馬鹿と呼べる男


2

 その日、ブライトンは一年ぶりの休暇を得て、故郷である街に帰って来た。

「懐かしい……母上や父上は元気にしていると聞くが、土産を買うべきだな」

 本来ならば街へ帰って来る前に買っておくべきものなのだが、彼はうっかりとしていたのだ。

 気付くと同時に周囲の店に入り、めぼしい物を見てまわる。
 しかし、探せば簡単に見つかると言うものではなく、ブライトンは頭を悩ませながら表通りへと戻った。

 そして、ブライトンが戻るのを待っていたかのように、路地からの悲鳴が上がった。

 

 少女の目の前に広げられたシートは破かれ、ほんの少し前までは瑞々しい野菜だったであろう物体が、
そこらかしこに散乱している。しかもその全てが、無様に潰れていた。

「……わかったかい、嬢ちゃん。ここでの出店は禁止されてるんだよ」

「そんな……ほら、ちゃんと許可証をとってあります」

 少女が懐から取り出した許可証を一瞥し、男は下衆な笑顔を見せた。

「これだけじゃあ、ダメなんだよなぁ」

「役所でもらった許可証の他に、何が必要なんですか?」

 真面目に聞き返す少女に、男の連れがニヤニヤと少女の顎に手をかけた。

「俺達の許可さ」

「そんなの……知りません」

「知らないんだったら、これからたっぷり教えてやってもいいぜ。この街での暮らし方をよぉ」

 既に幾人もの人だかりが出来てはいるのだが、誰一人として彼らを糾弾する者はいない。
 ある者は目を伏せ、ある者は怒りに満ちた視線を送り、ある者は男達と一緒に笑っていた。

 少女が男の手を振り払うと、男の笑みはより一層厳しくなった。

「ほぉ、嫌がるのかい?」

「一生、使えない体にしてやってもいいんだぜ?」

「……なるほど。どうやら、使えない体にして欲しいようだな」

「あん?」

 男に振り向く間を与えず、騎士の略装姿の青年が男の腕を捻り上げた。

 慌てて青年を取り囲んだ男達は、ドスの効いた声を響かせた。

「テメェ、覚悟はできてんだろうな?」

「悪人を糾すのに必要な覚悟など、私は持ち合わせていない。お前たちこそ、このような弱い者イジメは
 やめることだ。さもなくば、この私が叩き伏せる」

「気取んな!」

 正面から向かって来る男に腕を捻っていた男を投げつけ、ブライトンは腰から斧を引き抜いた。

「この斧の錆になりたくば、遠慮はいらぬぞ」

 だが、その脅しにも、彼らが怯むことはなかった。

「上等だッ」

「いい気になるなよ、小僧!」

 気合とともにかかって来た男の刃を柄で弾き、そのまま水平に薙ぐ。
 それだけの行動で、一人の男が天国へと召されていった。

 ブライトンの実力に気がついたのか、残された男はジリジリと間合いを取ると、遠目から剣を投げつけ、
ブライトンがそれを防ぐ間に逃走した。

 

「大丈夫か?」

「は、はい」

 男達を見送っていたブライトンに声をかけられ、少女は慌てて頭を下げた。

「ありがとうございました」

「怪我はないか?」

「はい」

 少女は深々と頭を下げると、荷物をまとめ始めた。
 売り物にはもはやならない野菜をつつみ直す手を止め、少女の肩が震えた。

「う……ぅっ……」

 嗚咽を隠し切れない少女の肩に手を置いたブライトンは、少女が振り向くと同時に微笑んだ。
 不器用なその微笑に、少女は声に出すことなく尋ね返した。

「今日の売上を渡そう。あのような者をこの街にいさせてしまったのは、騎士として不徳とするところだ。
 その野菜、私が買い上げよう」

「そんな……使い物にならない野菜でお代を頂くわけには」

「気にするな。騎士は税金で生きている。罪滅ぼしだと思ってくれればいい」

 少女はブライトンの顔と潰れた野菜を見比べて、曖昧に首を振り下ろした。

 

 


 ブライトンを出迎えたブライトンの母親は、息子が見知らぬ少女を連れていることに喜んだ。

「まぁ、いつのまにこんな可愛いお嬢さんを?」

「母上、ただいま帰りました」

「ねぇ、名前はなんておっしゃるの?」

 息子のことなど無視をして、少女に語り掛ける母親に驚きながら、少女は初めて名前を名乗った。

「……マチュアと申します」

「マチュアさん、ようこそ。ブライトンは奥手で鈍感で少し間が抜けてるけど、実直な子よ。よろしくお願いしますね」

「それが実の息子に言う言葉ですか?」

 嘆息するブライアンに、正面の階段から、騒ぎを聞きつけて降りて来た父親が声をかけた。

「ほぉ、少しはまともな騎士になりおったな」

「父上、ただいま帰りました」

「うむ。おい、その子を風呂に入れてやれ。どうせブライトンが馬から落としたりしたのだろう」

「あら、うっかりしてましたわ。マチュアさん、こっちへ」

 強引に手を引く母親に戸惑ったマチュアがブライトンを振り返ると、ブライトンは苦笑しながら両手を合わせていた。

 

 

 食卓で二人を待つ事になったブライアン父子は、ブライアンの話を聞いていた。

「……ふむ。やはり、暗黒教団の支配はそこまで進んでいるのか」

「はい。もはや抑え切れないものかと」

「隠居を決め込もうと思っていたが、やはり中央に出ねばならぬな」

「父上、御期待に応えられず、申し訳ありません」

 深く頭を下げる息子に、父親は鼻を鳴らした。

「お前には期待はしていない。お前は相応に生きればよい。代々騎士の家系とは言え、所詮は某流よ。
 お前も好きな嫁を取ればよい。心の強い嫁を取ってくれれば、たとえ騎士勲章を剥奪されようとも、
 強く生きて行けるものだ」

 黙って頷いたブライトンに声をかけたのは、風呂場から戻った母親だった。

「ま、好きなように生きなさい」

「母上」

「ほら、マチュアさんも綺麗になったでしょう?」

 そう言って母親の背後から姿を現したマチュアは、見事に着飾られていた。

 元々の気の強そうな顔付きが、彼女を凛々しく変身させていた。

「マチュアか?」

「はい……町娘なので、礼儀を弁えませんが」

 そう言って覚えたての礼をして見せたマチュアを気に入ったのか、父親が歩み寄った。

「いや、礼儀などどうでもよい。このような娘が嫁となれば、このバカも少しはマシになるだろう」

「父上ッ」

「悔しかったら、もう少し気のきいたセリフでも言ってみろ」

「……どうせ私は不器用ですよ」

 嫌味のつもりで言った言葉に深く頷かれ、ブライトンはガックリと肩を下ろした。
 それを笑い飛ばす両親に釣られて、マチュアは初めて笑みを見せた。

 

 

 マチュアの笑顔は、三年間、ブライトンの家に華を添えることとなる。


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