルカという人間を嬉しく思う。
クセのある上忍連中は、気に入らなければ頼んだって動いてはくれないのだから。
「イルカね〜。あ、このあいだ受け付けのカワイ子ちゃんにリボンのついた箱渡してたよ」
「いつごろ? 三月ごろじゃないの」
「な〜んだ、知ってたの。つまんないな」
「部署が変わる後輩にプレゼントだって聞いてたよ」
アカデミーから任務中心の生活に変わる後輩に、何を贈るのがいいのだろうとイルカから聞かれたから、カカシが中身をアドバイスしたのだ。だから覚えていた。
「だいたいそれじゃ不眠になるわけないじゃない」
「わっかんないわよ〜。それがきっかけで付き合い始めたとか」
「それなら俺が気づかないわけありません」
三日をおかずにイルカの家に入り浸っているのに。
「自信満々で可愛くないなー」
「不眠、ですか…。アパートが原因ですかね」
ゲンマが意味深に呟いてカカシの興味を引いた。
「なんでそう思うの?」
「いえ。なんとなくね」
スイッと楊枝が横に動いた。ゲンマの表情があまり動いていないから余計にその動きが目立って、カカシはじっとゲンマの顔を見た。
「なにか俺に隠してませんか、ゲンマさん」
「まさか。気のせいでしょう」
カカシの視線ではゲンマの面の皮を破ることはできないようだ。じーっとみても、ゲンマの楊枝はふらふらと揺れるばかり。
「まあ、カカシさんがアパートだってきいてピンとこないんなら、違うんじゃないんですか。知りたいのは不眠の原因でしょ?」
「あ。もしかしてさ、あんたたちが夜うるさいってイルカに苦情来てんじゃないの〜? イルカはあんたに言い出せなくて悩んで不眠とかね」
「ありえないよ」
カカシは言い切った。
「ありえないって強気ね〜。ふぅん、なんだ、ご無沙汰か〜」
呆れてカカシはアンコを睨んだ。
ご無沙汰などではないが、それをアンコに反論して性生活を晒すのも御免だ。
「うっさいね、ありえないってのは、苦情を言ってくるってことだよ」
「だからさ〜」
アンコを遮って、きっぱりとカカシは言った。
「両隣に、苦情なんて言ったらどうなるか分かってるねって言ってあるんだよ」
2007.03.30