恋歌は風になった

(完結)


 イシュタル率いる軍団は、正しく精鋭部隊であった。
 圧倒的な力を誇る解放軍も、苦戦を強いられる状態であり、押されている。
 特に、天馬騎士団の圧倒的な強さに、解放軍の左翼は崩壊寸前まで追い込まれたが、ファバルとレスター率いる弓兵部隊と、シャナン王子とアレス王子の部隊が合流し、何とか崩壊を防いだ。
 そして、イシュタル率いる正規軍の部隊も強力な戦闘能力を秘めた部隊であった。
 その中でも、イシュタルが、解放軍の中央に『トールハンマー』を撃ち込み、解放軍の混乱を誘い、一気に攻め込んでくる。
 「短期決戦か!」
 大勢の戦死者を出したが、解放軍の士気は衰えなかった。
 セリスが、前線で指揮を取り、聖剣『ティルフィング』を抜き、馬を走らせる。
 「陣形を乱すな。負傷者は直ぐに後方に下げさせろ!」
 その指揮の中、一人の若者が、前線に飛び出した。
 イシュタルの部隊の弓兵が一斉にその若者に弓を放った。
 だが、若者に向かってきた弓矢は、突如として吹いた『風』により大きく反らされた。
 それを見たイシュタルは、若者を誰かを確信した。
 「…セティ」
 その独り言の呟きは、力強かったが、少しの寂しさを匂わせる。
 「あの男はお前達では倒せない!シュスター、指揮を任せる。あの男は私が倒す!」
 解放軍と、イシュタル軍がついに激突した!

 

 

 セティとイシュタルは、この激戦から離れた荒野に移動した。
 理由は、聖戦士同士の武器でも、魔法同士の戦いは危険であるからだ。
 周囲に天変地異と厄災を呼び、周囲の味方をも巻き込み、殺してしまうからである。
 二人は、向かい合い、若草色のマントのセティと、漆黒のマントのイシュタルが無言のまま見つめ合う。
 最初に、沈黙を破ったのが、セティであった。
 「…私は、貴女と戦う気はない。戦いを止めませんか?」
 「…もう遅いのだ。私は今まで帝国軍人として戦ってきた。今更戦いを止めるなど…」
 「もう、大陸中に大量の血が流れた。これ以上血を流したくない!これ以上の戦いは無益だ!イシュタル!君なら理解出来る筈だ!」
 「ああ、確かに血を流しすぎた。帝国も滅びるだろう。だが、ユリウス様は滅びない!」
 「彼は危険すぎる!彼はロプトウスだ!大陸に災いを招くだけだ!」
 セティが叫んだ瞬間、イシュタルの前方に、閃光が集結し、巨大な雷球が浮かび上がる。
 「よせ!」
 だが、イシュタルは何のためらいもなく、セティに『トールハンマー』を放った。
 セティは、紙一重で回避したが、既にイシュタルが第二撃目を放ってきた。
 回避出来ないと悟ったセティは、直ぐに『フォルセティ』を放った。
 セティを囲むように突風が吹き荒れ、嵐となり、強烈なカマイタチ現象を起こす疾風が『トールハンマー』の雷と衝突した。
 耳の鼓膜を破壊しかねない轟音と、瞳の網膜を焼き尽くす閃光と、大木ですら薙ぎ倒す強風が、二人の空間を支配し、大地を破壊し、天空をも砕きかねない破壊力が支配した。
 その光景は、まさしく神話で語られる、世界最後の日となる、『神々の黄昏』そのものであった。
 「やめろ、イシュタル!帝国を想うなら、祖国を想うなら、力を貸してくれ!」
 「遅いと言っている!もはや帝国は滅びる!ならば、帝国軍人として相応しい最期を遂げるまで!」
 「違う!帝国は!フリージ再建には君が必要だ!新しいフリージの為に生きなければならないはずだ!」
 「それは、解放軍にいるフリージの人間に任せる。私は最期まで解放軍と敵対した!その者が、新しいフリージの代表者とは許されぬ事!それに気付かぬセティ殿ではない筈!」
 突如、天空に暗雲が支配した。イシュタルは指を天空に向けてから、勢いよく振り下ろすと、暗雲から数本の稲妻が轟音と共に、セティに襲い掛かった。
 だが、セティはそれを回避し、大地を疾風の如く疾走する。
 「疾い!さすがだ!」
 セティが両手で印を結び、力強く広げると、彼の目の前で竜巻が発生する。その竜巻がイシュタルに向かって疾走する。
 「甘い!」
 イシュタルは、『魔法解除』の印を切り、それを竜巻にぶつける。
 竜巻は吹き飛び、二人は再び向かい合った。
 彼等の遠くでは、解放軍とイシュタルの連れてきた帝国軍が戦っている。
 「見よ、セティ。彼等は私を信じ、戦ってくれている。その彼等を裏切るなんて私に出来ると思うか?」
 「…」
 セティは答られない。
 「そうだ、貴公は出来るか?シレジア正規軍を裏切り、他国に力を貸せるのか?!」
 イシュタルは迷いがなかった。凛とした表情をセティに向け、若々しい健康的な肢体を伸ばし、印を切る。
 「…私は帝国貴族であり、軍人だ!もはや迷いはない!…シレジア王子セティ。貴公を帝国の敵として、好敵手として、私は貴公を倒す!」
 イシュタルの指がセティに向けられた。その指から一条の閃光が疾り、セティに襲い掛かる。
 セティは疾風の如く素早い動きで防御の印を切り、自分に直撃しようとしていたその閃光を目前で粉砕する防御壁を張った。
 「だが、いいのか?ユリウスは殺戮と憎悪を呼ぶだけだ!」
 「それでも、私はユリウス様に尽くす!ユリウス様の為にも!」
 セティが疾風を放ち、イシュタルが雷を放ち、二人の魔法が二人の間で激しくぶつかった。
 風と雷は消滅し、二人は再び構える。
 「ユリウス様が神になると言うのなら、私はそれに従う!」
 「神だと?殺戮を行なうのが神なのか?!」
 「それが神というものではないのか?!」
 イシュタルが跳躍し、セティに近付く。右手に雷を溜め、セティに殴りにかかる。
 セティはそれを跳躍で回避した。
 セティは格闘術に精通している訳ではないが、『風使いセティ』の血を受け継ぐ青年である。その血はセティの反射神経を人間以上の潜在能力を与えている。
 おそらく、解放軍のスカサハ、ラクチェの剣を躱わせるだろう。
 「皆殺しにして、自分を崇めるものがいなくなっても神だというのか!」
 セティは叫び、自分の周囲に風を起こし、イシュタルの接近を防ぐ。
 「イシュタル!ユリウスはもはや人ではない!…もはや暗黒神に支配された哀れな青年だ!…ユリウスを愛すると言うのなら、彼の為にも力を貸してくれ!!」
 「何の為にだ?」
 「大陸の平和の為にだ!」
 その瞬間、イシュタルの周囲の大地が砕け、目の前に暗雲が召喚される。
 間違いなく、『トールハンマー』である。
 「イシュタル!」
 セティは叫ぶ。だが、その瞬間、空間をも切り裂く巨大な雷撃がセティに襲い掛かった。
 確かにセティは神々の血の力により、圧倒的な瞬発力を得ているが、必ず躱せるものではない。
 躱しきれずに、左肩に全身に激痛を与える衝撃がセティに襲った。
 さすがのセティも想像を絶する激痛に絶叫し、左肩に付いた雷による火傷に近い激しい負傷を押える。まだ電撃による痛みが全身を支配し、セティの動きを鈍くした。
 普通の人間なら一撃で粉砕する破壊力を秘めているが、セティもまた魔法に対する防御や、対抗法を知っている賢者である。…とはいえども、かなりの深手を負ったのは間違いない。
 そのセティを、完璧な碧眼のイシュタルが冷めた視線を向けている。
 「…どうした?それまでか…。トラキア竜騎士団をたったひとりで全滅させた『勇者セティ』の力はその程度か?」
 セティは動きの鈍くなった左腕を押えながら、彼女を見る。
 その冷めた碧眼の瞳が冷たくセティに突き刺さる。
 「イシュタル…君はこの世界を恐怖と破壊で支配する気か?」
 「…イシュタル様がそれを望むのなら…」
 「ユリウスは!…いや、ロプトウスは君を大切にしてくれるのか?ヨハンやティニーから聞いたが、君ですら駒としか思っていないそうじゃないか!?」
 イシュタルは無言のまま、冷たい視線を向けたまま右手に雷の塊を浮かばせる。
 だが、心の中では、自分を送り出した時のユリウスを思い出していた。
 「私を避けているようだな…まあ、いい。止めはしない…」
 あの時のユリウスの表情は、完全に自分を見下した瞳であった。
 「…駒でもいい…。私を見てくれるのなら…」
 セティに向かって言ったのではない。自分に言い聞かせる為に呟いた独り言であった。
 イシュタルは、その想いを確かめる様に右手に浮かべた雷弾をセティに向かって投げつける。
 「イシュタァーーーーールゥ!!!」
 セティが叫ぶ!それと同時に右手を振りかざした。それと同時に彼の目の前に魔法障壁が浮かび、その雷弾を弾き返す。
 「そこまでして、ユリウス、いや、ロプトウスに尽くすのか!」
 再びセティが右手を刀の様にイシュタルに向かって素早く振った。
 それは、カマイタチとなり、イシュタルの右肩を切り裂いた。
 「!!」
 イシュタルは流れる血を左手で押え、微笑した。
 「君はもっと賢いと思っていた!…君はもっと優しい人だと思っていた!…君はもっと聡明な人だと思っていた…。だが、そこまでロプトウスに尽くすと言うのなら、この『勇者セティ』。容赦はしない!」
 セティが立ち上がり、風を呼ぶ。
 イシュタルは笑い、叫ぶ。
 「来い!『勇者セティ』。この『雷神イシュタル』、受けて立つ!」
 あくまで戦う意思を見せるイシュタルにセティは心の苦しみを覚える。
 (…イシュタル…)
 二人は印を切り、古代語の詠唱を同時に行なった。

 

 

 ファバルが、重傷を負ったレスターに手を貸し立たせる。
 「大丈夫か?」
 「…すまない…天馬騎士団は?」
 「なんとか、撃退した」
 周囲は数多くの天馬と敵味方問わず、大勢の死体が転がり、大地を鮮血に染めていた。
 「ラナ!テメェの兄貴が重傷だ!早く来てくれぇ」
 ファバルは遠くでいるラナに叫び、従兄弟に呟く。
 「今までの中で一番手強かったな」
 「…ああ」
 返答出来る所をみると、大丈夫なようだ。すでにここは前線から外れつつある。
 ファバルは解放軍の中でも最も仲の良い友人は、スカサハであるが、彼が敵陣を粉砕し、敵の陣形を乱し、勝利に導いたようだ。
 「…勝ったな…だが、」
 ファバルは南の方で局地的な天変地異が起こっている場所を見た。
 「まあ、セティと戦って無傷って事はねぇだろう。そうなれば俺がイシュタルを倒す」
 彼は、自分にだけしか使えない神々の武器。聖弓『イチイバル』を握り締めた。

 コープルが自分の魔力を回復につぎ込み、深手を負ったスカサハとラクチェを回復する。
 その傍で、フィーがアーサーの怪我を治している。
 「…ったく、最終決戦前にこれだけの被害を受けるとはな、危ないんじゃねぇのか?」
 苦笑しながらスカサハが言うと、ラクチェが双子の兄の頭を小突きながら、
 「イシュタル軍は、今の帝国軍の最強よ。それを倒したのだから、喜ぶべきでしょう」
 その二人の応対に、コープルは純粋な笑いを浮かべながらも、南の局地的な天変地異を見ている。
 「セティさん。大丈夫でしょうか?」
 コープルは利発で聡明な少年である。研究熱心で学問にも精通している。
 そんな彼が、解放軍で最も親しいのがセティである。
 理性的で、教養があり、優れた知識を持つセティの存在は、コープルにとって、兄の様な存在である。
 彼は、学問や魔法学の学問を教えてくれる優しく、賢明なる兄そのものであった。
 そんなコープルより、はるかにセティと親交を深めていたのはアーサーである。
 解放軍では数少ない魔法使いであるという事と、趣味が同じ読書である事が二人を友人にしたが、他にもフィーの存在もあった。セティから見ればフィーは、『大切な妹』であり、アーサーから見ればフィーは『大切な人』である。
 怪我の手当てを終えたフィーが、アーサーの腕に両手を回し、南の天変地異を見ている。
 「…お兄ちゃん…」
 祈るように呟き、アーサーの腕を掴む両手に力が入った。
 アーサーは無言のまま彼女を抱き寄せ、友人の無事を祈った。

 

 

 もう、二人に迷いはなかった。
 セティもイシュタルもすでに、戦う決意を固め、全身全霊の力を込め、互いに攻撃魔法をぶつけ合った。
 だが、本来なら風と雷では、風の方が有利である。
 風は真空を作り、雷を簡単に反らし、違う方向へ向けることが出来るからだ。
 だが、今はセティの方が深手を負い、勝負は全くの互角の状態であり、お互いの最強の魔力を放出し、激しい激突が続いている。
 二人は足場を決め、一歩も動かない。お互いの攻撃魔法は、お互いの魔法障壁によって弾かれ、躱されている。
 周囲の大地は雷撃と突風により砕かれ、荒地となった。
 空は竜巻と強風を呼び、暗雲と稲妻を呼ぶ。
 大きな岩が宙に吹き飛び、大木も雷の直撃により消炭と化する。
 大陸に伝わる神話に『神々の黄昏』がある。
 神々の軍と悪魔の軍が世界最期の日にぶつかり、この世の終焉を迎えるという終末思想。
 まさしく、二人の戦いは『神々の黄昏』であった。
 セティは心を鬼にした。
 父から言われた言葉を思い出した。
 「いいか、セティ。王たる者は感情で動く事を許されない。情と計算がぶつかった時は、計算を優先しろ。百人を見殺しにして、千人が助かるのなら、百人を見殺しにしろ。…それ以外に道が無ければだが」
 …今、これほどの力を持つイシュタルを見放せば、民間の死者は増える一方である。
 たとえ、彼女が聡明だと思っていても、ひとつの欠点が、彼女を許す訳にはいかないのだ。
 それは、ユリウスを愛してしまった事…。 哀しい事だと思ったが、気を緩めはしなかった。
 また、イシュタルも気を緩めず、魔力を全開にする。
 冷酷な眼差しをセティに向け、強引に力押しで彼の魔力を突き破ろうとする。
 だが、セティも同じ事をした。
 二人の魔力が、お互いの魔法障壁を突き破り、お互いの身体に魔力がぶつかった。
 「くっ!」「ちっ!」
 セティの身体に電撃が走り、イシュタルの身体が、突風に切り裂かれる。
 二人の魔力が途切れ、元の静かな大地に戻った。
 …いや、戻ったのは静けさだけで、周囲の光景は、元の緑の大地ではなく、荒れた死の荒野と化していた。
 二人の足元だけが、お互いの魔法障壁によって、僅かながらの草や名も無き花が残っている。
 今度はイシュタルの方が重傷を負ったが、セティの方も重傷を負っている。
 二人はしばらくの間動かなかったが、雷撃による衣服と肌が焼かれたセティと、風によって、衣服と肌が切り裂かれ、鮮血に染まったイシュタルがゆっくりと立ち上がった。
 セティの方は、出血はひどくないが、火傷の方がひどい。
 二人は重傷を負いながらも立ち上がりお互いを見つめ合う。
 だが、二人には弱みや、恐怖と言う感情はなく、悠然と立ち、お互いを見つめている。
 その二人の姿は、一枚の壮大な宗教画の様であった。
 「そろそろ、決着をつけようか、セティ」
 イシュタルの物静かだが響く声に、セティは無言で頷いた後、静かな声で言う。
 「…もう、戦うしかないようだな…」
 「ああ、言っただろう。…別れる時に、疲れちゃったって…」
 …哀しい微笑がイシュタルの顔に浮かぶ。
 「分かっていたのだ。…分かっていたのだよ。…ユリウス様は死に、ロプトウスになってしまった事は…」
 冷ややかな眼差しは変わらないが、口元に寂しさが浮かび、寂しい独り言を続けた。
 「でも、…私にとってユリウス様はユリウス様。…森で迷った私を、息を切らしてまで雨の中、探してくれたユリウス様に違いはない…」
 セティは無言のままだが、聞いている。
 「イシュタル。君にとってはそれが正しい事でも、ロプトウスを放っておく訳にはいかない」
 「…分かっているさ。セティにはセティの正義がある。ウイロや、ベルナルドとクレスティオンヌを守るのだろう。…そうすれば、ユリウス様を守る私は、邪魔者にしか過ぎない」
 「ああ、そして君も、ロプトウス…いや、ユリウスを倒そうとする私は邪魔者でしか過ぎない」
 セティの周囲に風が吹いた。明らかにセティが起こした風であった。
 イシュタルの周囲に暗雲が召喚される。お互いがお互いの顔を見る。
 二人の顔に険しさはなく、哀し過ぎる程の悲哀を浮かべていた。
 お互いの魔力が増幅される。明らかに、お互いの最強の攻撃魔法、『フォルセティ』と、『トールハンマー』を放つ体勢であった。
 その時、イシュタルが魔力を増幅しながら、セティに語りかけた。
 「セティ、ひとつ聞いていいか?」
 セティは無言で頷く。
 「別れる時、あなたは、私に行くなと叫んでくれた…。何故だ?」
 セティはしばらく無言を続け、魔力を増幅させ、風を自分の周囲に集める。イシュタルも暗雲を前に集中し、巨大な雷を放つ用意を整える。
 だが、イシュタルは答えてくれると言う確信があった。
 そして、その確信は、的中する。
 「…君に…私の傍にいて欲しかった…。君を、愛していたのかもしれない…」
 小さな声であったが、セティの全身の力を込めた言葉であった。
 イシュタルは静かに笑い、セティも微笑み返した。
 二人の頬に涙が流れた瞬間に、二人の魔力が放たれた。
 「行けぇ!『フォルセティ』!!」「行けぇ、『トールハンマー』!全ての過ちと罪を背負って!!」

 空前絶後の突風と、網膜と鼓膜を完全破壊しかねない轟音と共に閃光が疾った!
 セティの周囲を囲む竜巻が、想像を絶する強風を呼ぶ。
 その風は音速を超え、激しい轟音と共に、衝撃波を呼び、凄まじい疾さで大地を粉砕しながらイシュタルを強襲する。
 イシュタルの召喚した暗雲から常識を覆すような巨大な雷の閃光が、周囲を眩い光に包み込み、天空と大地を同時に激しく振動させながら、セティに襲い掛かった。
 「悲しみを切り裂き、吹き飛ばせ、『フォルセティ』!!」「背負った過ちと罪と共に全てを砕けぇ!『トールハンマー』!!」

 …おそらく、この二人が同時に放った『フォルセティ』と『トールハンマー』は、お互いが今まで放った魔法の中でも、最強の力がこもっていただろう。
 その力は、怒り、憎悪、憎しみ、怨恨…。それらが全く存在せず、あったのは、哀しみ、同情、悲哀、そして、淡い恋心…。
 二人の、大陸でも有数の賢者二人から放たれた、『神々の武器』の魔法がぶつかった瞬間、空前絶後の竜巻と、激しい稲妻が周囲に広がった!
 「やばい!伏せろ!」
 戦いを終えた解放軍の一人、アレスが叫び、リーンを庇いながら伏せる。
 その二人の戦いは、遠くにいる彼等にまで被害を及ぼす程であった。
 いや、後に分かった事だが、帝城にいたユリウスの側近が記入した書物に、その時、遠くに離れた帝城にも激しい振動が襲ったと記入されている。
 強風で吹き飛ばされた解放軍の兵士もいた。落雷により、即死した兵士もいた。
 大木をも薙ぎ倒す強風と、全てを揺るがす稲妻が周囲に恐怖と破壊をもたらせた。

 その天変地異を起こした二人は、まさに『神々の黄昏』の中心にいた。
 二人の周囲は音速を超えた強風と、それによる衝撃波の破壊。稲妻による大激震と破壊。
 二人の周囲は、破壊以外の存在を許されないかの様に、生存と再生の存在を徹底的に否定する世界。
 その中心で二人は、『フォルセティ』と『トールハンマー』を放ち続ける。
 二人の周囲に衝撃波と稲妻と破壊の激震が走り、通常の人間なら正気を保つのが難しいであろう。
 …いや、セティもイシュタルも、今は正気とは言えなかった。
 二人の顔は、あまりにも哀しい表情をし、互いに泣いていた。
 もし、二人が王侯貴族でなかったら、戦いは既に避け、お互いに引いたであろう。
 だが、二人は王侯貴族であったのが、二人の意思とは裏腹に、戦いを続ける結果となってしまった。
 セティは、イシュタルとの戦いを避けたかった。
 だが、彼女はロプトウスと化したユリウスの配下であり、何れ自分が守らねばならないシレジア王国の仇となす人物となる。王国の為に、シレジアの民達の為に、戦わなければならない義務が、彼を正常な状態のまま狂わせていた。
 イシュタルも、心惹かれたセティとは戦いたくなかった。
 だが、もう一人の愛するユリウスの為に。たとえ、ロプトウスと化したユリウスといえども、彼女にとって、ユリウスはユリウスでしかなかった。
 ユリウスと敵対するセティを倒さないと…。そして何よりも私が愛した二人の青年が戦う姿など想像もしたくなかった。
 たとえ、今のユリウスが自分を、単なる駒のひとつとしか見てくれなくても良いのだ。
 …ただ、あの時。…セティとマンスターで別れる時に、セティが…。
 突如、二人を包み込む『神々の黄昏』に変化が起こった!
 衝撃波を起こす暴風が、暗雲と雷を呑みこみ、吹き飛ばしだした。
 雷は、動物の断末魔に近い轟音を出し、大地と天空を激震させ、吹き飛ばされていった!
 衝撃波を起こす巨大な破壊力を秘めた『風』が、『雷』を吹き飛ばし、『神々の黄昏』を、大暴風に変化させた。

 

 

 …沈黙。
 長い沈黙が支配する。
 大地を破壊し、荒れた死の荒野と化した場所に解放軍がやってきた。
 大地が粉砕され、荒地となってしまった以上、騎乗の兵士は馬から降りなければならなかった。
 ただ、フィーとアルテナの二人が、先ほどの大暴風が嘘の様に静まった空を飛び、セティの存在を確認する。
 もし、イシュタルの方が勝っていれば、アルテナは、地槍『ゲイボルグ』で立ち向かう覚悟でいる。
 いや、地上からも、馬から降りたセリス、アレスが『ティルフィング』と『ミストルティン』を手にしていたし、シャナン、ファバルの二人も『バルムンク』と『イチイバル』を手に近付く。
 ただ、ひとり。銀髪の少女、ティニーが、細い肢体を不慣れな荒地の上に走らせ、二人の確認に急ぐ。
 姉妹の様に育ったイシュタルと、淡い恋心を抱くセティの二人の戦い。
 ティニーにとって心苦しく、胸が締め付けられる現実であった。
 「イシュタルお姉さま!セティさま!」
 ティニーは叫ぶ。小さな肢体から、全身の力を込めて叫ぶ。
 そのティニーが、歩みを止めた。

 いや、動きが止まったのはティニーだけではない。
 フィーも、アルテナも、セリスも、アレスも動きを止めた。
 ティニーを追いかけてきたアーサーも動きを止め、耳を傾けた。
 ティニーも、フィーも、誰もが動きを止め、耳を傾けた。
 周囲に沈黙が支配し、ひとつの音だけが彼等の耳に入る音となった。
 …それは、とても切なく聞こえる恋歌であった。

 

 

 イシュタルの肢体は、若草色のマントで包まれ、瀕死の状態ではあったものの、穏やかに微笑していた。
 自分のマントを彼女に包んでやり、その彼女を抱きしめ、セティは歌っていた。
 …ベルナルドがよく歌っていた、「風になりたい」であった。
 楽しい、陽気な曲が、哀しみと切ない曲として、周囲に響き渡る。

「  天国じゃなくても  楽園じゃなくても
    あなたに会えた幸せ 感じて 風になりたい  」

 セティの哀しい歌声が、周囲の動きを止めていたが、ただひとり、ティニーだけが、二人に近付いていく。  

 イシュタルは、子供の様な無邪気な微笑を浮かべ、セティの胸に抱かれ、その歌を聴いていた。
 今の彼女は幸せであった。久しぶりに感じる人の暖かさ。
 そう、瀕死の自分に、マントで包んでくれたセティに、森に迷い、雨に濡れ迷子になった自分を、雨に濡れながら息を切らし、自分を探してくれたユリウスと重なり合ったのだ。
 (セティ。…ユリウス様)
 心の中で呟き、遠のく意識の中で、彼女は幸せであった。
 そのイシュタルを抱き、歌い終わったセティが、泣いていた。
 「…イシュタル…」
 「セティ…。何も言わないで…、これでユリウス様への忠誠と愛情を果たしたし、そして…」
 力を失いつつある、しなやかな腕が、セティの頬に触れた。
 「もう一人の愛した人に抱かれて死ねるなんて、…非道を手助けしてきた私にはもったいないくらい…」
 「イシュタル……」
 「御免なさい、でも私が生きていれば、貴方の夢は叶わない。…支配ではなく、指導で国を作る夢が…。ユリウス様の片棒を担いできた私が…生きていれば…決して叶わない夢」 
 声の力を失いつつあるイシュタル。それとは反比例して、セティの声には力がこもる。
 「何故、何故なのだ?…何故そこまでユリウスを…。私じゃ駄目だったのか!?」
 今のセティに、理性はない。あるのは哀しみである。だからこそ、自分の胸の内を正直に吐いた。
 その言葉に、イシュタルは涙を流して答える。
 「…ありがとう…セティ」
 枯れようとしている彼女の生命から、より、生命の雫がこぼれていく…。
 「…貴方に会えて、…幸せでした。……でも、あの時。…別れる時、貴方はこう言った。…『頼む、解放軍のために』って…」
 「ああ、言った。…言ったとも…」
 セティの生命の雫が、イシュタルの頬にこぼれる。だが、それを拒絶するように、その雫が頬から流れていく。
 「…あの時、…もし、あの時貴方が、…『解放軍のため』ではなく、…『私のため』と言ってくれれば…」
 そう言って、両手をセティの胸に当て、静かに、そして哀しそうに呟いた。
 「…私は何のためらいもなく、裏切り者の烙印を自ら付け、…解放軍のために…いえ、貴方のために…」
 切なく、哀しい微笑が、セティの胸を締め付ける。
 セティは返答が出来なかった。ただ、両目を閉じ、イシュタルを抱きしめる。
 「…すまない…。自分の心にもっと早く気付くべきだった…」
 「…いいの、いいのよ。……セティ、私の事…好き?」
 「ああ、好きだ!愛している!」
 セティは今までの自分の内に溜めていた想いを、全て吐き出すかの様に叫んだ。
 その哀しみの叫びに、イシュタルは優しい少女そのものの笑みを浮かべた。
 「…私も、…あなたを…愛しています…」
 静かな微笑をたたえて、イシュタルの完璧なまでの碧眼が閉じる。
 「…イシュタル?…イシュタル!」
 セティは叫ぶ。だが、無垢な少女の微笑そのものと言うべき笑顔のまま、彼女は微動すらしない。
 「…イシュタル…。イシュタル………」
 セティは背後でティニーが小さな両手を胸の前で組み、泣いているティニーに気付かなかった。
 いや、周囲で解放軍の仲間が集まっているのにも気付かなかった。
 そして、解放軍の人々は初めて見た。
 そして、アレスが、傍にいたセリスとリーフに呟いた。
 「見ろ。俺は忘れないぞ。…『勇者セティ』が涙を見せたこの日を…」

 

 

 …聖戦が終結したのは、その日の夕方であった。
 激しい戦闘で、多くの兵士を解放軍は失ったが、ユリアを解放し、ユリウスを撃つ事が出来た。
 実の双子の兄を殺す事になったユリアであったが、心を鬼として立ち向かった。
 だが、あと一撃と言う時に、セティが乱入し、ユリウスに引導を渡したのだった。
 ユリアしか倒せないと思っていただけに、突然のセティの参戦に驚いたが、それ以上にユリウスを『フォルセティ』で倒した後、彼が泣いていたのにも人々は驚いた。
 その涙は、嬉しい涙ではなく、哀しい涙である事は誰が見ても分かった。

 こうして、長い長い聖戦が終わり、解放軍の指揮官クラスの人間が、それぞれの国に戻る事になった。
 セティもまた、シレジアに戻り、国を復興させる義務があった。
 新しいグランベル王、セリスに別れの挨拶をし、最良の友にして、義弟となったアーサーにも別れを告げ、そして最良の友の妻となる妹のフィーにも別れを告げる。
 二人は心配そうに、シレジアに戻ろうとする兄を、義兄を見送る。
 言葉をかけようにも、巧い言葉を見出せなかったらしい。
 父親のレヴィンにも、礼儀正しく別れの挨拶をして、立ち去り、それをレヴィンは見送る。
 そして、彼が馬車に乗って帰ろうとした時、少女の声がした。
 「セティ様!」
 馬車に片足を乗せていたセティが、沈んだ悲しい表情を声の主に向ける。
 息を切らしながらティニーが走ってきた。
 セティの目の前で止まり、息を整えながら、ティニーは完璧なまでの碧眼と、少女そのものの柔らかい表情を少し曇らせ、セティに言う。
 「セティ様は…イシュタルお姉さまの事を…愛していたのですね…」
 寂しい笑顔のまま、セティは無言で頷いた。
 「だったら、どうしてお姉さまと戦ったのですか?」
 「…私が、自分の気持ちを伝えられなかった事と、…」
 乗せていた脚を下ろし、ティニーの方に向きながら、
 「彼女が望んだ事でもあった…」
 「…お姉さまが?」
 意外な返答に、ティニーは驚く。
 「ああ、…悪い事だと知りつつも、後に戻れなくなった自分を止めてくれる事を望んでいた…」
 そう言って、セティは話を続ける。
 「私が馬鹿だったよ。『勇者セティ』とか、『シレジア最後の希望』とか言われながら、…愛した人に気持ちを、素直に告白しなかったばかりに…」
 「…セティ様…」
 「一度、チャンスはあった。…彼女を味方にするチャンスが。でも、私がそれを潰してしまった…。すまない。君の姉上を殺したのは、直接的にも、間接的にも私だ…」
 もう、涙は出なかった。涙は枯れ果ててしまったようだ。
 「その罪滅ぼしの為にも、ユリウスを倒した。…ユリアに兄殺しをさせる訳にもいかなかったし、そして私の手で倒す事によって」
 哀しい笑いだが、力強くもあった。そろそろ哀しみから抜け出そうとする力が、緑石色の瞳に宿っていた。
 「イシュタルの居る場所に行ける。…ロプトウスから解放され、天上界で、イシュタルと幸せに暮らして欲しい…」
 そう言って笑い、ティニーの両肩を叩いた。
 「セティ様?」
 優しい真剣な眼差しが、ティニーの瞳を見つめる。
 思わず紅潮し、ティニーは驚く。
 「…フリージを頼む。イシュタルの生まれた国を…」 
 「…はい……」
 ティニーは頷いた。  
 本当は、自分の想いを伝えようとしたのだが、今、自分の想いを伝えるのは、イシュタルお姉さまに悪いと思ったのだろう。彼女は想いを胸にしまう事にした。
 「シレジアまで遠いですが、御気をつけて下さい」
 「ああ、大丈夫だ。仲間がいる」
 「え?」
 セティは馬車の御者に向かって言う。
 「そろそろ行こうか、リットリオ」
 「はい、セティ様」
 御者の服を来た、かつてのマンスターの囚人は、親指を立てて返答した。
 彼は、セティの計らいによって、自由人になったのだが、自分の諜報活動能力と、情報収集能力をこれからセティの為に使うと決意し、シレジアの密偵となる事を志願したのだ。
 「それじゃあ、ティニー。また」
 「ええ、セティ様もお元気で」
 セティは笑い馬車に乗った。
 それと同時に馬車は走りだし、途中でシレジア騎士団が合流し、シレジアへと向かう。
 その馬車を見送り、ティニーは心に誓った。
 何れ、セティ様の心の傷が癒えた時、私の想いを伝えようと…。

 

 

 シレジアへと向かうセティの乗せた馬車が、天馬騎士やシレジア騎士団に護衛されながら決戦となった大地の上を走る。
 ふと外を見ると、荒れ果てた死の荒野が広がっている。
 そこは間違いなく、イシュタルと最後の決戦を行なった場所であった。
 聖戦士同士が戦った、今回の聖戦の愚かさを象徴した場所だ。セティはそう思った。
 窓に腕を置き、その荒野を見つめる。
 お互いに惹かれあいながらも、背中合わせの運命を辿ってしまった。
 (いや、運命ではない。自分が愚かだっただけだ)
 セティは、心の中で呟き、知らず知らずに歌を歌った。
 それは、『風になりたい』であり、恋歌であった。

 そのセティの歌が風に乗り、死の荒野と化した大地に流れていく。
 大地が砕け、全ての生物を破壊し、樹木や草をも粉砕した荒野に流れていく…。
 だが、その死の荒野にも、僅かな植物が残っていた。
 それは、イシュタルとセティが足場を決めた場所であった。
 そこには一輪づつの、名も無き小さな白い花が咲いていた。
 その残った花が、お互いの方向に向かい合っている。
 死の荒野になったこの場所が復活する前兆の様に。

 その二輪の名も無き白い花だけが、恋歌は風になった事を知っていた…。

 

( 恋歌は風になった  −完− )


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