カカシに促されるままついていった先は、木の葉の繁華街から外れたところにある、少々値がはりそうな佇まいの居酒屋だった。古めかしい民家のような家構えを見上げると、カカシが教えてくれた。イルカのために軒先ののれんをあげてくれながら、流暢に話す。
「ここ、後ろのほうが酒蔵でね、もともと酒を作ってたところらしいです。最近、代が変わってね、酒造りだけじゃなくて、こうやって商売で酒をだすようになったらしいですよ。自分のところの蔵だけじゃなくて、いろんな蔵元の酒が揃ってるらしくて酒好きには堪らない店だそうです」
「カカシさん、やっぱり詳しいですね」
「やっぱりってなんですか。俺のこれはウワバミ女の受け売り。さ、入ろ?」
カカシはよく接待をされていそうだから、やっぱり、といっただけなのだが、苦笑されてしまった。
それに、ウワバミ女とは紅のことだろうか。
そういえば紅は以前の任務での土産を酒にしていた。
座敷に案内されながら、ほかにもアンコやアスマのことも教えてもらった。
いわく、度を過ぎた甘党でどこそこの甘味屋ではマークされているとか、酒飲みでなく煙草飲みであるくせにウワバミによく付き合っている、だとか。
「カカシさんって、よく人のことを見ていますね」
「そうかな。見てるつもりはないんだけど、習い性でつい情報収集してるのかもしれないね」
「それは忍びの鑑ですね。さすがです」
イルカは媚びもなく本心からいったのだが、カカシは言葉を流すように「イルカさんにいわれるとちょっと照れるね」と笑って終いにする。
そのまま、まるで店内も酒蔵を改装したかのような雰囲気の通路を折れて、案内された座敷は10人ほどの部屋。襖を引き、部屋に入ると、ドッとにぎやかな声がイルカとカカシを迎えた。
「よお、遅かったじゃないか」
「カカシさん、すいませんね、迎えをお任せして先に頂いてますよ」
「や、イルカさんの迎えは俺でいいから別にかまわないし」
「あらあつーい」
「青春ッてやつだな!」
「なんでガイがいるのよ、俺聞いてないよ」
「ああ、それは俺と一緒のときに話を聞いたからだな。カカシ、邪魔しているぞ」
「そしてイビキを誘ったのはあ・た・し。ねえね、それよりさー、イルカ、こっちおいでよー」
慌ただしく飛びかった会話の隙間にアンコがわけいって、言葉どおりに手まで引かれた。あっというまに座敷の奥の座布団と上だ。アンコと、話にはきいていなかったイビキとの間。
内心、カカシが遠くなって「えぇぇ?」と慌てふためきたいが、そんな失礼なことはできない。
イビキにむかって軽く会釈をして「お疲れ様です」というと、イビキは顔に似合わぬ朗らかな表情でイルカの労をねぎらってくれた。
「さっきまでアカデミーだったんだろう。お前もお疲れさん」
「はい、遅れて申し訳ありません」
「待っていたわけじゃないから大丈夫さ、ほら、とりあえず腹がへっているだろう。メシはどうだ」
イビキから差し出されたメニューを受け取る。開こうとしたイルカの手から、だが瞬間でメニューが消えた。
「もー、ツマミはもう頼んでるよ! ここにきてメシ食うなんて野暮よ野暮! ほらイルカ! 私の酌を受けなさい!」
いってズイッと猪口を差し出したのはアンコだった。迫力にまけて受け取り、そのまま一杯を干すと、喉ごしのよい酒が空きっ腹へと染みるように広がった。
「どう? 美味いでしょ、ここの酒。さ、もう一杯いくよ!」
「は、はあ」
「おいアンコ。イルカは何も食ってないんだぞ。酒よりメシだろ」
横から口をだしたのはアスマだった。ゲンマが、先に来ていたつきだしをそっと回してくれた。ありがたく思って、一緒にまわされた箸をとると、今度は紅が銚子を向けてきた。イルカに優しげな笑顔をみせる。
「ほら、空いたならこっちのも呑んでよ」
「や、あの、アンコさんもそうなんですがまず俺にさせて下さい」
焦っていうと、紅は首を横に振った。
「今日のイルカはお客さん。黙ってお酒、呑んでて。ここの酒、ほんと美味しいんだから」
そういう問題じゃない、といいたかったが、上忍特別上忍に囲まれていて言えるほど、イルカは場を読めないわけではなかった。
恐る恐る酒をうけて、干す。
たしかに、空きっ腹でなくとも腹に染み渡る美味さだとおもう。
カカシはどうしているのか、と斜め向こうの入ってきた入り口のほうをみれば、カカシは入り口すぐのあたりに腰をおろし、隣にいるガイとなにやらいろいろ話していた。
なにを話しているのか気になったが、あいにくイルカの周りにいる面子はそれを許してくれそうにない。
「そうだな、今日のイルカはたしかに客分だ、もてなされてもバチはあたらんだろうな」
「? アスマさん、それどういう…」
「イルカ、こっちの出し巻きはどうだ、うまいぞ」
「ちょっとイビキ、世話焼きはいいけど一緒にあたしの栗きんとん、持ってかないでよ。それ、酒にすごく合うんだから」
「いつも思うんだけど、アンコってよくそんな甘いもので酒が呑めるわね」
「真の酒飲みは羊羹で酒をのむらしいが」
「ゲンマ、それあたしが真の酒飲みじゃないっていいたいわけ?」
「いや、一説ではって話でね」
「そうそう。まあウワバミである奴が全て酒の味が分かる奴かっていうとそうでもねぇってこととおんなじだよな」
…ビシッ。
おんなじだよなはっはっは、と笑ったアスマの顔の横の土壁に、銀杏が刺さっていた串が突き刺さった。
投げた紅はにっこりとして、うふふと笑った。笑顔での応酬に、イルカはもう酒を呑むしかない。
口を挟めるスキがまったくないことでも上忍と中忍の実力を思い知らされてしまった。
ゲンマといえば何も見なかった様子でお品書きをみて声をあげている。
「おーい、この鱧の湯引きの梅和えってのと、青菜の炒め物と、凍り豆腐の田楽に、手羽先南蛮と、鳥皮を五本と」
「あ、あたしも追加ー。次は旭日山の『寒桜』ねー。温燗で二本つけて。あと栗きんとん、もう一皿とー」
「あら、あたしのももう無いわ。じゃあ次は何にしようかしら。アンコが『寒桜』なら、あたしは万富久の『雪見風』にするわ。それ冷で二本ね」
「イルカ、お前もなにか頼んどけ、あいつらに任せたら酒しか頼まねぇ」
こそっとアスマがメニューを回してくれた。いつのまに紅のところから取ってきてくれたのだろう、と思っていると、たんに人数分、メニューが座敷に散らばっているだけのようだ。
ありがたくおもいつつも、イルカはメニューを開かずに、とっさに声をあげた。
「ウ、ウーロン茶お願いしますっ」
だがそんなささやかな抵抗の芽もまたたくまに摘まれてしまう。
「ちょっとイルカー? ここに来て茶ってどういうこと? それともなに、あたしたちと呑むのがイヤだってか」
「い、いえ、そういうわけではっ」
「まあまあアンコ! 人にはアルコール分解成分というのがあってだな、お前のように糖分もアルコール分も分解できる人間ばかりではないぞ」
「ガイは筋肉分解成分があるんだからいいじゃない」
「む? 筋肉が分解しては困るではないか!」
「あーガイは困るかー。で、イルカは旭日山の『椿錦』ね」
「あの、俺、酒もありがたいんですがまずメシを…」
「はいはい。『椿錦』ねー」
最後までいうこともままならず、アンコは「おねえさーん」と座敷の外にむかって声をあげた。善戦空しく、イルカは肩をおとす。
このままのペースで呑まされるとしたら、空きっ腹に酔いが回り、一時間も経たないうちに前後無く酔っ払ってしまいそうで怖いのだが、抵抗できない。この場で泥酔は避けたいところだが。
どうしたらいいのだろうと思っていると、カカシが襖をあけて、通路の仲居を呼んでいた。カカシは皆の注文を聞いていたようで、「鱧の湯引きの梅和と、青菜の炒め物と、凍り豆腐の田楽に、手羽先南蛮と、鳥皮を五本と、それから旭日山の『寒桜』と万富久の『雪見風』と栗きんとん」などとてきぱきと注文していく。
端のほうで、イルカたちの会話など聞いていないようで、しっかり聞いているようだ。
イルカの傍ではまだアンコやガイやゲンマの会話が続いていたが、店員につげるカカシの声はよく聞き取れた。
雑音のなか、カカシが「それからウーロン茶ふたつと、あとこの梅にぎりってのも二皿お願いします」というのが聞こえて、ほっと肩を下ろす。カカシをみているとカカシもイルカをみてくれて、笑いあう。安心するような瞬間だった。
が。
その瞬間を、見られてしまっていた。
「ちょっとちょっとー、なーに二人で見つめあっちゃってるわけー? しかもカカシ、さっきわざと『椿錦』、飛ばしたでしょ! しかもちゃっかりメシ物なんか頼んじゃって。セコイわよ、やり口が。イルカにむかってフ…ッ、なんて笑ってる間があるんだったら、こっちきてイルカの隣にでも座んなさい!」
バーン! と効果音でもつきそうな勢いで、指を突きつけてアンコが言った。まるで宣誓だった。いやむしろ青年の主張だろうか。
酒の注文を通せだの、こっちきて座れだの、内容は非難したカカシとセコさを競っているようだが。
もちろんイルカはそんなことは指摘せずに、俯いて酒をすすった。
一方、カカシのほうは挑発にものらず、肩を竦めただけ。
「いーや、俺はここでいいよ。そっちはイルカさんと呑んでて。ガイも居るしね」
「おー! 我がライヴァルよ! 俺と飲み明かそうではないか!」
「そーね。あとアンコ」
「なによ」
「紅と二人でなに考えてるかわかんないけど、イルカさんを潰さないよーに」
「う―――…わ、分かったわよ」
イルカがめったに見ない、牽制のようなカカシの視線に、たじろぐアンコをみていると、カカシの読みはしっかり当たっていたようで、内心イルカは胸をなでおろした。
悪意がないことは感じられるから、酔い潰されることには憤りも感じないが、上忍ばかりの席で酒をすすめられて、断りきれなかったあげくに潰れるのはちょっと情けないだろう。
しかもカカシもいるのに、そんな醜態は嫌だ。
アンコや紅にはすこし悪いとおもったが、言ってくれたカカシに感謝だった。
「アンコさん、俺に注がせて下さい。どうぞ」
言ってイルカは、まずはアンコへと笑顔で銚子をさしむけたのだった。
2005.08.30