きっと、遠い光
散々、当てこすられてイルカはすこし辟易していた。
やはりつまらない自慢などするべきではなかった。
はじめは職員室で、隣の同僚相手にカカシの話をしていた。
このあいだはたけ上忍がやってきてさ、けっこうラーメン好きみたいでさ、と浮かれ気分も織り交ぜての雑談。
気づけば真後ろにくの一の教諭が忍び立っていた。
あのときは心臓がまさしく口から飛び出しそうだった。
後ろからひっそりと、それホント? と囁かれたのだから。
イルカの背後が視界に入っていたはずの同僚も驚いていた。
いきなりイルカの背後に発生したかのような瞬身の術だったらしい。さすがだ。
そのくの一に強請られた。
イルカが校内の見回りにいっているあいだでいいから、宿直室の留守番をさせてくれ、と。
イルカは、けしてカカシと約束しているわけではないことや、次があるとは思っていないことを何度も説明したのだが、なかなか聞き入れてもらえなかった。
ようやく、一度試して来なかったら諦める、という話で落ち着いたときはホッとしたものだ。
宿直は約半月に一度回ってくる。
イルカの言葉を真に受けて、くの一は、インスタント食品をたくさん用意して待ってるわ、とはりきっていた。
いっぽうのイルカとしては、くの一と共に狭い部屋に一晩中顔をつきあわせているわけにもいかないだろうし、これはもうずっと見回りをしているしかないのだろうな、と暗澹とする気持ちだったから、わざわざそのくの一の思い込みを訂正してやることはなかった。
カカシはおそらく、粗食を好むのではなく、たんに空腹と疲労がインスタント食品でも美味くおもわせたのだろう。
量もちょうど良かった。
一種類を二人で分ける、というような按配だから、美味しく思える。
イルカだとて、目の前に冷凍食品の餃子や八宝菜の解凍したものや、レトルトのカレーやスープばかりが並んでいれば、侘しい気分になり、美味い食事をとっているとはおもえない。
腹いっぱいになるより、少量のほうが美味しいとおもえることもあるのだ。
そして、あとでよくよく考えれば、一楽のラーメンだとて、一人で食べるよりはナルトと啜ったほうが美味い。
粗食舌だとあのときはおもったから言ったし、同僚にもわざとおなじように言ったが、あのあと思い出したりカカシについて繰り返し考えるこうちに、カカシがやけにしんみりと美味いといっていたのには、言葉どおりだけでない意味があったようにおもう。
カカシがなにを好んで、顔見知りとはいえ、堅苦しい自分と一緒に食事をとったのかは分からないが、カカシが美味いといったのは、きっとそういう意味もある。
自分は気づくのが少し遅い。
「…そうか」
はた、と思い至って呟いた。
独りだけの声は、アカデミーの暗い廊下に吸い込まれていった。
手にもつ懐中電灯は、廊下の先まで一本の光の筋を作っている。
二人で食べることがカカシにとって意味があるなら、きっと今晩の食事も美味いに違いない。
べつに誰かがいればいい話だから、それがイルカであろうと女性であろうと、いやむしろ女性であったほうが美味いだろう。
そのことにいまさら思い至った。
自分の仕事に自己都合でわりこんできた彼女にいい気はしなかったが、カカシが喜んでくれる場を作れたなら、そうふて腐れているのも馬鹿らしい。
カカシはあの年で独身のうえに稼ぎも良い。死なないという保障はないが、死なないだろうという安心を抱かせてくれる男だ。
僻むわけではないが、色んな思惑でもってモテるのもわかる。
「…よりどりみどり」
ってやつだろうなあ、とは思ってしまうが。
もし自分が女の立場であったら、やはり同じようにカカシに近づきたいとおもうだろう。
頭のなかで、今晩カカシが来た場合の、家族団らん的食事風景を思い浮かべてみる。
カカシは満面の笑みだろうか。それとも照れくさそうにするだろうか。よくわからない。
くの一のほうは、やる気に満ち溢れていたから、容易に想像はつくが。
まあそれもこれも、カカシが来たら、という想像だ。
来ない算段のほうが高い。
空っぽの教室を開けて、中に懐中電灯をさしむけて点検する。
「異常なーし」
光の筋が、暗闇のなか、ゆっくりと動く。
夜目が利くように訓練しているからか、暗闇の教室のなかで、ライト一本の光は眩い。
明かりを落としたアカデミーの教室や廊下には、月光や星明りが差し込んで、真の暗闇というわけでもないが、人口の光が通ったあとには、暗闇の濃さは増す気がする。
イルカは教室の扉をしめ、また廊下を歩き出す。
あと四つほど教室をみてまわれば、順路を一周したことになる。
今夜はこれで十週目だ。
いつもの一晩分はこなした計算になる。
この巡回が終わったら、外で休憩でもするか、とおもう。
できれば宿直室で茶でも飲めればいいのだが、もし上手くいっていて邪魔などしてしまっては後が怖い。
闇の続く廊下のさきに、ぽつりと浮かぶ明かりがイルカはけっこう好きだったが、今夜は諦めるほうがよさそうだった。
光の寄る辺ない夜は、長くなりそうだ。
2006.5.20