猫にまんまと逃げられた次の日、七班の任務終了後の時間をつかって、カカシはイビキを探していた。
首輪を買ってやろうか、というのはけっこう本気だった。
忍犬はペットではない。愛玩動物ではなく、あくまで戦友といったポジションだ。
見ていて和んだりするものではないから、あのネコを見ていて果てしなく心が惹かれた。
愛玩するなら、バカが一番だ。
しかも言葉が分かっているようなところもポイントが高かった。
本当には分かっていなくても、ある程度しつけも楽だ。
そういった考えもあって、(パックンはじめ忍犬たちは警戒したのか、嫉妬したのか、あんまり乗り気じゃなかったみたいだけど)あのネコを飼ってもいいかもと思ったのに。
結局、逃げられてふいになった。
嫌だったのだろうか、と思ったが、あんなに自分に懐いている様子の動物が、いざ飼おうかというのに逃げるなんて。
それともネコだからこその態度だったのか。
懐くけれど、飼われるのは御免だ、という。
ともかく、カカシはイビキを探していた。
あのネコのことを訊くために。
適当に尋ねていけば、いつのまにか薬剤研究棟へと来ていた。
まだ午後になったばかりの時間だというのに、なにやら怪しげに薄暗い。
早くお暇したいもんだとあたりを眺めながらさがしていれば、イビキさん、とイビキを呼ぶ声がきこえて、カカシはそちらへ足をむけた。
どうやら男がイビキとふたりで話しているらしい。
話の邪魔をするのも悪いとおもい、出るのをためらっていると、話の断片が聞こえてきた。
「でもこれ、成りきりすぎですよ、イビキさん」
「だがそういう風に作ったんだ。成功例だってことだ」
「最初から言っといてくださいよ、俺、大変でしたよ」
「それはお前の本性だ」
「あんなアホネコがですか!」
話の流れに、おもわず聞き耳をたてる。
「ともかく、これ、返します」
「べつに返してもらわなくてもいいんだが、…もう一粒ぐらい、使えばいいじゃないか」
「や、やですよ!」
男の声は、どこかで聞いたような聞いた覚えのないような。
こんなところでイビキと話をしているということは忍び関係のものだろうから、廊下の角から覗き見、というわけにもいかない。
そんなことをしたら即見つかってしまう。
だが、張りのある若い声だ。
砕けた口調ながらも折り目正しく聞こえてくる口調。
語尾がきっちりと発音されきっているからだろう。アカデミーの教員のような。
「もし使ってもう一回会っちまったら、絶対バレます!」
「バレてもいいじゃないか。あいつなら、ふーん、の一言で終わりそうだがなあ」
「俺はそう思えませんね。やったら優しかったですから。ミルクくれたり、首輪買ってやろうかなんて言ったり。実はこんなむっさい男だなんて分かったら、どうなるか! あの可愛がりかたといい、じつはネコ好きなんじゃないですか? イビキさんと同じように」
「そうかなぁ。俺はやつからネコ好きのオーラを感じないんだが」
「ぴぴっとこないんですか」
「そういうことだ」
カカシの目が、訝しげな色から、剣呑な色に変わっていく。
もしや、と思いながら、見つからないぎりぎりの場所までしのび足で近寄った。
すると話している男の後姿が僅かだがみえる。中肉中背、忍びとしては平均的な体つき。そして黒髪。ぴょこんと頭高く括られた髪の毛は、彼の動作のごとに、ゆらゆら揺れていた。
「やつは口寄せするのも忍犬だろう、ネコ好きってわけではなさそうだな」
「けど犬好きでネコ好きっていうのもありえますよ」
「そういうもんかな」
「ですよ。それに、俺の目からみたカカシ先生、すごいキラキラしてて、俺、おもわずふらふら〜って近寄っちまって…なんていうか、ネコに好かれる要素があるみたいな人でしたよ」
「ふうむ、実体験したお前がいうなら、そうなのかもな。ネコに好かれる性質をもっているのか、カカシは」
もしやの思いが、だんだんと確信に近くなってくる。
自分の名前。
ネコ。
イビキと、黒髪の人間。
そしてここは薬剤研究棟。
自分は口にしたことはないが、噂をきいたことがある。諜報用に、小動物の姿になることができ、チャクラを漏らさず好きなときに人型に戻ることができ、記憶も思考も極めてクリアに保たれる。しかも聴覚などの五感にくわえ、直感なども飛躍的に鋭くなるという、まさに諜報にうってつけの薬があるという。
おまけに、後姿の一部しかみえないが、この男。
見覚えがあった。
アカデミー教師で、現在指導している下忍の、元教師。
人のよさそうな顔をして、人を騙すなんて。
しかもこんなタチの悪い。
「まあそういうわけで、これ、処分お願いします。もしバレたら俺、カカシ先生に―――」
「―――俺に、なーに?」
物陰から、気配を現してふたりの前にでていったときの、その光景。
イルカはイビキに試験管を渡そうとした動きのまま硬直。
イビキはカカシをみて、あんぐり口をあけ。
カカシは、剣呑な目つきで、声だけ和やかに話しかけたのだった。
2005.5.7