それからしばらくして、上忍に挟まれて酒をのむという状況にも慣れてきたころ、アオバやライドウが参加した。
 イルカの肩の力もほどよく抜け、すすめられるままに呑んだ酒もほどよく回ってきたころであったから、イルカを中心に賑やかな座敷がいっそう楽しげになる。

 驚いたのは、アンコをはじめとした上忍である彼らが、意外と話し上手であったことだ。
 いままで親しく話したことがなかったせいもあるだろうが、アスマの話す仕事の手の抜き方や、アンコの甘味処木の葉マップは面白おかしかった。
 イビキの話は少々恐ろしく、ゲンマは洒脱で粋な小話をきかせてくれた。
 とくに、紅がやってみせてくれた幻術は照れくさくも素晴らしかった。

 酒とつまみでごちゃごちゃになった卓上で、放られていた串をつかっての幻術。
 爪楊枝でできた人型がちょこちょこと歩き、二つの人型が、それぞれに会話を交わす。「イルカさん、最近綺麗になったね」「いえそんな、カカシさんのお陰です」などと言うのだ。
 しかも大仰な仕草でお辞儀をしながら。
 逃げ出したいような恥ずかしさもあったが、その仕草でおもわず笑ってしまった。
 幻術は対イルカだけにかけただけであったので、他のものには見られておらず、イルカはひとしきり紅の技に感心しきったのだった。


 そんななか、イルカが不思議におもったことがあった。
 にぎやかになった座敷の端、ちらほらとイルカのしらない忍びや、顔に覚えがあるが名がすぐに思い出せない忍び、顔はしっているが名まではしらない上忍などの顔がみえたのだ。

 彼らや彼女らはふらりと立ち寄った、とでもいうように座敷のなかには入ってこようとせず、ただ二三言、カカシもしくはガイと言葉を交わしたのちに、すぐに去っていく。
 たまにイルカたちが座っている座敷の奥へと視線をむけてくるものもいるが、ずっと見ているわけではない。
 確認した、というようにすぐに視線はカカシのほうへと戻る。

 相変わらずテンションが高く、酒をすすめてくるアンコや、紅のペースにつられないようにしながら、酔いまじりでイルカはそちらをぼんやりと見ていた。
 それに気づいたアンコが、ふふふと笑いながらイルカにくっついてきた。

「イっルカー、あれ、気になーる?」
「ア、 アンコさんっ? あんまりくっつかないで下さい…っ」

 ただでさえ目の毒な部分があるのに、くっつかれてはさらに体の毒だ。これでもイルカとて健康な成人男性なのだから、カカシがそこにいるといっても、融通のきくことではない。
 あたふたと逃げようとしたが、あいにく隣にはイビキがいて、逃げようにも逃げる場所もなく、イビキに寄り添ってしまえば、あとはくっ付かれるばかり。
 人に挟まれて、くらくらと血が昇って酔いもさらに回る。
 アンコも半分ほど酔ったようすで笑いながら言った。

「気になーる? ってきいてんのー」
「アンコ、呑み過ぎじゃないのか」
「イビキはほんっと世話やきだねー。で、イルカ、気になんない? あれはねー」
「あ、あれは?」
「ふふふー、題して、根回し手回し心配性、よく顔覚えとけよお前らカカシ君だいさくせーん!」
「―――…は?」
「…まあ酔ってるやつのいうことだから気にするな、イルカ」
「やあねアスマ、まだそんな呑んじゃいないわよ。でもふふふ、タダ酒はうまい…―――…、ッ!」


 ガチン…!


 一瞬、目の前に花火が散ったのが、なにかが分からなかった。
 目をぱちりとさせて、それが、カカシのほうから放たれた鉄製の箸置きが猛スピードで、アンコの素早く持ち上げた鮭雑炊の鍋底にぶち当たったからだとわかるには、しばらくかかった。
 いささか呑みすぎているのだろう。
 イルカが状況認識に手間取っている間にも、二人のあいだには目にも止まらぬ応酬が繰り広げられる。

「ちょっとなによ、危ないじゃない!」
「おかしいな、アンコが箸置きが欲しいっていったように聞こえたんだけど」
「嘘つきなさい、このヤキモチ男!」

 ブン! と大きなうねりをあげて、ひらめの煮付けが入っていた鉢が飛んできた。それをアンコが手のひらで受け止めて、さらに手元にあったつくねの串を鋭く放つ。

「アンコって口が悪いのがちょっとねー、イビキはどう思う」
「なにイビキに話ふってんのよ、だから心が狭いっての!」
「そーだよ俺は心が狭いの、アンコはさっきからイルカさんにくっ付き過ぎ。イビキもくっ付きすぎ」
「認めたわね! やっぱヤキモチじゃないよ!」

 いや俺は別に、というイビキのタイミングを失したせりふはまったく無視され、ゴォ! とひときわ激しい音を振りまき、アンコへと石焼ビビンバの土台が襲い掛かった。
 石でできた大降りの鉢は華麗に回転しながら、軌跡を描いて座敷を横断していく。
 アンコはチッと舌打ちをしかたとおもうと、さきほどの鮭雑炊の、鍋の曲線へと土台をすべらせた。
 ギィィ…ッ! と鳴り渡る不協和音を奏でさせながら、土台をカカシのほうへと投げ返す。
 土台の重みで、ブォン! という音がイルカにも聞こえた。
 そして追い討ちで舟盛りの木組船が空を飛ぶ。
 刺身のつまが乱舞しながら、宙を鮮やかに彩った。



「―――…、カカシさん、アンコさん! な、なになさってるんですか…!?」



 イルカは我に返った。

 とっさに声をあげると、部屋の空気が一瞬、止まった。
 カカシが舟盛りを見事な手つきで受け止め、おいかけて襲い掛かるつまも舟の上へと着地させて、自らも着席した。
 そして卓上は何事もなかったように、少々の皿や鍋や舟の位置変更はあったものの、元通りになった。
 カカシが卓上とおなじく何もなかったかのように、口をひらいた。

「…ちょっと、じゃれ合いを」
「じゃれ、合い…」
「うん、そう。じゃれ合い」

 少し無理があるな、と普段だったら思っただろう。が、このときイルカは酒を呑んでいた。すこしぼんやりするぐらいの量を。たとえ一瞬、我に返ったとしても心地よい酩酊感は、思考を幸せ色に染めるのだ。
 あっさりとイルカは頷いた。


「そうですか、カカシさんはアンコさんと仲がよろしいんですね、知りませんでした」
「うん、こう見えてもこういう仲なの。よろしくね、イルカさん」
「はい、よろしくしますね」


 カカシがにっこりと目を細めたから、イルカもにこっと笑った。
 緊迫した場が、どっと崩れて元の喧騒が戻ってくる。
 アンコが大きな音をたてて座った。

「あーあ! ほんと困っちゃうよ」

 ぼやくようなアンコに、「まあそういうな」と声をかけたのはイビキだった。
 イルカにはその言葉の意味は分からないが、ぼんやりと、さっきカカシがイビキに話を振ったという理由がなんとなく分かったような気がした。仲が良い、ということだろうか。

「カカシの心配は分かるさ、用心に用心を重ねていくヤツのやり方は評価も高い」
「そういうのに文句いうわけじゃないけどさ。仕事じゃそれも助かるけど」
「あの…」

 とっさにイルカは声を上げた。
 アンコとイビキだけでなく、周りに居た紅とアスマまでこっちを見た。ライドウやゲンマやその向こうはそれぞれに酒を楽しんでいるようだ。

「なに、イルカ。あ、酒がないじゃない。今日のイルカは手酌は駄目よ」
「あ、いえ、紅さん、そういうのではなく…っ」
「まあついでもらっとけ。で、どうした。変な顔してよ」

 紫煙をふかしながらアスマがきいてくる。
 ゆったりとした笑みに安心感を感じながら、先ほどから不思議だったことを聞いてみた。

「あの、もしかしてカカシさん、まだ仕事中なんでしょうか? 先ほどからいろんな方と話されているので、忙しいのかと思ったんですが…もしそうなら、俺の迎えなんてさせてしまったし、カカシさんに申し訳なくて…」

 ぶ…ッ、とアスマが吹き出した。
 つられて、アンコ、紅、イビキの順に肩を震わせて笑い出した。派手な声をたてないで、ただ肩をぷるぷるさせて、必死で笑い出すのをこらえているようにみえた。

 イルカは訳がわからない。
 分からないから聞いたのに、笑われてしまった。
 困ったまま、ふらふらする頭でぼんやりみていると、いちはやく立ち直ったアスマが、喉を鳴らしながらも答えてくれた。

「い、いやいや、そうじゃねえ。お前さんが気に病むこっちゃねえよ。安心しな。ありゃ、たんに顔見知りと話してるだけさ」
「そうそう、イルカが気にすることじゃないよ」
「でも、たまに真剣そうな顔をしている方もいらっしゃいますし…」
「あー、そりゃ―――」
「ばかアンコ! また舟盛りが飛んでくるわよ!」
「あ、そっか。やばいやばい」
「…?」

 本当に分からない。
 ただでさえ半分酔っているのだから、もっと分かりやすく言ってくれればいいのに、なにやら皆で共謀しているかのように、イルカ以外で話が通じてしまっているようだ。
 むー、とイルカは不貞腐れるような気分で杯に口をつける。
 ぐいっと呷る。
 喉ごしのよい上質な酒だから、するっと胃におさまった。
 笑いながらアスマが注いでくれるのを、ぼんやり見ながら思う。

 カカシが真実、仕事が終わっていなくて忙しいなら、迷惑をかけたくないのに。
 教えてくれないのだから、ズルイというものだ。
 そんなイルカを面白げにみていたアンコが、またずずいと寄ってきた。

「それより、ねー、仕事で思い出したわ。ねえイルカ、ひとつ私の質問に答えてくれる? チャンスがあったら訊こうと思ってたのよー」
「はい、なんですか?」

 ふふふー、とご機嫌にアンコが微笑んだ。
 はい、と答えたことに危機感を覚えるまえに、すばやくアンコがいった。
 しかも、ぐっと声を抑えて。

「カカシって任務にでたら長いときがあるじゃない?」
「え、ええ、そうですね。長いですね」
「でねー、―――イルカって、カカシが居ないときってどーしてんのかなーって?」

2005.08.30