見つかるまで





 待ってみてもいいかな、と思ったのだ。  彼が見つけるまで。



 七班の報告書を出した帰り、ふと裏に面した窓下を覗いてみれば、見知った姿があった。イルカだ。なにやらせっせと、煉瓦を積んでいる。
 あれって焼却炉だったかな。
 ぼんやりと記憶を手繰ってみて思い出す。大した記憶でもないが、多分そうだったと思う。大きい古ぼけた焼却炉があったはずだった。雨に濡れた古煉瓦の風情が、いつか目にしたときに好ましいと思ったから、覚えていた。それでも随分、本当に随分長いあいだ放りっぱなしになっていたものだったから、今ごろ修理しているのかもしれない。
 イルカは作業に熱心で、上から覗くカカシには気付かない。視線を感じる、ということもないらしい。ある意味鈍感、ある意味、必然からつけた能力か。

 穿ちすぎかね。

 自分の考えに、少し可笑しくなった。
ナルトを担当するようになって、イルカの名を聞くことが、以前より格段に増えた。そしてその度に、ナルトの中の、イルカの存在の大きさと確かさに感心する。ナルトは、その自己の確立の一柱として、イルカを捉えていた。
 正直、「教師」として羨ましさ少し、「忍び」として呆れと苦笑が大半。
 人一人の支えになることを、イルカは多分、自ら了承しているのだろう。ナルトの様子から、二人が信頼しあっていることが分かるから。
 だが、人を支えるなど、言葉でいうほど容易いことではない。
 人によって程度の差こそあれ、皆自分で手いっぱいなのだ。他人にお節介を焼くことが好き、というタチの人間もいるが、それも言ってしまえば己の満足を得るためだ。狭義であれ大義であれ、人はみな自分が可愛い。自分を一番に考えるものだ。
イルカも、そうだろう。自分のことを考えることが一番。ましてや独身の一人暮らしであれば、自分の生活で一日は手一杯なはずだろう。時折できる余裕、その僅かな余裕をナルトに回しているのだろうか―――?
 ナルトへ向けられる視線や言葉の様々を、ナルトと過ごすうちに自らの生活の一部と感じ、それらに対して鈍感であろうと努めたのか。そうして、嫌なことに鈍感になる反面、自身が好意の対象になれば、諍い事は確実に減るから。だから。
 そう考えれば、あのイルカの過ぎるほどの人付き合いのよさ、外面、そして周囲へのある程度の鈍感さは、納得さえするのだ。

 だがやはり、考えすぎだろうか?

 そこまでイルカが自己犠牲を課しているとは考えたくない。
 いや、とカカシは小さく頭を振り、思いを断ち切った。僅か、胸の内が苛立ったときのように燻った心地がしていた。
 見下ろした校舎影。
 ひょこひょこと、イルカの髪が揺れている。
 二の腕まで泥だらけにして、こてに泥をつけて煉瓦を重ねて、黙々と同じ作業を繰り返している。一連の動作が、まるで淀みなく進んで、あと小一時間もしないうちにバテるんじゃないかな、と思わせた。あんまり淀みがないと、集中力が切れたときが辛いものだ。

 カカシは少し目を離して、空をみた。
 太陽はまだ空にあって、日暮れまで二時間ほどだろうか。
 どれくらいで、俺に気づくかな。
 ふと思う。
 あの眸が、自分を見るのはいつだろう。
 こうやって見下ろし続けて、あの男が自分に気づくのはいつだろう。
 少し気になった。
 断ち切ったものの、まだ微かに尾をひく、先ほどの思考がそれを後押しした。
 あの眸が。
 己に向くときはいつだろうと思い。
 そうすれば、――――――まぁ、待ってみてもいいかと思った。
 この後、大した用事もない。
 窓枠に肘をついて、懐からイチャイチャパラダイス下巻を取り出す。イルカをみる合間に、読むことにしよう。
 ここからでは大して表情もみえないが、ひょこりと動く髪の先や、手際よく動く動作をみていると、それも良いと思う。
 チチチ、と窓の近くを鳥が飛んでいった。




 さて。
 結果は一時間半後、だった。
 どうやら疲れたらしいイルカが、空を見上げたのがきっかけ。
 あれ、と聞こえたか、イルカが見上げてこちらに気づいたのがわかった。やっとか、とカカシはひとり笑う。アカデミーの廊下は、日暮れ間近で人通りもない。赤い日暮れ色で、寂しげだった。
 それでも見上げたままイルカが何も言わないので、こちらから声をかけた。イルカは驚いたようだったが、まだ仕事は終わってないようだった。
 始めみたときに泥だらけだった腕は、もっと泥まみれになって、服にもところどころ飛んでいるようだった。この様子では疲労困憊、早く風呂に入りたいだろうな、と思う。
 まだ続けるつもりかな、そうだとしたら手伝おうか。
 そう思う。
 だって、もうすぐ日暮れだしさ。
 心で自分に言えば、残念、イルカはもう帰るらしい。後片付けが残っているそうだ。
 じゃあメシを誘うのも今度にしようかな。
 今日は、気づいてもらえるかどうか、と思っていたのだったし。ちゃんと自分の名前も覚えていたようだったし。
 そう、名前も呼んでもらったし。

「そうですね、それじゃあまた」

 多少、もう少し話をしたい気分もあったが、邪魔をしては悪い。また今度、気づいてもらえるまで待ってもいいし、メシを食いに行ってもいい。
 ナルトのことについて訊いてもいいな。
 良い事を思いついたと、カカシは少し浮かれる。イルカに何かを訊けば、この苛立ちのようなものも消えるだろうか?

 今度はいつ会えんのかなぁ。

 夕日色の廊下、人の影がないその廊下を歩き、カカシは考える。
 窓の外を見れば、廊下と同じように空は色づき、雲が光っていた。
 最近、ナルトたちを慣れさせるために、小手先のような任務任務で、アカデミーに寄るのも任務受付と報告書提出ぐらいだ。今のところ、受付でイルカを見かけたことは無かったが、もしかすれば時間が悪かったのかもしれない。明日、任務受付にでも行ったときに少し聞いてみよう。
 一時間半、腰を折り曲げて妙な体勢で居たせいか、足が少しだるかったが、気分はなぜか上々だった。待ってみて損はしなかった気がする。

 ほんと、なんか可愛いなぁ、俺。

 鼻歌でも歌ってしまいそうなぐらい気分が良くて、つとお蝶の言葉を思い出した。
 きっとあの夜、廊下であの男の心の熱に当てられたのだ。
 あのとき、嘘ではなく魅せられたから。
 それをもう一度味わいたいのかも。
 見知らぬ中忍に思いを凝らす自分に、言い訳して。
 オレンジ色の廊下を通って、家路についた。




2003.1.12