うわぁ、きらきらしてる。


 彼をみてまずイルカの頭のなかにうかんだのは、そんなわくわくした気持ちだった。
 午後からの半日休をもらって、ほんのちょっとの後ろめたさもありつつ、昼寝だ昼寝だと浮かれて急いだ木陰への道。もちろん途中で、更衣室に寄って、全裸になって服を片付けてから薬を飲んだ。みごとに一瞬で変化したネコの姿。
 いつもと違う視点。
 大きさ。
 感触。
 思考は残るといわれたとおりに、それらの違いをおもしろく味わいながら、窓から飛び出して草を踏んで彼をみたとき。
 さやさやと揺れる木漏れ日が、カカシの銀髪を照らしていた。

 きらきらした、銀色の、凄い人だ。

 わけもなくそう考える。
 なぜだか体がいまにも飛び上がってそこらじゅうを駆け回りたいような衝動がイルカをおそう。
 言葉にはできない。ネコの姿になってカカシをみたとたん、イルカはまるで恋におちたかのように、浮かれた心地になったのだ。
 あのきらきらした人に近寄りたい。
 ふわふわして、ゆらゆら風に揺れてる髪の毛に、体をすりつけたい。
 硬そうな緑のベストや支給服からはカカシの匂いがする。

 それにすりすりとして寄り添いたーい!

 そんな欲求があふれてきてどうしようもない。
 イルカは自分に戸惑った。
 そして思い出す。
 イビキが、まるで本当にネコになったかのような気持ちが味わえるぞ、と最後あたりにいってたのを。
 これだったのか。
 くそー、とおもいながらも、ネコの軽い足取りは止まらない。
 脚がかってにさくさくと草をふんで、カカシの近くにいく。

 カカシ先生ー。

 言ったつもりが、んなー、という鳴き声に。
 これが俺もといオレネコの声かとおもっていると、目の前のきらきら銀色が目をあけた。またイルカの全身が、浮かれたようなわくわく感に襲われる。銀色のまつげがゆっくりとあがって、薄目が気だるげにイルカをみたとき、しゅわしゅわっと痺れが小さな体を駆け上がった。
 青灰色の視線。

 綺麗だ綺麗だ。綺麗で凄い人だ。

 それから昼寝を邪魔したと詰られたが、我慢できずにカカシにすりすりした。カカシは邪魔くさそうに手で追い払おうとしたが、あまり本気で追い払おうとはしていないのか、いらだった様子はなく、イルカは本能のままに、カカシのわき腹あたりに昼寝場所を決めた。
 思うに、カカシはきっと猫を惹きよせる性質をもっているんだ。
 ネコの目からみる世界は明るく広くて大きく、 ネコの目でみるカカシは、綺麗できらきらしていて、懐きたくて仕方なくなる空気をもっていた。

 それに、ネコになると言葉や態度じゃなくて、まるで周りじゅうから信号が飛び込んでくるみたいに、相手のことがわかった。これが動物の本能、というものかもしれない。カカシが追い払う動作をしていても、あまり本気じゃないことが分かったみたいに、カカシのことがわかった。

 カカシ先生にすりすりしたいなー。

 ことりと落ちていく眠りの階段のとちゅうで、イルカのネコ思考はそんなことを考えていた。




 次に目を覚ましたのは、体がぶらんと吊り下げられていたから。

 はえ?

 という声が、にゃ、という鳴き声になった。
 目の前にカカシの顔がある。なにやら手足がぶらぶらするので、首根っこをつまみ上げられているようだ、と寝ぼけつつ確認した。
 あれー、俺昼寝してたのに、邪魔するなんてカカシ先生も酷いじゃないですかー、と言うと「にゃーにゃ、にゃにゃにゃっにゃ、にゃーぁーあー」となった。人間語とネコ語は似ているようで似ていない。
 するとカカシがため息をついた。
 はーぁ、と大きなため息だ。

「お前、ほんと野良? のん気に寝こけちゃって。飼い猫だってこんな酷くないよ。毛並みは良いけど、いったいどこの猫なんだか」

 飼い猫じゃないですよー。毛並みは、昨日髪の毛シャンプーしたばっかだからですよー。

 というのが「ぅーなー、にゃーにゃん、にゃにゃにゃーん」になって、さらにため息をつかれた。

「にゃーにゃーじゃ分っかんないの。…言葉が分かってる風ってことは誰かと契約してんの? お前」

 違いますよー、は「にゃーにゃ」になった。
 カカシは妙な顔をしたが、まぁいいかと呟いた。そして、イルカは唐突に地面に落とされた。ネコといっても、イルカはにわかネコだ。ふぎゃ! とお尻をしたたか打ってしまった。
 ふぎゃ、にゃぎゃーっ、と抗議すると、カカシが「悪い悪い」と笑う。

「ほんとに間抜けだねーえ、お前。よく生き残れてたね、今まで」

 聞きようによっては冷たいような言葉だが、イルカが感じる空気はとても暖かい。カカシは冷たい意味でいってるんじゃない、と分かった。ただからかってるんだ。イルカは構ってくれるカカシの言葉に嬉しくなって、カカシの脚にぐるぐると懐き寄った。

「こーら、俺は電柱じゃないっていってんでしょ」

 邪険にするような言葉も、カカシの本気じゃない。
 喉を鳴らしていると、今度は腹のしたに手のひらがすっと入ってきて、ふわっと空中に上げられたかとおもうと、気づいたときにはしっかりとした腕のなかに居た。カカシの腕のなかに抱き上げられたのだ。気持ちのよい声が、耳に降ってくる。おもわず耳がぴくぴくしてしまう。気持ちよさに目が糸のようになった。

「飼い猫なら人懐こいのも良いけど、忍びと契約してるんなら、こんなに他人に馴れちゃ駄目だーよ。俺も忍犬がいるからよけい思うけど、うちのにこんなことされたらっておもったら、いい気はしないからね」

 ぴく、とイルカの耳が反応する。
 こんなこと、といった口調。
 さっき言葉と違う。
 怒った? 怒ったのかもしれない。
 カカシの「困ったよなぁ」という苦笑いの空気が、腕から空気から伝わってきた。

 咄嗟に大きな鳴き声がでて、カカシの腕から飛び出す。
 怒ったかもしれないカカシに怖くなった。
 そのまま衝動に従って、イルカはカカシから逃げ出した。
 うわ待って俺はまだカカシ先生の腕のなかに居たいぞー、というイルカの理性は、ネコの本能のまえには、サメのうようよする海の上のスイミングボードよりもちっぽけなものだったのだ。



2005.5.7