愛について







 テントで赤毛の女が語ったのは、酷い状況だった。

 本来の、山賊退治というのは、首領を殺し、実質とうに終わっているのだそうだ。
 いま隊の半数が昼夜を問わず山に登り、戦闘のようなものを起こしているのは、山賊の残党で、しかも老人やケガ人ばかりだという。
 彼らはもう疲れきっていて、戦闘といえる戦闘などする力はない。けれど山を降りず、抵抗する姿勢を崩さないのは、ひとえに今まで取ってきた隊の戦闘のためだ。
 とくに、首領の首をとったとき、指をまず削ぎ、手足を落としてから絶命させたらしい。
 さらに首をさらして、逃げ延びた者にわざと見せつけさえしたというのだから、どちらが悪逆なのか分からない手口だ。

 攻撃のしかたも、体力と気力を奪うように、包囲したのちの個別攻撃。
 賊の側にしてみれば、昼夜と一人、また一人と知った顔が消えていく恐怖を味わっていることになる。
 その戦闘が、もう一月。
 もはや残った賊は命と引き換えに、一人でも木の葉の忍びを道連れにしようとしている。
 女たちの降伏勧告など耳にない。
 ただあるのは、副長といわれる上忍とその部下たち、そうでなくとも木の葉の忍びを一人でも多く道連れにすること。

 現在は、そんな追詰められた彼らをいたぶっている副長ほか数名が、隊から離れ別行動をし、隊長ほか数名は山の麓、つまりこのテントでただ無為に時間を潰している、というわけだ。ときには糧食の補充や、ケガの手当て、薬の手配でここまでやってくることもあるらしいが、もう別部隊といっていいらしい。
 女は、こんな状況になっていることを、木の葉の忍びとして、恥ずべきことだといった。
 副長があの男でなければ、隊長があんなに副長にたいして弱腰でなければ、もっと早くにこの任務は終わっていた、と断じた。

「…その、副長の名前をお聞きしても」

 イルカにとって聞きたくない名前が、答えとして返ってきた。
 あの上忍だ。
 あいつかよ、とため息を堪え切れなかった。
 ナマクラばんざいとでも悪態をつきたい。
 里の処罰とはいったいなんだったのだろう、といいたかった。
 ようするに辺境に飛ばしただけか。
 たしかにやったことは強姦未遂だから、死罪になどなるわけがないのは分かっていたが、こうも簡単に再会できてしまうということに脱力を覚える。
 所詮は自衛するしかない、ということか。
 イルカは、荷物をもって立ち上がった。

「…色々教えてくださってありがとうございました。とりあえず、俺のテントはどちらになるんでしょうか」

 せめて自分の陣地といえるものが早く欲しくて聞けば、女の目が気弱げに揺れた。イルカの不安がいっそう募ったが、女の口からこぼれた言葉に、よろめきそうになった。

「―――ごめんなさい、無いの」
「……」
「あなたのテント、副長と一緒でいいだろうってことになってるのよ」

 よくねえよ! と叫びたかった。

「隊長、帰るんでしょう。彼のテントを使わせてもらえませんか」
「あれね…副長が自分用に使うっていうんで、今日にでもたたみにくるわ。…そのときに交渉してみる?」
「…」

 無駄な努力といわれそうだが、会いたくない。
 天井の低いテントのなかで立ったまま、イルカは考え込んだ。
 いまきいた現状のかぎりでは、イルカの役立てそうな局面は無い。
 現地ではイルカに性欲処理を要求しているわけだが、イルカはそんな任務を受けたわけではないので、立派な任務内容の詐称だ。
 里へと取って返して、任務を取り消してもうらうも手。
 このまま踏みとどまり、当初の予定どおり、戦闘を終わらせて任務を完了させるのも手だ。
 ただ、どちらの場合も、イルカの尻を狙おうとする輩を排除することができない。
 相当不本意だが、ある程度の既成事実を起こさせてから、正当防衛で性器を切り取ってやるのも手かもしれない、と物騒なことを考えていると、とび色の目が、イルカを見つめていることに気づいた。

「…あの、なにか」
「ね、あなた、うみのイルカ、よね」

 いまさらなにを、と思ったが素直に頷いた。

「はい、そうです」
「アカデミーの? たまに受付してたりもする」
「え、ええ。受付は臨時で、本来の担当はアカデミーですが」

 そう、と女は呟き、

「ひとつ、確認しておきたいんだけど」

 と切り出した。イルカが沈黙で先を促すと、女は改めて聞いてきた。

「ここの副長と、あなた。本当に関係があるわけじゃないのね?」

 イルカははっきりと頷いた。顔が強張る。

「はい。まったくありませんし、迷惑しているほどです。ですから、この状況にたいして打開策を俺に求められても困りますし、隊長副長、どちらの側につくとかいうコウモリになる気はありません。もしそういった役割を俺にお求めなら」
「なら?」
「申し訳ありませんがほかを当たってください。俺は山賊退治をして帰ります」

 言葉の途中から、女の目がからかうようにイルカをみていたから、やや憮然といえば、女は枝がそよぐような声で笑った。

「まっすぐなのね、イルカは」
「…器用ではないんです」
「そう…やっぱりあなたがイルカなのね」
「……?」

 何か含みがある言い方で、けれど悪意があるようでもなく、イルカは内心首をかしげた。

「あの…なにか俺が…?」
「ん? ううん、違うのよ。こっちの話。ただ…」
「ただ?」

 赤毛を弄りながら、女は笑った。

「んー、今あなたがちょっと難しい状況に居るのなら、わたしはあなたを手助けする理由があるの。理由はちょっと聞かないで欲しいんだけど、あなたに無事に里に帰ってもらいたいと、おもってるわけ」

 思っても見なかったことをいわれて、イルカは目を瞬いた。

「それは…大変ありがたいお申し出ですが…しかし」
「なに?」
「いえ…その」

 こんなとき渡りに船、とでもいうのだろうが、ここ最近の出来事が重なり、すこし疑心暗鬼が強くなっていた。
 つまり言いにくいながらも考えたのは、さて中忍の自分などを庇い立てしたところでこの女性になんの得があるのだろうか、ということ。
 イルカが思いつく得など、ひとつもなく、無償の厚意だとするなら、初対面の人間に手厚すぎる。
 だから言いよどんだのだが、女は肩をすくめていった。

「理由がないと信用できない?」
「…」
「じゃあ理由のひとつを教えてあげるわ」

 あなたの本当のお相手を知ってるの、と女は懐かしそうに目を細めて告げた。


2007.03.02