卒業間近
(後編)


 くの一教室へ侵入することは難しいが、くの一教室から抜け出すことは簡単である。

 それも、卒業を控えたくの一の卵たちが束になれば、ユキ一人を抜け出させることは朝飯前である。

 ……もっとも、今回は二人のおまけ付きではあったが。

「ユキちゃん、いつになく真剣だわ」

 こっそりとユキの後を追いかけるトモミは、ユキの度重なる尾行警戒行動に苦笑をもらした。

 見届け人という建て前で抜け出してきた彼女が、もちろん見つかるわけにはいかない。

 しかし、基本に忠実に背後を確認するユキの行動には、怖さすら感じられた。

「さて、乱太郎も面倒な場所に呼び出してくれなきゃいいんだけど」

 そう呟くと、彼女は隣にいるくの一に合図をして、慎重に枝から枝へと飛び移っていく。

 視界の隅に映す程度に距離を置くターゲットの足が、その場所で止まったからだった。

 

 

 人目をはばかる森の中で、二人が対極に向かい合っていた。

 そこから見える五本向こうの木の枝には、二人のくの一が息を潜めている。

 彼女たちの場所から二人の息遣いは感じ取れないが、声はかすかに聞き取ることができる。

 

「……乱太郎」

「あ、ユキちゃん。突然、ゴメンね」

「いいわよ、気にしなくて。それで、話って何なの」

「その、護衛の件なんだけどさ」

「何よ。やっぱり辞めるって言うの」

「そうじゃないんだ。その、私一人で大丈夫かなって」

「別に命を狙われてるわけじゃないわ。ただ、道中を女一人で帰らせるつもりなの」

 

 

 最初の頃は聞き取り辛かったユキの声が、段々とはっきりと聞こえるようになっていた。

 それは、ユキの声が大きくなっているせいでもあり、聞こえてくる声色は、彼女のいらつきすらも伝えていた。

「あぁ、もう。じれったいわね」

 木の枝の皮をメリッとむしりとって、トモミが感情を押し殺していた。

 歯噛みするほどに進展がない二人を見ていれば、誰しもそのような状態になるだろう。

 すぐ下の枝につかまって同じく状況を見つめているくの一が、無言でなだめにかかる。

「でも、呼び出しておいて、何をやってるのよ。乱太郎の奴も、はっきりしなさいッ」

「まま、ユキちゃんも抑えて、抑えて」

 怒りのために体重が枝にかかってしまったのか、ユキの乗る木の枝が揺れた。

 近くにいた小鳥が、枝の中を上空へ向かって逃げ去っていく。

 

「……乱太郎、あたしを送って行くのが嫌なの」

「嫌じゃないよ。でもさ、ちょっと気になるじゃない」

「何が気になるのよ」

「ユキちゃんの家って豪農でしょ。私なんかが送らなくても、家から迎えが来るんじゃないの」

「来ないわよ。来るなら、護衛なんていらないじゃない」

「わかった。じゃあ、私が責任を持って送るよ」

 

 

 乱太郎の言葉に、枝の上でトモミは拳を握り締めた。

 待ちに待った、決定的な一言である。

 後はどちらかが押せば、なるようになるのだ。

「さぁ、もう一押しよ、乱太郎」

 我がことのように力が入っているトモミを見て、同行しているくの一が苦笑する。

 端から見れば、背中からオーラを発しているようである。

「トモミちゃん、ちょっと落ち着いて」

「さぁ、告白するのよッ」

 

「でも、お金はいらない。だって、ユキちゃんは友達だしさ」

「友達……だけ?」

「え……」

 

 

「えーい、じれったいッ」

「トモミちゃん、トモミちゃんっ」

 なかなか進展しない話に、トモミは今にもクナイを投げつけんばかりの形相だった。

 あわてて同じ枝に手をかけた同行者が、トモミの袖を引っ張る。

 既に懐のクナイを手にしているトモミは、ブレーキが外されれば、すぐさま乗り込みかねなかった。

 

「その……キリ丸から聞いた。私が、その……ユキちゃんを好きかって」

「キリ丸から聞いたんだ」

「うん。どう答えていいかわからないけど、嫌いじゃないよ」

「好きでもないんだ」

「好きだけど、多分、ユキちゃんの言ってる”好き”とは違う気がする」

「はっきりして。好きか、嫌いか」

 

 

「……ねぇ、なんか焦ってないかしら」

「ユキちゃんの方が、ね」

 風向きが変わっていた。

 二人の座っている枝が大きくしなり、彼女たちを地面へと運ぶ。

 トモミたちが心配するほどに、ユキの声は甲高くなっていた。

「泣きそうな声になってたね」

 足音を立てないように、爪先に体重をかける。

 地面とのわずかな接触が、かすかな音を立てていた。

 木の陰に隠れながら、ゆっくりと前進する。

「多分、ユキちゃんもわかってるからね。忍者なんて、そんなに楽な仕事じゃないって」

 そう答えたトモミは、乱太郎たちがその気になれば目に入る位置へ移動する。

 わざと木の陰から半身をさらし、それでも声に聞き入る。

 

「どうして二択なのさ」

「……卒業するのよ。学園を卒業したら、もう会えなくなるわ」

「どうしてさ」

「乱太郎は命を落とすかもしれないじゃない。あたしだって、家から出られないかもしれないし」

「でも、会いに行けるよ」

「わかんないじゃないッ」

 

 

 意を決して二人の間に立ち入ろうとしたトモミを、乱太郎が目で制した。

 そして、ユキへと駆け寄った。

「私はまだ幼いから、多分ユキちゃんの欲しいものは言えない。けど、私はユキちゃんのこと、好きだから」

 乱太郎の手が、抵抗しないユキの背中へまわされた。

 ユキの両手が、乱太郎の襟をつかむ。

 トモミの目に、震えるユキの肩が映っていた。

「乱太郎、ユキちゃんを泣かせたんだから、責任取りなさいよ」

「私がちゃんと送るから、先に帰ってよ」

 泣いているのか、ユキからの返事はなかった。

 トモミが小さく笑って、姿を消す。

 初めて二人きりになったとき、乱太郎はようやくユキの涙をふいた。

「一人前の忍者になるまで、大好きだって言えないけど……ゴメン」

「……ん」

 コクリと頷いたユキの背中を、乱太郎の手がぎこちなくなでていた。

 空が夕焼けに染まり、二人の顔を赤く染め上げていた。

 

<了>