卒業間近
(中編)


「……何があったのかしら」

「急に機嫌が良くなったわよね」

 くの一教室の窓際で、上機嫌でぜんざいをすすっているユキを見て、くの一のメンバーがささやきあう。

 雪かきが始まる前には相変わらず不機嫌だった彼女の豹変ぶりに、彼女たちはまだ声をかけられずにいた。

「何かがあったとしか思えないわね」

 そう判断を下したトモミが、今度はその原因を探るためにメンバーと額をつきあわせる。

 異様な光景ではあったが、ユキはちらりと視線を送っただけで、そのまま笑顔でぜんざいをすすっていた。

「あの子、どこの分担だったかしら」

「見張り櫓じゃなかったかな」

「じゃあ、見張り櫓で何かがあった……」

 彼女たちの脳裏に、見張り櫓の主とも言える、忍犬の顔が浮かんだ。

 しかし、どちらかと言えば決め手にかける。

 あれほど塞ぎこんでいた彼女を救い出すほどの才が、あの忍犬にあるとは思えなかった。

「ぜんざいをもらいにきた時には、だいぶ機嫌よかったよね」

 ユキの少し前にぜんざいを受け取っていたくの一が、そう断言する。

「そうなると、やっぱり見張り櫓で何かあったのね」

「訊いてみたら、どう」

 くの一たちはそれぞれ視線を交わすと、トモミを代表に立て、後方から無言の支援を送る。

 クラスメイトの無言の支援を受けて、トモミはゆっくりとユキの向かいに腰を下ろした。

「ユキ、お餅好きだったわよね」

「どうしたの、突然……まぁ、好きだけど」

 ユキがわからないといったふうにトモミを見つめていると、トモミは笑顔で器を突き出した。

「はい、一個だけね」

「うん……トモミちゃんって、お餅嫌いだったっけ」

 器用に煮崩れかかったお餅を取り上げて、ユキが自分の器へと餅を移す。

 笑顔でそれを見届けたトモミは、ニヤリと口許を上げた。

「交渉成立ね」

「ど、どういうことっ」

 不穏な言葉に立ち上がろうとしたユキを、くの一のメンバーががっちりと押さえつける。

 あわててユキが背後を振り返ると、トモミと同様に笑っているクラスメイトがユキを見下ろしていた。

「さぁ、白状してもらいましょうか。見張り櫓で、一体何があったのか」

「見張り櫓って……聞いてたのッ」

「ふぅん。やっぱり、誰かと話したのね」

 トモミの言葉に、ユキがハッとして口を押さえようと両腕を引く。

 しかし、虚しくもその両手は途中で動きを止められた。

 満足そうにユキの反応を楽しんだトモミは、安全のためにユキの手から器と箸を取り上げさせる。

 完全に抵抗する術を失ったユキがすべてを白状するまで、そう長い時間はかからなかった。

 

 

「……へぇ、ユキちゃんが乱太郎にねぇ」

「う……仕事もせずに家に帰らすのも、少し可哀想かなって」

「それで、街道を三日も一緒に帰らないかと誘うわけね」

 ユキの小賢しい言い訳は、もちろんトモミには通用しない。

 親友の赤くなった表情を目の前にして、彼女はクラスメイトに目配せをする。

 彼女の目配せを受けたくの一が、音もなく教室を出て行った。

「聞くけど、ユキちゃん。本気なの?」

「いいでしょ、別に」

 半分開き直ったような声に、トモミはもう逃げないだろうと確信し、ユキの拘束を解かせた。

 少し冷めてしまったのか、ぜんざいの入った器から、湯気が消えていた。

「乱太郎って言っても、男だしねぇ」

「どうかしら。逆に真面目だから、本当に護衛しかしないかもよ」

「うわ。それって逆に厳しいよねぇ」

 好き勝手な発言をする周囲のクラスメイトに、キレかかったユキが机を叩いた。

 大きな音に、ピタリと話が止んだ。

「いいのっ。どうにかなったらなったで、ならなくてもいいのッ」

 ユキの叫びに、トモミはほろりと涙をぬぐう仕草をしてみせた。

 ほかにも数人が、同じように目頭を押さえる真似をしている。

「健気ねぇ、ユキちゃん」

「そうよ。私たちがついてるわよ」

 叫びのもたらした予想外の効果に、ユキがあわてて両手を目の前で左右に振り続ける。

「ちょ、ちょっと。勘違いしないでよ。本当に、本当にアイツが仕事もせずに帰るのが可哀想だなって……」

 だが、そんなユキの言葉を誰もが聞いてるわけでもなく、トモミはがしっと両肩をつかんだ。

「そのユキちゃんの初恋、見守ってあげるからねッ」

「いや、だからいいって……」

「遠慮なんかしないで。みんな、いいわね。これから卒業まで、何としても乱太郎を振り向かせるのよ」

「オーッ」

「だから、違うんだってばーッ」

 当人を無視して盛り上がりをみせるクラスメイトを相手に、ユキが顔を真っ赤にして机を叩き続ける。

 しかし、彼女たちの盛り上がりに水を差すことはできなかった。

 

 


 トモミたちの行動は素早かった。

 ユキが目を光らせているとしても、所詮は多数に無勢。

 見張り櫓の一件から一週間後には、トモミは再びキリ丸を呼び出すことに成功した。

「……て、わけなの。協力してくれるわよね」

 キリ丸を動かすには、”ご褒美”の一言があればいい。

 トモミは小銭五枚をちらつかせると、ニッと笑った。

 瞬く間に”お手”状態の犬となったキリ丸に、トモミは一枚だけ小銭を渡す。

「残り四枚は成功したらね」

「絶対だぞ。約束だからな」

「もちろんよ。けど、乱太郎から言わせないと、成功とはみなさないわよ」

「簡単さ。乱太郎からユキちゃんに好きだって言わせればいいんだろ」

 そう言うと、キリ丸はさっさと教室へと戻りだしていた。

「本当に大丈夫かしら……」

 キリ丸がやる気になって、成功した例があっただろうか。

 いや、”ご褒美”がかかった時のキリ丸の凄さは並ではない。

 相反する葛藤を抱えながらトモミがその場所を離れると、その直後にはキリ丸のバカ声が学園内に響く。

『乱太郎〜』

「……あのバカッ」

 思わずそばにあった木を蹴りつけて、トモミはくの一教室へと戻らざるをえなかった。

 ヘムヘムの鳴らす、授業開始の鐘が鳴ったのである。

 

 

 その日の授業が終われば、基本的には自由な時間である。

 手裏剣の修行をする者、校庭で遊ぶ者。それぞれが自由な時間を過ごしている。

 乱太郎にしても、キリ丸と一緒に自室で読書をしている今は、楽しい時間に分類された。

「なぁ、乱太郎」

「なに、キリちゃん」

「お前さ、ユキちゃんのこと、どう思ってる」

「どうって、くの一でしょ。意地悪でタカビーで……」

 読んでいる本から視線を離さずにそう答えた乱太郎に、キリ丸は額に汗をかいていた。

 彼の頭の中にあるのは、”ごほうび”のたった4文字。

「ど、どっか、いいトコないのかよ」

「まぁ、ちょっとだけ優しいかな。でもさ、キリちゃん。どうして、そんなこと聞くのさ」

「いや、別に」

 あからさまに怪しいキリ丸の言動に、乱太郎が本を閉じた。

 部屋の壁にもたれて乱太郎の方を向いているキリ丸へにじり寄ると、メガネの奥の目を細める。

「ひょっとして、またトモミちゃんか誰かに頼まれたんでしょ」

「な、何のことだよ」

「白状しなよ。今度は小銭何枚で雇われたのさ」

 ギロリと睨みつけた乱太郎へ、キリ丸は小さな声とともに、右手を開いて突き出した。

「……五枚」

 あっさりと白状したキリ丸に、乱太郎は両手に腰を当てて、萎れているキリ丸を見下ろした。

「あのね、小銭五枚で親友を売らないでくれる」

「いや、簡単なことだったんで、つい……」

 へらへらと笑うキリ丸に呆れながら、乱太郎はキリ丸に更なる自白を求める。

「それで、一体、何を頼まれたのさ」

「乱太郎にさ、ユキちゃんを好きだって言わせれば”ご・ほ・う・び”〜」

 瞬く間に目を黄金色に輝かせたキリ丸へ、乱太郎はため息で応えた。

 この状態になったキリ丸に何を言っても意味がないのは、言うまでもない。

「くの一のトモミちゃんだろ、そのせこさは」

「当たり」

「どうして私が、ユキちゃんに好きだって言わなくちゃいけないんだよ」

 そう言った乱太郎に、キリ丸はあっさりと白旗を上げる。

「しらね」

「それって無責任だよ、キリちゃん」

 二人がやいやいと意味のない口論を繰り返していると、補習あがりのシンベエが部屋の障子を開けた。

 部屋の中に入ると、言い合いを続けていた二人を、不思議そうな目で見ていた。

「ねぇ、何かあったの」

「あ、聞いてよ、シンベエ。キリちゃんがさ、私のことを小銭五枚で売りつけたんだよ」

 シンベエ争奪戦で先んじたのは、乱太郎だった。

 素直なシンベエは、その一言で乱太郎側に腰を下ろす。

「キリ丸が悪い」

「あ、裏切りやがったな。俺はな、ただ乱太郎にユキちゃんへ好きだって言わせればよかったんだぜ」

 数で負けたキリ丸が、そう言ってそっぽを向いた。

 当然とばかりに頷く乱太郎に、意外なところから攻撃の手が上がる。

「あ、それボクも聞いた。おシゲちゃんがさ、乱太郎に言っといてって」

「おシゲちゃんも?」

「うん。何か、絶対に卒業までに伝えておいてって言われてて……今、言ったからいいや」

 能天気にそう言って笑ったシンベエとは対照的に、キリ丸と乱太郎の二人は、あわてて額を突き合わせていた。

「どういうこと」

「知るかよ。大方、トモミちゃん経由だろ。でもさ、これって本気っぽいぜ」

「私がユキちゃんに告白するの?」

「頼むよ、乱太郎。俺の小銭のためにもっ」

 どうしても”ご褒美”が頭から離れていないキリ丸を半眼で睨み、乱太郎は立ち上がった。

 追いかけようとした二人を、乱太郎は両手で制した。

「ダメ。とりあえず、ユキちゃんに会うだけだから」

「いや、確認する奴がいないと……ご褒美が」

「ダメッ」

 必死の剣幕で二人をおしとどめ、乱太郎は部屋を飛び出していった。

 残された部屋では、キリ丸がいそいそと、小銭の入ったつぼを取り出していた。