恋歌は風になった

第五章


 マンスター城の、「白狐の巣」の一室で、セティはアームチェアに座りながら、両手を口元で組み、微動すらせずに考えていた。
 (…ユリウス皇子を、正気に戻せればいいのだが…)
 セティの頭脳の中では、最大の敵を、マンフロイにしている。
 だが、完全にロプトウスに肉体も精神も乗っ取られている可能性もある。そうなれば、打つ手はない。
 そして、イシュタルもセティも薄々気付いている。それは、聖戦士として、「神々の武器」を使う時、自分の精神が「大いなる意思」と融合する事を。
 セティは、父レヴィンから「フォルセティ」を手渡されて以来、それを感じている。
 (もし、暗黒魔法の「ロプトウス」も同じなら…ユリウス王子は精神を支配されたかも…)

 (ユリウス様は、もう…)
 マンスター城の王室の天蓋ベッドに身を沈め、イシュタルは思った。
 (優しいユリウス様は…もう)
 少女時代、雨が降る中、自分にコートを被せてくれた優しいユリウスに戻れないのだろうか?
 森に迷い、帰り道が分からないまま、道をさ迷い、雨に降られ、森の小さな洞窟に身を隠して、空腹と寒さと、孤独さに怯えていた時、真っ先に助けに来てくれたのは、息を切らし、必死に探してくれたユリウスだった。 
 自分の冷えた体にコートをかけてくれ、全身ずぶ濡れになり、疲労が激しいながらも、笑顔で見つけてくれたユリウス。
 そのユリウスは、もう帰ってこない…。
 哀しくて目が潤む。
 だが、あの時のユリウスに似た若者が現われたのだ。
 優れた知性を、正しく使える教養を持つ若者が。
 セティ・シレジア二世。
 全く見ず知らずの人々を指導し、その人々から支持され、勇気と理想を与える若者。
 (…私は…)
 (ふしだらな女なのかも知れない…)
 (…ユリウス様を裏切れない…)
 (でも、…セティに惹かれていく自分が分かる…)
 イシュタルの心の神殿で、二人の男が揺れ動いた。

 また、セティといえども、有能では有っても万能ではない。
 確かに、王としての才能は疑いもなく有能であり、魔法学に関する知識や応用学にも精通し、あらゆる学問や芸術にも秀でているが、色恋沙汰に無頓着である。
 それは他人事でも、自分の事でもある。
 生まれてからというもの、多くの学問や礼儀作法を叩き込まれ、遊ぶ暇がなかったのも事実だが、幼い頃からその様な生活を続けてきたセティは、意外な方向に反動が出てきたのだ。
 普通は反抗期等で、子供達の反動は消えるものだが、反抗期が皆無であったセティの反動は、恋愛沙汰の方向に向き、極端に女性に関心を示さなくなった事であろう。
 …だから、今、自分が不思議な感情に、心が苦しいのに気付く事はなかった。
 そのセティが、周囲にそのような素振りを全く見せずに、街の開拓計画や、水脈発掘等の計画に目を通し、的確な指示を出す。
 「戦争避難民達に優先的に仕事を与える様に。彼らは土地を失い、財産を失っている。彼らが富める民にならねば、本当に富める街にはならない」
 人が動き、流通も活発になり、マンスターは活気を取り戻している。
 それを、「白狐の巣」の主人、セルジオは嬉しそうに、中庭でいるセティに感謝した。
 「…おかげで街も昔の活気が出てきました。ありがとうございますセティ様」
 中庭のテラスで、書類に目を通し、訂正をしながら笑顔で答える。
 「私ではないです。街の皆の力ですよ、セルジオさん」
 「しかし、セティ様が指導してくれたからこそ…」
 「違います。私は畑を耕す事は出来ない。森で獲物を捕まえる才能もない。動物を解体する事も出来ない。建物を建てる技術もない。…口で指示する私より、行動する皆の力の方が偉大です」
 そう言って、座っている見事な細工の入った椅子を軽く叩く。
 「椅子だって私は作れない。料理だって出来ない。偉大なのは職人ですよ」
 紅茶を口にしながら、さらに付け加える。
 「人間は、全員集まってこそ、偉大なのです。アルヴィス皇帝は、自分ひとりで全てしようとしているからこそ間違いを起こしました」
 「…でしょうな。我々も、キュアン様が生きていればと思います。キュアン様ならさぞかし名君になったと思いますしね」
 「そして、この『白狐の巣』の宣伝になる。現国王のキュアン様が、王妃エスリンに求愛した中庭のある宿と」
 「ハハハッ。分かりますか」
 今の所、街の人々の間で、セティの正体は、我等が国のリーフ王子と仮定する人もいるが、セルジオは違うと見ている。緑石色の瞳と髪である彼が、レンスター人ではないと。
 それに、レンスター人特有の強いアクセントの発音が皆無である。
 きれいなレンスター語を使っているが、発音は明らかに外国人のものだ。
 「…ところで、リットリオの帰りが遅いな…」
 セティは首を傾げた。
 セティは、万能ではない。その証拠に、リットリオは今、トラキアの追っ手を振り切りながら、怪我を負い、森に隠れていたのだ。

 

 

 イシュタルは、城から出ていた。
 目的があったのではない。「音」に導かれるように外に出て行ったのだ。
 門兵は止めなかった。 
 いや、門兵も、「音」に耳を傾けていた。
 軽快な「音」が、心地よく人々の耳に刺激する。
 その「音」の発生地には、大勢の人だかりが出来ており、中央にはベルナルドが、素朴な笑顔で、歌っていた。
 イシュタルは足を止め、人だかりの外で、耳を傾ける。

 …それは、恋歌であった。
 純粋な想いを歌った恋歌であり、素直な気持ちを詩にした歌であった。
 周囲の人々は若いカップル達が多く、素直で素朴な歌に耳を傾けている。
 イシュタルも素直に耳を傾け、思い出に浸った。
 ユリウスが、雨の中を必死に探してくれた日の事と、セティの理性的で教養溢れる人柄に惹かれていく今を感じながら…。
 近くには、クレスティオンヌが、ベルナルドの演奏を見守るように母性的な瞳で見ている。
 それに気付いたイシュタルは彼女の傍まで近付いた。 
 クレスティオンヌは、イシュタルに気付き、軽く頭を下げる。
 「イシュタル様ですね、帝国の特使の」
 「ああ、…ベルナルドは本当に歌がうまいな」
 「ええ、決して美声でもないですけど、素朴で心に響く曲です」
 「…彼と結婚するのか?」
 「はい、私も彼も戦災孤児です。お互いの淋しい境遇を支えあっていく決意をしました」                          多少照れながらも、クレスティオンヌは言う。年齢はどうやら、自分よりふたつは上のようだ。 
 「…失礼ですが、イシュタル様にも好きな殿方がいるのですか?」
 クレスティオンヌが質問すると、イシュタルは無言のまま、力なく頷いた。
 (今、私は、ユリウス様とセティ…どちらを思ったのだろう?)
 心の中で自問するイシュタルに、クレスティオンヌは、微笑した。彼女はイシュタルが好きな異性を、自分達が認めた指導者だと思っているらしく、丁寧に呟いた。
 「あの御方は、偉大なる人物です。おそらく大陸の年代記に名を刻み、後世の歴史学者達の研究対象になる御方だと思います」
 イシュタルは黙って、クレスティオンヌの話を聞いている。
 「私は、あの御方を尊敬しています。優しくて、慈悲深く、それでいて屈服しない強さを持っています。…人間として尊敬しています」
 「尊敬?…尊敬だけでいいのか?」
 イシュタルは疑問に思い、尋ねる。
 「貴女の言葉を聞くと、セティを愛していると思われるが?」
 すると、クレスティオンヌは微笑しながら首を横に振り、
 「私は、セティ様を尊敬こそすれ、愛せません。何故なら私とセティ様は住む世界が違います」
 彼女は小声で、ベルナルドの演奏を聞きながら、周囲の耳を刺激させない程度に囁く。
 「セティ様は、多分王族出身で、おそらくレンスター王国の王侯貴族出身だと思うのです。王族と、平民の私では住む世界が違いますし、それに私の様な女性には、セティ様は興味を示しません」
 「…言い切れるか?」
 「はい、住む世界が違いすぎます。…それにセティ様がいくらステキでも私には、大陸で二番目にステキな御方にしか見えません」
 そう言って、演奏を続け、周囲の人々に安堵感を与える曲を演奏し、歌うベルナルドを見た。
 「クレスティオンヌ。…貴女ははっきりと言う女性ですね」
 「ええ、恋愛に関しては、素直でいたいのです。素直にその人を愛し、素朴に愛したいのです」
 「…素直に…素朴に…」
 後者の言葉に感銘は受けなかったが、前者の言葉には、イシュタルは心に刻んだ。
 (…私の素直な気持ちは……)
 ベルナルドの演奏が終わり、拍手が周囲の空気を響かせた。
 彼の歌った恋歌は風になり、人々の心に清涼感を与えた。

 

 

 リットリオは気付いた。
 全身に激痛が走る。トラキアの追っ手が彼に襲い掛かった。
 猛禽の如く、敵を強襲し、毒蛇の如く徹底的に敵を追い詰めるトラキア軍の追っては熾烈であったが、逃げるリットリオは、僅差で上であった。
 彼は逃げ切り、身を隠しながら、ようやくマンスターに戻ってきたのだが、正門の前で気を失ったのだ。
 それに気付いた門兵が、その倒れた人物が、セティの直属の密偵であると分かると、直ぐに介抱した。
 そして、彼は神殿で手厚く看病されている時、正気を取り戻した。
 「ここは?」
 女官の一人が笑顔で頷き、
 「マンスターですよ」
 その名を聞くと安心すると同時に叫ぶ。
 「セティ様は!?」
 女官に叫ぶと、誰かが自分に近付いてくるのを感じた。
 振り向くと、緑石色の髪と瞳の青年が、冷えた水の入った水差しを持って、リットリオに渡した。
 「良く戻ってきてくれた。まあ、まずは飲め。話はそれからだ」
 セティであった。
 リットリオは、セティがここにいる事に驚きながらも、恭しく水を受け取り咽喉に流し込んだ。
 (これは!)
 冷えた水ではなかった。冷えた白ワインであった。
 飲み終えた時、息を吐くと同時に、補給した水分の内、わずかばかりは目に移動し、瞳を濡らした。
 「トラキア軍にやられたのか?」
 セティは真剣な眼差しで尋ねると、リットリオは力強く頷いた。
 「トラキア軍は、マンスターと帝国の不調和に気付きました…。この機を狙い、このマンスターに出兵してきます」
 その言葉に、女官は驚き、セティは微かに笑った。
 その笑いは、計算的な笑いである。自分が笑うと、周囲は意外と安心して、冷静になる。この事をセティは自分自身が一番知っている。だから、周囲が驚くような事になれば、まずは笑う事にしているのだ。
 「敵の兵力は分かるか?」
 「はい、トラキアの象徴である、竜騎士団です」
 竜騎士団。それは、トラキアの『軍事力』の象徴。
 その戦闘能力は、最強の軍事力を誇る帝国ですら、恐れている軍団。
 女官は驚愕するが、セティはまたもや、笑った。嫌味のない余裕のある笑みである。
 女官に対し、セティは言う。
 「安心して下さい。街の人全員に何時でも退避出来る様には、言っておいて下さい」
 「…セティ様。何か策でも?」
 「私を信じてください」
 セティは、そうしか言わなかった。

 …だが、誰が想像したであろう。これが、歴史に名を残す『マンスターの勇者』の戦いへの序曲であった事を。
 たったひとりで、トラキア竜騎士団を壊滅させた、『勇者セティ』の伝説の幕開けだと言う事を!!

 

 

 トラキア軍の情報収集能力は高い。
 彼等は、マンスターに駐留のする帝国軍と民間の間の奇妙な状態を察知した。
 故に、軍事力の低下を招いたかも知れぬと考えたトラキアは先鋒隊を派遣した。
 トラキア竜騎士、十六騎である。
 指揮官、ニーロ隊長は、トラバント王から、独自の判断で行動するように言われている。
 彼等は、マンスター城が見える上空で待機し、部下に指示を出す。
 ニーロは、礼節正しい姿勢と口調の、紳士的な中年だが、それが彼の隙を与えない不敵な姿勢をより強調させる。
 竜に跨り、槍を両手で持ちながら、部下に伝える。
 「マンスターのネズミはどうした?」
 「怪我を負わせましたが、逃げられました」
 「ふうむ、我々の動きを伝えられた可能性もあるって訳だ」
 ニーロは紳士的な笑いを浮かべる。
 「一度、強襲をかける!城に向かって全速前進!敵の攻撃があるまで攻撃は禁止だ!」
 ニーロは、まず強引に様子を見る事にした。
 十六騎の竜騎士が、V型の編隊を組み、上空から一気に下降し、マンスターに進入してきた。
 城下街上空に入った時、民衆達は驚き、悲鳴をあげパニックを起こした。
 無理もない。一般的にトラキア軍に良い印象はない。略奪、強奪の死神部隊なのだ。
 人々が混乱し、怯え、パニックに陥る中、ニーロは竜を低空飛行で疾走させ、部下に指示を出す。
 「このまま城まで突撃!そして急上昇して、反応を見る!」
 竜騎士十六騎が、そのまま主要道路の上を低空飛行し、突進すると、パニック状態で逃げまとう大勢の人々のはるか先に、若者が一人立っていた。
 「何だ?」
 ニーロがそう思った瞬間、突如、強風が吹いた。
 「何?」
 それは、不思議な事に、地上に全く影響を与えず、自分達の周囲に乱気流を起こしていたのだ。
 「隊長!このまま飛ぶのは危険です!」
 「あいつか!このまま着地に入る!あいつの仕業だな!」
 強力な乱気流だが、我々を落とそうとしているのではなさそうだ。
 「なあに、力のある魔法使いだが、我等は十六騎いる」
 十六騎の竜騎士が、着陸態勢に入り、次々と着地する中、ニーロだけは、若者の目の前で着地する。
 混乱している民衆は、その光景に驚きながら、叫ぶ。
 「セティ様!お逃げ下さい!」
 だが、セティと呼ばれた若者は、真剣な緑石色の瞳をニーロに向けている。
 「マンスター民衆代表、セティです」
 立派な態度に、自称紳士のニーロも礼儀正しいが、竜の上から見下ろすように言う。
 「トラキア竜騎士団、偵察隊隊長ニーロだ」
 「トラキアでは、何の前触れもなく、軍隊を他国に送り込むのですか、ニーロ隊長?」
 「細かい事言うなよ、…トラキアでは竜は馬みたいなものさ」
 「槍や防具はどう説明する?これは明らかに侵略行為だぞ」
 セティは滅多に見せない険しい顔をしている。
 「民間の代表じゃ話にならない。支配者を呼んでくれ」 
 そう言った時、女の声がした。
 「この国の支配者は、そのセティだ。トラキアの蛮族には人を見る目がなさそうだな」
 セティとニーロ、そして他の十五騎の竜騎士、民衆も声の方向をみる。
 そこには、黒衣の衣服とマントをはおった、銀髪の女性が立っていた。
 ニーロはその女性の美しさに驚き、口笛を小さく吹く。
 「これはこれは、御美しい。貴女が噂に聞く、『雷神イシュタル』ですね、お嬢様」
 「ほう、私の名前を知っているなら話は早い。この国の支配者…いや、指導者はそこにいるセティである。話なら彼としろ。もし、セティ殿が貴公達を侵略行為と見なした時、このイシュタル。容赦なく戦う!」
 …竜騎士達全員が息を呑み、周囲も静まり返った。
 無理もない。あの『雷神』が戦うと言ったのだ。
 彼女の周囲にいる帝国軍正規軍も構えるが、イシュタルは直ぐに、 
 「お前達は、民衆の保護に回れ!早く安全な場所へ!」
 その一言に、正規軍の一人が驚いたが、イシュタルの険しい表情に畏怖し、指示に従った。

帝国正規軍が、マンスターの人々を安全な場所へと避難させていく。
 その中、セティとニーロは平静を保っている。
 「ほほう、お嬢さんが戦うのか?怖いねぇ。だが、我々は十六騎いる。我々と戦えば、トラキア正規軍が来る」
 ニーロがそう言った瞬間、セティはすんなりと言った。
 「問題ない」
 その一言は、さすがにニーロを驚かせる。
 「何だと?」
 「トラキア竜騎士団は確かに驚異だ。…だが、私がいれば問題ない」
 紳士的な態度を取ってきたニーロの顔が、歪みだす。
 「ほう、口は災いの元って、言葉を知っているか、お若いの」
 「弱い犬ほど、よく吠えるって言葉を知っていますか、お古いの」
 紳士的なセティだが、辛辣になれる時もある。それはケダモノに対してだ。
 「帰れ!ここは言葉と慈悲を尊重する国だ。貴様達の様な腕力と暴力を尊重する人間の来るところではない!トラバント王に伝えよ!野蛮人の様に暴力ではなく、文明人らしく、言葉で解決しようと。そうすれば、貴様達を歓迎しよう」
 「…貴様…」
 怒りに顔を歪めたニーロだが、突如笑い出した。
 「…ああ、帰ってやろう。ただ、手ぶらで帰るのは私の趣味じゃない。…トラバント王への土産を忘れるところだ」
 笑い続ける彼が突如、槍を抜き、セティに向けた。
 「貴様の首が土産だ!」
 周囲に悲鳴が起こった。
 穂先は、セティの咽喉元を貫き、彼を絶命…させる筈であった。 だが、セティは驚異的な瞬発力で背後に飛んでいた。
 「死ねぇ!!」
 ニーロが上昇する。同時にセティが古代語を詠唱する。
 他の十五騎もニーロに従おうとした時、イシュタルが前に出た。
 「貴様達は、この私が相手だ!」
 一瞬彼等は怯んだが、こちらは十五騎。イシュタルといえども、連続攻撃に耐えられるものではない。
 彼等は一斉に竜を飛ばせた。それに、イシュタルを倒したとなれば自分の地位も上がる。彼等の士気が飛翔する竜と同じく上昇する。
 彼等が上昇した時、イシュタルが飛び、一騎に飛びうつり、その竜騎士の背後に立った。
 「何?!」
 イシュタルは背後から男の首を片手で掴んだ。
 男は驚くが、どうした事か、身体に痺れが走り動けなくなってしまう。
 「うっ、何をした?」
 「人間の身体には神経を司るツボがある。この首の背後にあるふたつのツボを強く押えると、どんな屈強な男も動けなくなるのだ」
 他の十四騎が、イシュタルの行為に気付き、上空から波状攻撃を浴びせようと襲い掛かった。
 「一撃だ。数えてみろ!」
 イシュタルは叫ぶなり、魔力を男の首を掴む手に集中し、開放した。
 強力な電光が男の首に直撃し、男は一瞬に絶命した。だが、電光はまだ生きていた。
 電光は分散し、襲いかかる竜騎士達に飛び散り、次々と彼等に突き刺さり、相手を竜ごと絶命させた!
 イシュタルは、約束通り、たった一撃で十五騎を壊滅させたのだ。

 

 

 イシュタルが、竜騎士の背後に飛び移った時、セティも魔力を集中させる。
 「遅い!」
 ニーロは叫び、手槍を投げつける。
 槍がセティに向かって襲い掛かるが、突如セティを囲むように突風が起こり、槍を吹き飛ばした。
 「何!」
 刹那!ニーロはセティから、恐ろしい程の威圧感を感じた。
 この威圧感は、覚えがあった。それは、トラバント王である。あの聖戦士の一人、トラバントと同じ威圧感を与えるセティとは何者?
 そう、思った瞬間、彼はセティと言う名前で、恐怖した。
 「ま、まさか、お前は『風使いセティ』の…」
 言えなかった。強烈なカマイタチと化した竜巻が、セティから放たれ、ニーロを竜ごと包み、全身をズタズタに切り裂かれながら遠くへ吹き飛ばされていったのだ。
 ニーロは絶命した。そして愛竜と共に、マンスターの城外の丘に叩きつけられ、グロテスクな肉塊を周囲に飛び散らしたのだった。

 

 

 周囲は称賛の歓喜の声に変わった。
 怯え、パニック状態になった民衆達は、セティとイシュタルの強さに驚愕しながらも二人を囲みだす。
 「セティ様!セティ様!」
 「イシュタル様!イシュタル様!」
 二人の若き英雄を称賛する民衆達だが、何時の間にか二人は消えていた。

 二人は、『白狐の巣』の中庭にいた。
 イシュタルは平然としていたが、セティの方は驚いていた。
 「ここは?」
 「すまない。どうしても貴方と話したい事があったので、『瞬間移動』をかけさせてもらった」  
 …哀しそうな瞳をしていた。
 そして、何時ものイシュタルの顔は、自立心と知性と、強烈な自我を感じさせる顔であったが、今の彼女は、そんな顔ではなく、無防備なまでに、哀しそうな顔をしている。
 滅多に驚かないセティだが、『瞬間移動』をいきなりかけられた事と、その様なイシュタルの顔に二度驚いた。
 「…イシュタル?」
 「…兄が、…私の兄上が死んだ」
 「死んだ?」
 「…解放軍に倒された。…義理の妹のティニーも行方不明らしい…私の、大切な家族だ」
 「それは…」
 セティはふと、妹のフィーが死んだ時の事を考えた。思わずその不吉な考えを頭を激しく振って否定し、その辛さを振り払う。
 その仕草にイシュタルは、どうしたのかと尋ねると、セティは素直に答えると、彼女は哀しい表情に、少しの優しげな表情を浮かべる。
 セティは、思わずそのイシュタルの表情に見惚れた。
 …色恋沙汰に全く疎いセティだが、朴念仁ではないし、女性に興味がなかった訳ではない。強烈な理性と教養が、それを力強く心の奥底に封じ込めているのだ。王族として、指導者としてである。
 (…こんなに奇麗な人だったのか…)
 思わず、心の中で思うと、イシュタルの完璧なまでの碧眼が、中庭の庭園を見つめる。
 「二〇年程前、レンスター王子キュアンは、ここにシアルフィ公女エスリンを呼び、求愛したそうだ」
 「ああ。今では語り草だ。確かに美しい庭だ」
 セティも人工的に作られているものの、自然との調和を意識させる見事な庭園を見る。
 四季に応じて、変わる花化粧。澄んだ水を常に豊富に蓄える池。その池の水面には、美しい水草を浮かせている。
 イシュタルは池の辺まで歩いていく。セティはその後を着いていく。
 「…我が父と、母は政略結婚でした。ヴェルトマー家とフリージ家の繋がりを強くするためです」
 池の辺で背筋を伸ばしたまま腰を下ろし、水辺の奇麗な紫陽花を見つめる。
 「セティの父親は、レヴィン王ですね。…母親はどういうお方でした?」
 「…優しい人でした」
 「いえ、そうじゃなく、どんな身分の人でした?」
 「騎士でしたが、平民でした」
 イシュタルは少し驚く。
 「平民が王と?」
 「抜け道は幾らでも。…母は、ある公爵家の養女となり、公爵の地位を手に入れたのです」
 「…すると、その公爵家の政略の為に、養女にされたのですか?」
 「いえ、父と母は、相思相愛でした。公爵家への養女も、王国の体面を保つ為だけです」
 その話を聞くと、イシュタルは顔をセティの方を見上げ、微笑した。
 「羨ましいな。迷いのない愛だったのでしょう?」
 そう思いたい。今の父は考えが分からない。…そう言わずに黙って頷いた。
 「私は、現在ユリウス皇子の第一妃候補です」
 その言葉は、セティに衝撃を与えた。そこまでの女性とは思わなかった事もあるが、他にも微妙な気持ちが混ざっていたのかも知れない。
 「…私は、ユリウス様を愛しています。しっかりと自我を持ち始めた頃から、私はユリウス様を愛していました」
 「イシュタル…」
 彼女はゆっくりと立ち上がって、優しげで、無防備で、哀しい笑顔がセティに向けられた。
 「…でも…疲れちゃったよ。…本当に疲れちゃった」
 いきなりのくだけた口調に変わり、セティは驚く。
 「優しいユリウス様は帰ってこない…。でも、…それでも私はユリウス様を…。疲れちゃったけど」

 

 

 …泣いた。…雷神が泣いた。
 一滴の涙が、イシュタルの両頬に流れた。
 「私は、コノートに戻らなくてはならない。お兄さんを失い、妹の様なティニーも消息不明。…もうこれ以上家族を失わない為にも、私はお父さんを守りにいく…解放軍からお父さんを守るの…」
 「…解放軍と敵対するのですね」
 「ええ、セティ?貴方はどうするの?」
 完璧なまでの碧眼と、緑石色(エメラルド)の瞳が、お互いを見つめ合う。
 「…私は、解放軍に手を貸します」
 …二人の瞳に、哀しみと、複雑な感情の色が浮かぶ。
 だが、沈黙を破ったのはセティであった。
 「イシュタル!」
 彼は叫んだ。滅多に見られない、セティの叫びである。イシュタルはわずかばかりの笑顔を浮かべたが、何かに期待した笑みであった。
 「頼む!力を貸してくれ。確かに君には辛い選択になるかも知れないが…。君なら分かるだろう?今のままじゃ、帝国は駄目だって!」 
 「…セティ…」
 「君に祖国を裏切らせる真似をさせてしまうかも知れない!君の家族を裏切る真似をさせる事になる!そしてユリウスを裏切る真似をさせるかも知れない!…裏切り者の烙印を押させる真似をさせるだろう…」
 イシュタルは黙って聞いている。だが、僅かに笑っていた。
 「頼む、力を貸してくれ!解放軍の為にも!」

 笑顔が消えた。
 イシュタルの顔に浮かんだ僅かばかりの笑顔が消えた。
 淋しい表情が、イシュタルの顔を支配する。
 そして先ほどの紫陽花を見ながら、歌を歌いだした。
 あのベルナルドが歌っていた、「風になりたい」であった。
 楽しい、明るい曲だが、イシュタルが歌うと哀しく聞こえる。
 好きな人に会えた幸せを歌った歌だが、何故か哀しい曲に聞こえた。
 セティは黙って聞いている。
 何か言いたいのだが、言葉が思いつかなかった。
 歌を途中で止め、イシュタルは無邪気な笑みを浮かべた。
 意外な笑顔に、セティは呆気に取られた。
 「私ね、ベルナルドと、クレスティオンヌの二人が羨ましいの。初めて平民が羨ましいと思ったわ」
 今のイシュタルは、『雷神』ではなく、一人の少女にしか過ぎなかった。
 無防備で、儚げで、優しい笑みが、セティの心の神殿に忍び込む。
 「…イシュタル…」
 「私もセティ様も、好きに恋が出来ないものね…でも、あの二人には関係ないもの…」
 今のセティは、動揺していた。
 この苦しさ。息も出来なくなる苦しさは、セティにとって初めての経験であった。
 「…セティ様。自由な恋って、何だと思います」
 セティは答えられない。だが、イシュタルは答えを期待していなかったようだ。続けて呟く。
 「お互いを認め合う恋って…、好きな人を尊重し、好きな人に尊重される…、そんな恋って知っていますか?」
 「…」
 どうしてだ、どうして自分は答えられないのだ?セティは胸が締め付けられる苦しさに、何も言えない。
 「…愛って…、…恋って、…」
 イシュタルは泣きながら呪文の詠唱に入った。
 「…イシュタル…」
 「さようなら、セティ。貴方に会えて…私…」
 イシュタルの身体が光に包まれる。
 「…お父さまを…守りに行きます!」
 「待て!イシュタル!行くなぁ!!」
 光がイシュタルを完全に包み込む瞬間、イシュタルは、微かに笑った。
 「ありがとう…セティ…」
 セティが手を伸ばし、イシュタルを掴もうとしたが、既に彼女は『瞬間移動』で消え去った。

 

※     ※     ※

 

 ヒルダを倒し、解放軍はいよいよ、最終決戦へと向かった。
 捕われのユリアを救出し、ユリウスを倒すだけとなった。
 「だが、まだ敵の主力が来るかも知れない」
 フリージ城から出陣し、帝城へ向かう解放軍で、総指揮官のセリスが呟くと、彼の傍にいたセリス皇子親衛隊隊長のスカサハが身構える。
 「嫌な予感がする」
 彼が呟くと、セリスも頷く。
 「ああ、この気配は聖戦士だ」
 「生き残りの敵の聖戦士は、アリオーン王子か…」
 「イシュタル」
 二人の傍でいたセティが呟いた。
 精悍で、理知的な青年の顔に険しさと、覚悟の色が浮かんでいる。
 「セリス様。イシュタルは私にお任せを」
 「でも、一人で大丈夫かい?僕やシャナンかアレスが付いていっても…」
 セリスは最後まで言えなかった。何故なら、セティの真剣な眼差しが、セリスを黙らせた。
 常に前線で戦ってきた歴戦の剣士であるセリスも、畏怖した鋭い眼差しであった。
 「まだチャンスはあります。イシュタルを…説得します!」
 セティは力強く断言した。

 その頃、解放軍に向かって、イシュタルが自分の軍団を率いてやってくる。
 前線で移動するイシュタルは、敵の陣地に、強力な『風』を感じた。
 (いるのか…セティ)
 自分の拳を握りしめ、鋭い眼差しを敵地に向ける。
 (…私は、迷いを捨てられるのだろうか?)  

(続く)

 


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