きっと、遠い光
その予想が裏切られたのが、それから約一週間後。
再訪はまたしても真夜中すぎてのころで、こんどはカカシは疲れきった顔をしていなかった。
手にはマル火スーパーのビニール袋がさげられていて、イルカの視線がおもわずそこに集中する。
カカシは宿直室の扉を丁寧に閉めて、ビニール袋をかかげた。
目はにっこりと細められていて、褒めてといっているようにもみえる。
「こんばんは、イルカ先生」
「は、こ、んばんは、カカシさん」
「あれ、驚いてる?」
「驚いてます」
正直に答えた。
それから我にかえって、うすっぺらい座布団をすすめた。急須の茶葉もかえて、湯をいれた。
「なかなか返しにこれなくてごめんなさい、どのラーメンか分からなかったから」
「は?」
「食べたやつ」
うけとったビニール袋のなかには、竹皮の小さな包みと、袋ラーメン塩五袋入りが入っていた。メーカーも味も、以前にカカシが食べたものだ。
「よく分かりましたね。何味でもよかったんですが…」
「いや、味はすぐに分かってたんですよ。匂いというか。でもどのメーカーかが分からなくて。あんときは朦朧としてて袋みるのも忘れてて」
「…や、忘れてていいですよ」
袋ラーメンのメーカーを調べるためにゴミ箱を除く上忍というのは、想像すると切なくなる。
それにしても調べたのだろうか。
靴を脱いで、座布団に腰をおろしたカカシに茶を出すと、まるでイルカの心中を読んだかのようにカカシが言った。
「まあ、それでメーカーを調べようと思って食べ比べとかしましたよ。おかげでいま、俺んちは塩味ラーメン博覧会」
イルカの口元が緩んだ。
「助かったのは、みそ味とかしょうゆ味より種類すくなくて、そんなに買わなくてすみました」
それでもイルカが知っているうちでは四種類ほどある。わざわざ調べたのだとおもうと、おかしさと同時に申し訳なさも感じた。
「すいません、ありがとうございます」
「それで、これ、よかったら食ってください」
カカシの指が袋のなかを指した。
これ、と指した先には、一緒に入っていた竹皮の包みだ。ちょうど握り飯が三つほど入ってるような大きさだった。
「中身、かつおぶしです」
「かつおぶし?」
「砂糖と醤油の」
「ああ、おかかですね」
とりだしてみると、まだほのかに暖かかった。
「カカシ先生が作ったんですか?」
「はい、あ〜、変なものはいれてませんから」
まさか、とイルカは笑ってしまった。
「いくらなんでも疑いませんて」
「いやいや、忍びたるもの疑わしきは味方から」
「ちょっと違うんじゃないですか?」
カカシがわざと怪しいようにいっていると分かったから、安心してイルカは笑い、
「じゃあ分けませんか。よければ今日も食って行きませんか」
「え? それじゃ持ってきた意味ないじゃないですか」
「でも一人分より多めに持ってきてたんですよ。だから握り飯も食うと腹いっぱいになって寝ちまいそうなんで、どうぞよかったら」
すみません、とカカシがいった。
「まあ大層なものがでてくるわけでもなし、ラーメンはラーメンなんで、本当によければなんですが」
「いただきます」
「それはよかった」
断られる算段のほうが大きかったから、イルカは心からいった。
カカシはナルトに野菜を食べろ等、身体に気を使っていることを聞いていたから、こんな夜中にラーメンなど、むしろ勧めたことで気を悪くするかもしれない、とさえおもっていた。
「じゃあちょっと待ってて下さい、すぐ作れますから」
「俺もなにか手伝いましょうか」
上忍なのに腰の低い人だなあとイルカは感心した。
女性にもてるらしいが、こういうところも点が高い所以だろうと納得した。
「いえ、けっこうです。ありがとうございます」
「でも」
「ここのコンロ、狭いんで一人以上は無理なんです」
そうですか、とカカシが浮いた腰をまた座布団に落ち着ける。
イルカは肩ごしに振り返って見て、座っているカカシを確認した。所在無げだが、大人しく湯のみを前に座っている。
手早く用意しながら、あらためて不思議さに笑い出したくなる。
カカシが、アカデミーの宿直室で袋ラーメンを食べている。
これはちょっと、同僚に言いふらしたいほど愉快だ。
もちろん、言いふらしはしないが、言いふらしたくはなる。
そういうレベルの話だ。
カカシには知られたくない小市民なレベルの話でもある。
知られればきっと気を悪くするだろう。
もしかすると、別にいいじゃないですかと反論されるかもしれない。
上忍だろうが、女にもてようが、煤けた宿直室に居てもいいじゃないか、袋ラーメン食ってもいいじゃないか。
上忍だとて腹は減るし(実際、ふらふらだった)、目の下にクマはできるし(じっくりみないと分からなかったけど)、髭は生えるし(アスマはたっぷり生えている)、歯も磨くし(おそらく磨くだろう)、鼻毛も生える(出している上忍は見たことないが)。
だから、自分で問題提起しておいてなんだが、カカシがこの古ぼけた小部屋で、真夜中、ラーメンを食っていてもべつにおかしいことなどないじゃないか、という結論もでるのだ。
天下の写輪眼のカカシがラーメン。
おおいにけっこう。
思いつつも、やっぱりなあ、という思いがぶり返す。
捨てきれないこの小市民な思いは、なんとなれば、イルカがカカシに憧れめいたものを抱いているからに違いなかった。
始めに下忍たちを介して会ったときよりも以前から、カカシの名は知れわたっていて、年も一つ違いということで憧れは強まった。
憧れは妬みに換わりやすいというが、妬みに変わるには、イルカは自分の能力をきちんと自覚していた。
能力を伸ばすためには、伸ばすタイミングと、方法を見極めなくてはいけない。それが自分の場合、寂しさが邪魔をして忍びとしては良くなかった。
その代わり、人付き合いや生きることへの能力は、それなりについたと思っている。
どちらかを取捨選択したということではないだろうが(天分、というものも多分にあるのだろし)、イルカはこれで納得している。
人との付き合いが見通せるようになれば、できない頃の自分がどうしようもなく見っとも無いものだ。
居たたまれない。
だから、できない自分には戻れない。
忍びとしての道を捨てているわけでも、腐っているわけでもないが、自分はこれで良いと思う。
人と人の繋がりを感じて、大事にしようと思える自分が良いとおもうし、教師という立場になって、周囲からもそう評価されていると分かって、いっそう誇らしい。
そして、自分が誇らしいからこそ、妬みにかわることなく憧れは憧れのまま、いまもイルカの中でこっそりと、埃を被りつつも残っている。
綺羅々しい戦績、経歴、過去。
たとえるなら、ビー玉の光。
とても小さなころにビー玉を石つぶてのようにして的にあてて遊んでいたが、遊んだあと、夕日に綺羅々するビー玉からの光がとても好きだった。
でも、将来忍びを目指すものが、こんなものに見とれているなんてダメだと自分で戒めて、さっさとポケットに仕舞ってしまう、そんなことを思い出す。
カカシへの憧れはそういう昔を思い出す。
いまではそんな憧れも隅へ隅へと追いやったせいで、カカシと接するにも他の上忍と同じようにできる。
けれど、こんなときには、やっぱりちらりとビー玉は残照を煌かせるように顔を覗かせる。
いけないな、とイルカは自分を戒めた。
手元の鍋は野菜と卵がともにぐつぐつと煮立っている。今日は卵を生でなく、ゆで卵でもってきてよかった。
火をとめて、ふりかえった。
カカシ先生、と呼ぶ。
つかのま考えて込んでいたことを気づかれないよう、明るくイルカはいった。
「さ、お待たせしました、丼、出してくださいね!」
2006.5.20