僕が変わらない理由
「いらっしゃいませ」
店の扉に付いている鐘が、カランコロンと鳴った。
僕は入り口を振り返ると、笑顔を浮かべて、新しく入ってきたお客を出迎えた。「テーブル席」
「かしこまりました。どうぞ、こちらへ」
壁に掛けられている時計を見ると、時刻は昼の二時に近い。
そろそろ昼食時の混雑も終わろうかといった時間だ。
一人客をテーブル席に案内しても問題はないだろう。そう判断した僕は、片付けたばかりのテーブル席へ手を広げてみせた。
いつもより遅い時間にやって来た常連客が、鷹揚に僕からメニューを受け取る。「今日は遅かったね」
「午前最後の客がな、話好きだった」
「そうか。ま、オヤジさんにも言っておくから、ランチセットでいいよ」
本当なら、ランチセットの時間帯は過ぎてしまっている。
だけど、ほぼ毎日店に来てくれている常連客に少しぐらいサービスをしたっていいだろう。
オヤジさんも、そんなことで怒るような人じゃない。「さぁ、何にする」
彼女は無表情にメニューを下から順に眺めていくと、そのままの流れで僕へ視線を向けた。
「今日のオススメは」
「クリームコロッケ。今、賄い分を作ってもらってるところだから、揚げたてだよ」
「なら、それ」
「かしこまりました」
満水近くまで満たした水差しを置いて、厨房へと引き返す。
店長兼コックのオヤジさんが鍋の中をのぞきながら、僕に注文を尋ねてくる。「クリームコロッケ。ハンバーグは余ってましたっけ」
「あぁ。なんだい、嬢ちゃんかい」
先程の常連客のことは、店長もよく知っている。
むしろ、僕がここでお世話になる前からのお得意様だそうだ。「えぇ。最後の客が、話好きだったらしいですよ」
「商売繁盛だなぁ……ほい、揚がったよ」
からりとキツネ色に揚がったコロッケは、誰が見ても美味しそうだ。
皿の真ん中のキャベツの上に寝かせて、付け合せのサラダを選ぶ。本来ならポテトサラダを迷わず添えるところだけれど、今日は切らしてしまっている。
仕方なく、他のメニューの付け合せ用に作っておいたマカロニサラダを皿に盛り付ける。「今日、お客さん多かったんですね」
「何だ、ポテトサラダがなくなってるのか」
「そうですよ。後で肉のストックも見ておかないと」
「昼間は準備中にしておくかねぇ」
そうした方がいいのかもしれない。
いくらなんでも、サラダのストックなしでの営業は厳しい。「この皿、マカロニでいいですよね」
「まぁ、嬢ちゃんなら文句は言わんだろう。カボチャのも切れてるのか」
「カボチャのは、さっきの客で切れちゃいました」
彼女が好きなカボチャサラダも、今日はもう品切れだ。
お詫びの代わりに、普通よりも少し多めにサラダを盛り付けて、彼女の席へと持っていく。「お待ちどうさま」
よほどお腹が空いていたのか、置かれた料理を見た彼女の表情が珍しく緩んだ。
それでなくてもオヤジさんの料理の美味しさを知っている人は、こちらが料理を出すと喜んでくれる。「美味しそうだな」
「オヤジさんの特製ですよ」
「これが君の食べたかったものだとすると、余計に美味しく感じられるな」
そう言って、彼女は意地悪く笑った。
その仕草は彼女が機嫌のいい時にしか見られないものだ。
僕は特に気にすることもなく、厨房へと戻ろうとした。「ところでリッツ兄よ、話があるのだが」
「話と言われても、こっちは仕事中」
「どうせ、今から奥で賄いを食べるのだろう。ならば、ここで一緒に食べればいい」
「どうせ、面倒な話なんだろう」
そう言って戻ろうとした僕の背後に、僕の賄いを持ったオヤジさんの笑顔があった。
「まぁ、せっかくの嬢ちゃんの申し出だ。断る必要もねぇだろうが」
「うむ。特別に許可するぞ。リッツ兄よ、ともに食べようではないか」
少々芝居がかった口調で、彼女が向かいの席を指した。
オヤジさんも悪乗りしているのか、皿を向かいの席へ置くと、さっさと厨房へと引き返してしまった。「……わかったよ」
「人間、諦めが肝心だな」
そう言いながら、彼女は目の前のコロッケを食べ始めた。
食べ始めると無口になる彼女の前に座り、僕も賄いを食べ始める。目の前で食事をしている彼女は、実の妹ではない。
僕からすれば本家筋に当たる家の一人娘で、名前をメルヴィルという。
占い師の一家に生まれ、彼女自身、若い割には相当高名な占い師として、この街で暮らしている。一方の僕はといえば、この店の給仕兼接客兼掃除係である。
どうしてリッツ兄という呼ばれ方をしているかというと、理由を話せば簡単な話だ。
僕が彼女の母に師事していたときの名残で、何となく続いてしまっているだけ。「美味かった。ところでリッツ兄よ、少々厄介な事件が起きた」
マカロニサラダを半分程度残したところで、メルヴィルが話を切り出した。
正直なところ、リッツ兄と慕ってくれるのはかまわない。
だけど悲しいかな、それは今みたいに厄介事を相談に来るときだけだ。
他のときは、見向きもしてくれない。「聞きたくない」
「ふむ。どうしてもというのなら教えてやろう」
「だから、聞きたくないと」
せめて、このハンバーグだけは冷めないうちに食べてしまいたい。
ここで彼女の話を聞けば、美味しく食べきることはできないだろう。「わかった。食事の遅いリッツ兄のために、少しだけ待とう」
「その恩着せがましい言い方、どうにかならないのか」
「職業病だな。何しろ、私のところに来る客は、一様に助けを求めているのだから」
占い師に頼ろうという時点で、彼らの心は少し弱気になっている。
それをうまく補ってやるために、彼女は常に上からものを見た発言をするという。
というのは建前で、本来が高飛車なお嬢様なだけだと思うけれど。「ふぅ……ごちそうさま」
僕がハンバーグを食べ終えるのを待って、メルヴィルが一枚のカードを差し出してきた。
「最後の客を占っている時、このカードが正位置で出た」
「ザ・デビル。魔王のカードか」
メルヴィルが占いによく用いる、タロットカード。
彼女が出してきたカードには、悪魔と奴隷にされた二人の男女が描かれていた。「意味は知っているな」
「一応はね」
これでも、ここで働く前は占い師の弟子をしていたんだ。
もちろん、このカードの意味だって覚えている。「なら、話は早い」
「それで、どういう話だったんだい」
僕が食後のお茶に手を伸ばしながら尋ねると、彼女は問題の依頼の話を話し始めた。
「相談に来ていたのは、おそらく衛兵だな」
「衛兵が占い師のところにきたのか」
「まぁ、変装はしていたようだがな。だが、椅子への座り方、独特の敬語は隠しようがない」
その辺りの観察眼は、彼女を信用してもいいだろう。
一日に何人も、それもさまざまな職業の人間が占ってもらいに来るのだ。
人を見る目も養われて当然だろう。「ここ数ヶ月、西の森で女が行方不明になっている事件があるだろう」
「あぁ、聞いたことはある」
「その相談だった。城の連中も、どうやら手掛かりがないらしいな」
そう言うと、メルヴィルは喉の奥でクックッと笑った。
他人を嘲笑うその仕草は堂に入っていて、笑われていても見惚れるほどだ。「妹が心配だとか言っていたが、次に事件が起きそうな日付を聞いてきたからな」
「それで、占ったのか」
「あぁ。事件のことに関してのみだが」
「その結果がこのカードなのか」
元々、堕落に近い意味を持つ、悪い印象のカードだ。
できることなら、お近づきにはなりたくない。「衛兵に任せるっていうのは……」
「無駄だろう。かえって被害を大きくするだけだ」
あっさりと衛兵の実力を切り捨てて、メルヴィルが顔を寄せてくる。
思わず身体を退こうとしたが、退いたところで逃げられる距離でもなかった。「リッツ兄には、私を手伝ってもらいたい」
冗談じゃないぞ。
そんな行方不明事件に首を突っ込むなんて、自殺行為もいいところだ。「遠慮するよ。今の僕は、ただの飲食屋の店員だよ」
「謙遜する必要はない。リッツ兄は、私の助手として十分な力がある」
「勝手に決めるな」
食べ終わった皿を持って、席から立ち上がる。
食器の重なり合う音が聞こえたのか、厨房からオヤジさんが顔を出してきた。「せっかく、嬢ちゃんが仕事を持ってきてくれたんだ。手伝ってやりな」
「オヤジさん、話、聞いてたでしょ」
「まぁ、少しだけな」
そう言って顎を撫でたオヤジさんは、次に信じられないことを口にした。
「お前がいなくなりゃ、若い娘さんでも雇うかな」
「そ、そんな……」
この三年間、必死になって働いてきたのにこの仕打ち。
冗談だとわかってはいても、ちょっと心に隙間風が吹いてきそうだ。僕がオヤジさんの言葉に絶句していると、メルヴィルが再びクックッと笑いだした。
「嬢ちゃん、かまわねぇ。しっかり、こき使ってやってくれや」
「承知した。リッツ兄、お許しが出たぞ」
「ちょっと待て。納得いかないぞ」
冗談じゃない。
オヤジさんも、何を一緒になって煽ってるんですか。「さて、しばらく店員募集の張り紙でも張ろうかねぇ」
「手伝おう。自慢だが、絵を描くのは得意分野だ」
喜々として店員募集の張り紙を作り始めたオヤジさんとメルヴィルを見ながら、僕はため息を吐いた。
そして、とりあえず食べ終えた食器を洗うために厨房へ入ることにした。
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