黄金の月
開口一番、
「やあ、素晴らしかった。良かった。あんな想像のなかのものだとおもっていた形が、目の前にあったことが信じられんよ、よく見せてくださった」
嬉しげな笑顔とともに、工房の親方は言ってみせた。カカシたちとしても、そう満足してもらえれば、達成感とともに任務も滞りなく終了と報告できるというものだ。
「それは良かった。良いものを作ってください」
いうと、大きく男は頷き、それから思い出したように聞いてきた。
「そうそう、店の者からきいたが、お顔は見せられんかったそうですな。なんなら今からわしがご案内しましょう」
カカシは正直、戸惑って返答に遅れた。たしかに見たいことは見たいが、そう無理してまでというものでもない。商売熱心だな、と感心したこともある。くわえて紅から向けられている訝しげな視線も気まずく、カカシはイルカと目をあわせた。イルカも戸惑ったような様子だ。
「いえ…そこまでしていただくわけには…」
だから語尾に丁寧さをかぶせて辞退しようとしたが、工房の親方は上機嫌なようで、朗らかな熱心さでなおも勧めてきた。そこまで言われると断りにくい、というところまで勧められ、最後にはカカシも頷いた。
紅がひそりと訊いてきた。
「って、何を見にいくのよ」
「あー…ちょっと」
「はっきりしないわね。そうね、私は寄るところがあるし、その店で待ち合わせでいいわね。すぐそこの店でしょ、じゃあね」
止める間もあらんや。紅の姿はしゅっと雲のような余韻を残して消えてしまった。カカシはなかば呆れてしまったが、なんとなく紅の行き先が予想できた。おそらく、酒屋だ。めぼしい酒瓶を、帰るときまで取り置きしてもらっていたのではないだろうか。有り得ることだ。
ともかく、紅の目がないことはありがたい。口に容赦のない紅がいないと、それだけで肩の力みも和らぐというものだ。
「じゃあお言葉に甘えまして…行きましょうか、イルカさん」
「はい」
空から舞う小雪が、ひらりとイルカの唇の先をかすめて、地面へと溶け入る。肌をさす冷気を想い、返事をしたイルカの横顔をみながら、その暖かいだろう掌を取ってみたくなった。
手を伸ばせば届く距離に居るのに。
「では行きますかな」
背中を返した男の姿を目で追い、歩き出すイルカをみる。
人目や羞恥がさえぎって、掌も触れ合えない。
きっとイルカが嫌がる、そう思うから必要以上に触れ合えない。遠慮がある。
それが寂しいと思った。
店は思っていたよりも広く、もしかすると大きな屋敷の広間ぐらいの広さがあったかもしれない。
中に入ると、男は一通りに工房の説明と店内の説明をした。カカシは指輪が見れるという奥の壁際のショーケースが気になったが、イルカは店の入り口付近の妙なオブジェクトに興味を持ったようだった。
男が、イルカの様子ににこやかな頬をさらに緩めて、それらの説明を始める。いわく、これは工房の創作の結果であって、商品というわけではないが、我らの誇りとして見て頂いているのです、というようなことらしかった。
カカシはそういったことには興味がなく、足は一直線に店の奥に向かう。近づくにつれ、数多くの指輪やネックレス、ペンダントトップが並んでいることがわかった。ずいぶんな数だ。
ケースの向こう側の店員らしき青年が、丁寧な一礼をした。
「どういったものをお探しで?」
いわれて、昨晩に少年がいっていたような指輪、というと、青年は心得たように小さく頷き、ガラスのケースからいくつもの指輪がおさまった布張りの箱をとりだした。横に切れ目で列がつくられたその箱には、たしかに二つの蛇が向かい合ったり絡まったりしている形の指輪が、およそ二十ほど飾られていた。
しかし、カカシは装飾品には詳しくない。こうして見せられても、いったいどれがいいのか、などと分かるはずもなく、戸惑って青年をみると、青年が説明を始めた。
「…こちらの工房では、二匹の蛇の、目の部分にお相手さまのお目の色をあわせて、ご用意させていただいております。お相手様のお目の色はお分かりですか?」
「えぇと、黒、かな」
「黒でございますね。失礼ですがご本人様のお目の色は…」
「あー、そうだね…青と…赤かな」
「申し訳ありません、そのお色はすこしお時間を頂くことになります」
「ふぅん、じゃあ青だったら?」
「それでしたら、こちらにいくつかございます。こちらと、こちらと…」
如才ない説明で青年の示した指輪には、一匹には黒く煌々と光る石が、もう一匹には暗く青い石が小さな目の部分におさまっていた。燻し銀の風合いにそれはよく合っていて、カカシには地味に思えたが、イルカには似合いそうだ。だが、指差してめぼしいものを実際に目の前にだしてもらうと、カカシの眉が寄った。
「ちょっとサイズが小さいかな」
「サイズでございますか、大きいサイズでしたらこちらで…」
「あれ、こっちの箱に並んでるのは大きいね、こっちのは?」
青年のだしてきた箱のとなり、同じ大きさの箱に、同じようなデザインの指輪がならんでいる。そしてぱっと見ではすこし大振りに作られているよう。それならこちらを、と思えば、今度は青年が困った顔をした。
「そちらは男性用でございます」
なんだ、とカカシは返事をした。
「女用と男用ってあるんだね、指輪って」
「はい。やはり女性の指に似合う作りと、男性の指に似合う作りは少しずつ違いますので、こちらの工房では作り分けております」
控えめな自負が、説明に滲む。カカシは頷いて、その男性用の指輪がならぶ箱を指し示した。
「あのね、こっちの指輪でいいんだ、あげるの。悪いんだけど、こっちの箱、出してくれる?」
「は、え。こちら、をでございますか…」
「うん、そう。なんか似たようなデザインだし、さっき選んだのと似たようなの、出してもらえる?」
そのときの戸惑った様子に、内心、カカシは苦笑をもらしていた。目を白黒させる、とでもいおうか、ぱちぱちと瞬きをしながら青年は箱を入れ替える。カカシはなんでもない風にそれを待ちながら、眼を背後へとむけた。広い店内で、イルカがまだ男と話している。興味深そうに相槌をうつ姿を、ぼんやりと眺めた。
「―――お待たせいたしました、こちらはどうでしょう…」
だしてきた指輪の造作は、たしかに先ほどのものとよく似ていて、輪の幅がすこし太めになっていた。これでも充分、イルカに似合いそうだと思った。
「良いね。これをもらおうかな」
「かしこまりました」
無駄の無い動きで、青年が他の指輪を箱にもどしケースに直す。そして目当ての指輪をもって、やや離れたところにある棚にいってしまった。見ていると、棚からちいさな箱を出しているようで、カカシは声をかけた。
「いいよ、そのままで」
棚へと背伸びしていた青年は、そのままの体制でカカシを振り返った。
「このまま、ですか? 箱がございますが」
「いや、要らない。それでいくらになる?」
すると青年は困った顔をして、しばらく棚を探っていたかとおもうと戻ってきた。手には指輪と、皮製の小さな袋。カカシの目の前で、指輪を袋へおさめ、すっと差し出した。
「それではこちらはこのままで…それから御代はけっこうです」
カカシは苦笑する。なんとなく、男に案内するといわれたときから、こういう展開は予想できてはいたが。だがこれは任務で必要なものでもなく、ただの私物だ。厚意に甘えるわけには行かない。
「えっと、もしかして親方さんからそういわれてるのかもしれないけど、でも原則的にこういうものはもらっちゃいけないことになっててね。払うから」
「そういうわけには」
出した札を、青年はショーケースの上に置いて、受け取ろうとしない。
「困ったな。ありがたいんだけど、本当に個人的なものだから」
「そう申されましても…」
「うーん」
いっとき、イルカの様子も回りも気にせずに指輪のことだけを考えていた。どうやったらこのスマートでないやりとりを終わらせられるのか、などと。だから、迂闊なことに気が付かなかったのだ。すぐそばに、イルカが来ていたことに。
「―――指輪、買われたんですか?」
「ぅ、…ッわぁ!」
「…っ、カカシさん、吃驚しました、どうしたんですか」
「え、や、なんでも」
ドキドキした。カカシの心臓が、ばくばくと波打っている。いつのまに近づかれていたのか、まったく気づかなかった。とっさに、掌の内に、小さな皮袋をすっぽり包んでしまってイルカの目から遠ざける。知られても問題はないが、贈る前に本人にばれてしまうのはなんとなく気まずい。
「ちょっとね、個人的に欲しかったから、ひとつ」
「そうなんですか、さきほど親方さんに工房の作品をみせていただきましたが、素晴らしかったですよ。彫金にもいろんなものがあるんですね」
「へぇ、そうですか」
イルカの後ろから、その親方が顔を見せた。イルカにたっぷりと話したからだろうか、満足そうな顔だ。その視線がカカシの手元、ショーケースの上の札でとまった。
「それはおしまいになってくだされよ。ほんのお礼の気持ちだ、遠慮されることはない」
「いや、ありがたいんですけど、そういうわけにも…これでも規定っていうのがありまして」
苦笑しつつ説明した。厚意を無下にしたいわけではない、と説明すると、渋面になりかけていた男はようやく首を縦に動かして、紙幣を受け取ってくれた。カカシはやれやれと肩をなでおろす。イルカも、やりとり自体は他でも見聞きすることがあったのだろう、苦笑していた。
「イルカさん、工房の作品、ってどんなだったの」
話を変えるように水をむければ、
「素晴らしかったですよ、水の跳ねる様子を金属で作ってあったり、一枚の板から、よくこんな複雑なものが作れるなっていうぐらいのものまであったり…」
お世辞ではなく本心から素晴らしいというイルカは、子供のようにはしゃいでも見えて、カカシは目を奪われる。感心しきったかのような身振りなど、また知らないイルカの一面を見た気がした。
やっぱ、紅に感謝、かな。心でこっそり呟いて、目を店の入り口へとむければ、ちょうどその姿が、幾本もの酒瓶を手に、扉から入ってくるところだった。あまりに予想どおりで頬が緩んで、イルカへも教える。そうするとイルカはあわてて、紅のもとへ走って、酒瓶を持とうとするから、カカシもそれに倣うかとイルカの背をゆっくりと追う。
掌のうちにあるものを懐へしまいながら、カカシはふいに、この小さな銀製の指輪がひどく大切なものであるように思った。
イルカに渡すそのときを、思って。
2004.08.5