僕が変わらない理由


 

 メルヴィルからの話を聞いた翌日、僕は朝早くから家を出た。
 かつての師匠でもある、メルヴィルの母親に会うために。

 僕の住んでいる街から四つ隣のその街は農場が数多く広がる、農村に近い宿場街である。
 村の西側の小さな丘の上に建っているレンガ造りの家に、かつての師匠は住んでいた。

「失礼します。師匠、いらっしゃいませんか」

 大声で呼びかけると、懐かしい師匠の声が遠くから聞こえてきた。
 僕の名前を呼びながら馬に乗って駆けてくるのは、間違いなく師匠だった。
 三年前に別れたきりの師匠は、僕の記憶よりも少し老けていたけれど、まだまだ元気そうだ。

「お前がここに尋ねてくるとはね。二度と来ないと聞いていたが」

「僕も、ここに来るとは思いませんでした」

 師匠がメルヴィルに代を譲ったとき、僕は師匠の下を離れた。
 それは僕なりのけじめでもあったし、メルヴィルの負担にならないためだった。

「それで、お前が自身で決めた禁を破ってここに来た理由は何なんだい」

 馬を下りた師匠が、玄関を開けることなく僕に尋ねてくる。
 特に隠す理由もなく、僕はありのままに答える。

「ここ最近の人攫いの事件、聞いていますか」

「多少はね。それで、それがどうかしたのかい」

「メルヴィルが、それに首を突っ込もうとしてるんです」

 僕がそう言うと、師匠は少しの間、目を瞬かせ、馬をそばの馬留めへ結びつけた。
 玄関を開けてくれた師匠は、そのまま奥へと入っていく。

「話を聞こう。そこに掛けてくれ」

 師匠に言われるまま、あまり使われていなさそうな応接セットに腰を下ろす。
 奥から戻ってきた師匠の手には、牛乳が入っているコップがあった。

「今朝、搾りたての牛乳だ。珍しいだろう」

「いただきます。それで、メルヴィルのことなんですけど」

「あの娘が、どうかしたのかい」

 コップを傾けている師匠の目が、うっすらと細められる。
 師匠が現役の頃から、この顔は苦手の部類に入る。

「犯人を捕まえると」

「……人なのかい、それは」

「わかりません。メルヴィルの占いでは、“悪魔”のカードがでました」

「人にあらざる魔物かもしれないってことだね」

 師匠はそう言うと、腕を組んで宙へ視線を浮かべた。
 代を譲ったといっても、師匠の魔力は衰えたわけではない。
 言ってみれば、煩わしい国家からの干渉から逃れるために身を隠したようなものだ。

「それで、どうしてお前はそのことを知っているんだい」

「手伝えと言われました」

 正直にそう言うと、師匠は小さく肩をすくめた。

「手伝ってやればいいじゃないか」

「僕は足を洗ったんですよ。それに、占い師がそんなことをする理由がないじゃないですか」

「ま、正論だわね」

 そう言いながら、師匠は僕に賛成してくれている様子ではなかった。
 コップを置くと、肘をついて、僕の方へ身を乗り出してきた。

「あの娘も、お前が足を洗った原因を知りたがってるのさ」

「だから、師匠には言ったじゃないですか。僕には、大アルカナを行使できないと」

 師匠やメルヴィルが扱うタロットカード。
 僕はその中でも重要な大アルカナカードを使うことができなかった。
 単純に言って、魔力が足りなかったのだ。

 そのことがわかったとき、師匠の引退と同時に足を洗おうと決意した。
 そして、実際にその決意通りに、僕はオヤジさんの店に飛び込んだのだ。

「それを、あの娘に言ってやればいいじゃないか」

「一度は言いました。それでも、お前も魔力を持っているじゃないかって」

 はっきりと告げたことはあった。
 それでもメルヴィルは、厄介事が起こるたびに僕のところに来ていた。

「だとしたら……孤独なんだろう」

「孤独、ですか」

 僕がそう聞き返すと、師匠は遠い目付きで微笑んでいた。

「魔力を持つ者は、結局は異端だよ。都合のいい時にだけ崇められ、下手すりゃ犯罪者扱いだ」

「そうでしょうか。メルヴィルは、随分と有名な占い師ですよ」

「魔力ってのは、その響きだけで人を虜にする。麻酔薬みたいなものさ。お前にもわかるだろう」

 師匠の言葉に、僕は曖昧に肯いていた。

「少しぐらいかかわる分には問題ないが、多用すれば全てを狂わせてしまうようなものさ」

 煩わしさを嫌って田舎に住んでいる師匠の言葉は、それほどの魔力を持たない僕にさえも重かった。

「ま、人攫いの件はアタシも調べてみよう」

「お願いします」

 師匠に頭を下げながら、僕は師匠の言葉を頭の中で繰り返していた。

 孤独なのだろうか、あのメルヴィルも。
 そして僕は、孤独から逃げ出してしまった卑怯者なのだろうか。

 


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