僕が変わらない理由
「いい月夜だな」
「三日月だけどね」
たっぷりと、日は暮れている。
空に上がっている月は、首を傾けなければ見られないところまできていた。「ところで、何で夜なんだ」
街外れの森までやってきた僕たちは、鬱蒼とした森の入り口で足を止めた。
灯りとなるものはランプだけなので、森の奥は吸い込まれそうな闇にしか見えない。「少し寒いか」
僕の問いかけを無視して、メルヴィルが襟元を手繰り寄せる。
寒いのは寒いけれど、心配無用という意味だろう。「僕が聞いているのは、わざわざ夜に来る必要があったのかってことなんだけど」
「魔物が出るのは夜と、相場は決まっている」
「それって、先入観じゃないのか」
「……行くぞ」
どうやら図星だったらしい。
どうしてそんな単純な理由で時間を決めたんだ。「お前、占い師だろ」
「うるさい。置いていくぞ」
途端に不機嫌になってしまったメルヴィルが、ランプを掲げながら森の中へと入っていく。
慌てて彼女を追いかけた僕は、周囲から受ける圧迫感に汗が引いていくのを感じた。「何だよ、この魔力」
思わず口をついていた言葉に、メルヴィルが足を止めて僕を振り返った。
髪の長い彼女を森の中で見ると、それだけで少し鳥肌が立ちそうだ。「確かに。異常なまでに魔の波動が強いな」
「夜ということを抜きにしても、普通に立ってるだけでも押しつぶされそうだ」
「リッツ兄、あまり私から離れるなよ」
珍しく真剣な表情で、メルヴィルが僕の腕に手を伸ばしてきた。
彼女の細い指先に、しっかりと服をつかまれる。「この魔力、普通の人間なら正気を失いかねない」
どうやら、僕は今、メルヴィルの魔力に包まれたらしい。
周囲から感じる圧迫感が、少しずつ和らいでいく。「昼間に出直さないか」
「二度手間だ。どうせ、夜にならねば正体を現さん」
面倒な話だ。
メルヴィルほどの魔力を持たない僕には、魔の正体は判らないだろう。「一人でやって欲しかったな」
「リッツ兄は薄情だな」
「命の危険があるのはね……」
今更、彼女に文句を言ってもはじまらないが、愚痴の一つくらいは勘弁して欲しい。
何より、何か話していなければ、森の奥へ奥へと吸い込まれてしまいそうな気がしているのだ。「……妙だな」
足を止めたメルヴィルにあわせて、僕も足を止める。
周囲を見回している彼女にあわせて周囲を見回してみても、鬱蒼とした木々しか見えない。
魔力は感じられても、その方向性まではわからない。「先程から、同じ場所を歩かされている気がする」
いきなり物騒なことを言いだした彼女を、僕は恐る恐る否定してみる。
「気のせい……だろ」
ランプの明かりでできる影を見ながら歩いてきたんだ。
ダンジョンなどで言われる、右足の法則が当てはまるとは考えられない。「いや、無意識のうちに円を描かされたのだろうな」
「それって……」
「あぁ。おそらく、魔のフィールドに取り込まれたのだろう」
聞きたくなかった台詞をあっさりと口にして、彼女は手にしていたランプを僕の手に渡した。
「さて、どうなるのかな」
「そんな暢気な。まだ、死にたくないよ」
「そうか。リッツ兄と心中するのなら、悪い人生ではないのだが」
普段なら、いくらメルヴィルの言葉だとしても嬉しいような気がする。
けれど、さすがにこの状況下でそんな告白をされても嬉しくない。
それ以前に、そんな言葉が出るほど危険だという状況に巻き込まないで欲しい。「もちろん、心中するつもりはないが」
そう言うと、メルヴィルは懐からタロットカードを取り出した。
その中から十三枚のカードを取り出し、僕へと差し出してくる。「ペイジのカードだ。リッツ兄も、これなら使えるだろう」
「あまり使うような状況にならないほうがいいけどね」
「相手の魔力が読めない以上、もしかしたら自分の身は自分で守るしかなくなるときもある」
そう言うと、メルヴィルはその場で枯れ木を集め始めた。
僕もカードを懐にしまうと、その辺にある枯れ木を拾い集める。「夜を明かすのか」
「いや、待つのだ。おそらく、あちらも私がやって来たのはわかっているだろう」
枯れ木を適当に組み合わせて、メルヴィルが手をかざす。
「炎よ」
彼女の呼びかけに応じるように、枯れ木が自然に発火する。
「ランプは消そうか」
「消さないほうがいい。魔道の炎は、魔道の炎でしかない」
「じゃ、ここにかけておくよ」
近くに伸びていた枝にランプを掛けて、手頃な石を転がして、焚火のそばへ置く。
メルヴィルも少し大きめの倒木の上に腰を下ろして、静かに炎を見つめていた。「どんな相手か、想像はついているのか」
僕がそう尋ねると、メルヴィルは小さく首を横に振った。
僕が言うのもなんだが、ずいぶんと頼りない話に巻き込んでくれたものだ。「はっきりとはわからない。だが、カードが示している」
「ザ・デビル……黒魔術師か」
「そうとも限らんな。何かの拍子に魔に堕ちた者かもしれん」
それきり、僕たちは口を閉ざした。
木の爆ぜる音だけが、静かな森に暖かみを与えてくれていた。