まるでバカみたいに
そのあと、何度、受付所で会っても、以前と同じ態度の彼に、オレは悩んだ。
しかも、最近忙しいんですね、メシちゃんと召し上がってますか、とか、また飲みに行きましょうね、とか本当に以前のように気軽に報告書を確認がてら話しかけてくる彼に、オレはもう引け腰だ。
もしかして無かったことにされているんだろうかと思った。
確かめるために、彼の言葉の尻馬にのって、破れそうな心臓を抑えつつ飲みに誘ってみた。
彼はあっさり頷いて、嬉しそうに行きたい店の名前まで言ってきて、さらにオレを引かせた。
落ち込む。
いっそのこと無理やり押し倒してみる、ってことも考えたけど、正直、オレは同性を好きになるのも抱きたいと思うのも初めてで、それなのに嫌がる相手を無理やりっていう状況で、果たしてオレの息子は役に立つのかっていう不安が先立った。
だから、コトを致すなら、合意が良い。
それが無理だっていうなら、彼とできなくてもいいとすら思う。
合意でない性行為なんて、処理と同じだ。
それなら彼を傷つけないですむ方法をオレは選ぶ。
オレの基準はまず彼が彼であることだった。
加えて、オレがその隣に居ることができるなら、どれだけ幸せだろうかって話なだけだ。
オレは彼を待ちながら、そんなことを延々と考えていた。
呑み屋に入って、料理がでて、美味そうに彼が舌鼓をうって、教え子の近況などを嬉しそうに話したり聞いたりしているときも、オレは頭の上のほうで考えていた。
酒はいつもより多く飲んだけれど、酔いは回らなかった。
彼のほうはいつもどおりホロ酔いになったらしく、ご機嫌な様子で呑み屋をあとにした。
外に出ると、酒の匂いのしない新鮮な空気が頬をかすめる。
夜空を見上げると星空が綺麗なもんだった。
彼はオレより一歩先を軽い足取りで歩いている。
その様子にはまったく緊張感がなく、オレとしても、引くより開き直った。
「好きですよ」
大きくは無いけれど充分に彼に届く声で言った。
彼が振り返る。
「好きです。…分かってますよね?」
振り返った彼の顔が、素面同然の真剣な表情だったから、オレはそういった。
驚くでもなく、聞こえなかったフリをするわけでもなかったから、この前のことを、ちゃんと覚えていて、そのうえで何もなかったかのように振舞っていたんだと分かった。
オレはこんなときでも整然と状況を認識する自分が嫌になった。
次に彼がいう言葉の予想がついたから。
「ごめんなさい、ダメなんです」
ほら、やっぱり。
なんにもなかったフリをするんだから、当然そうだろう。
オレはため息をついて、彼の横に並ぶ。
近くに寄ったからといって何かをしたいというつもりはなかったけど、彼はまったく警戒心もなくオレを見つめていたから、反対にオレは勢いがついて、ちょっと酒で火照っている彼の掌を握った。
「カカシさん?」
「じゃあなんでオレを嫌ってくれないの」
口からぽろりとこぼれてしまったのはグチだ。
だってそうじゃないか。
男が男に好きだっていうんだから、ちょっと考えりゃ同じ棒と玉をぶら下げてる体が好きだっていうのと同意で、彼のようないたって普通の男っていうのは、そういう趣味を気持ち悪がるものだ。嫌ってしかるべきものだ。
この手だって振り払ってくれていい。
オレは彼のことを棒と玉がついてるから好ましいとおもったわけでなく、彼が彼であるから好きなんだ。
すこし思索的な言い方になるけど、彼が歩んでいる人生と、オレの歩むこれからの人生を、分け合いたかった。
彼のことをとても求めていたから。
それが好きだってことだろう?
手を繋ぎあって幸せを感じることだろう。
「どうして嫌わなきゃいけないんです」
「いけないってことはないけど…」
「好きになれないなら嫌いにならないといけないんですか?」
彼の掌はとても温かいのに、いってることはとても冷たい。
「酷いよ、イルカ先生…」
それでもその手を離しがたくて、オレがずっと離さないでいると、彼のもう片方の手がおずおずとオレの項垂れた頭に置かれた。ふわりとした感覚が、さわさわと頭のてっぺんあたりを撫でていく。
「…なにしてるんですか」
「頭を…撫でています」
「は…っ、慰めてるつもり?」
皮肉ったことを言いながら、でも情けないことに彼の柔らかな手を撥ね退けることはできなかった。
項垂れたまま、彼の温もりを甘受する。
とても気持ちよくて、暖かくて、できればすっと撫でていてとねだりたいぐらいだった。
「慰めているつもりはないんですが…」
困ったような彼の声に、オレは少しだけ笑ったけれど、本当は泣きそうだった。
星空の下、フッた相手に慰められるなんて、本当にバカみたいな話だった。
2007.02.25