黄金の月
「わっかんない!!!」
―――ダン! とたおやかな拳が、居酒屋の古びた卓袱台に叩きつけられ、ついでガチャンとそのた諸々の小皿や調味料が飛び上がって、音を立てた。
アスマは、それらを紫煙を吐きながら眺め、可笑しそうに唇をゆがめる。
「分かんねぇって言ってもよ、しょうがねぇだろうが」
「そんなこといったって、なんであそこで「はい」って言えるの!?」
「あー、イルカなぁ」
アスマはその顔を思い浮かべて、納得する。
「そりゃあれだろ」
「なによ」
「イルカはカカシにべた惚れだからだ」
「見てたら分かるけど、―――やっぱりわっかんない!」
アスマは苦笑する。
紅の言い分は、さきほどからカカシとイルカの不可解な言動について、鬱憤を吐き出すばかりだ。
カカシには、その身勝手な行動と言動について。
イルカには、カカシの身勝手さを許している寛容さについて。
さらに、今日の昼にみたという、人目はばからぬカカシの告白劇の顛末について、大いに不満があるというのだ。イルカはカカシを甘やかしすぎている、という。
「だいたい、あんなことさらって言っといて、それでずっと一緒に居てくれって言われてなんでハイって言えるわけ!」
これまた苦笑するしかない手厳しさだ。アスマは、紅持参の酒がはいった銚子を傾け、紅の杯に酒を注いだ。紅は「アスマも呑みなさいよ」と返杯してきて、ありがたく受ける。
紅は杯をかるく干すと、紅で染まったままの唇をむぅと曲げた。
「あんなこと言わせる男なんて、最低よ。殴ってやったっていいのに」
くの一として思うところでもあるのだろうか、とアスマは心で思っておいた。紅のいう「あんなこと」というのは、イルカが何もかもを捨てたような目で、己のことを「性欲処理」だと判じたことらしい。紅は内心、開いた口がふさがらず、同時にカカシにたいしての格付け評価を最低ランクに落としたらしい。
「あーんなすれ違いカップル、そう居ないわよね」
「まあな、面倒くせぇだろ」
「言えてる」
ふふ、と紅の表情に、気の強そうな笑みが広がった。やはり、良い女は良い顔をするね、とアスマは思う。
「イルカはけっきょく、どう思ったんだろ、あの言葉」
「どう、ってのは?」
「だからね、もし自分のことを体しか必要とされてないって思ってるままだったらさ、カカシの馬鹿みたいな告白なんて、一生自分の奴隷で居てくれ、って言ってるようなものじゃない。それが分かんない奴じゃないとおもったんだけど、イルカって。なのに、なんて嬉しそうにしてたんだろ」
アスマは、黙って紅の空の杯に、酒を注ぎ、紫煙を燻らせた。
紅の表情には、憂いのような色も見える。本人に言わせると、たんに野次馬根性が旺盛なの、と一蹴されておしまいだろうが、アスマが見ていれば、けっこう真剣に二人の仲を案じているように見えるのだ。
そういうアスマとしても、自分ながら驚くほど、最近、カカシとその想い人であるイルカの動向が気になっていた。こうやって酒の肴に、紅の二人に関する四方山話を聞こうか、というぐらいには。
つまるところ、あの二人があんまり危なっかしいからだろう、と結論はつくのだが、それなりに情緒豊かになってきたように見えるカカシの、今後の成長も気になるところ。
気分はまるで、芽が出たばかりの双葉を見守る気分といったところか。
「まぁ、そりゃイルカにしか分からんだろうさ」
「…人の恋路なんて、からかって遊ぶぐらいがちょうどいいのかしら」
「真剣に鼻突っ込むと、馬に蹴られるって昔の偉いやつは言ってたもんだ」
「あーぁ、私、馬鹿みたいね」
そうでもないさ、とアスマは応じた。
「カカシのやつも踏ん切りのつかねぇとこがあっからよ、けしかけてやるぐらいが良かったんだよ。イルカにしても、悪いようにゃ思ってないだろうさ」
「アスマ…」
まじまじと紅に見られていることを意識して、アスマは気の無いふりを装って、煙草を揺らす。柄にもなく慰めを口にしたから照れくさい。
なにやら顔が熱いな、と思っていると、紅が
「ありがと、…嬉しいよ」
そんな風に言ったものだから、いっそう、顔が火照って困ってしまったのだった。
2004.08.5