恋歌は風になった

第二章


 それはまだ、セリス皇子率いる解放軍が、イザークで反旗を翻した頃…。
 グランベル帝国に殆ど制圧されたレンスターでは、レンスター王国の王家の唯一の生き残りのリーフ王子を中心とした解放戦線の力が弱まってきた頃、アルスター城の王室で、銀髪の髪の痩身の神経質そうな学者風の中年が、若者三人を呼び、円卓を囲んでいた。
 三人の内、二人は彼の子息であり、もう一人は妹の娘、姪にあたる少女である。
 彼等は全員、魔法騎士トードの血を引くフリージ家の人間で、フリージ家特有の銀髪と完璧なまでの碧眼を所有している。
 「…マンスターはトラキアを牽制する重要拠点であり、帝国の要でもある」
 学者風の神経質そうな中年。名前をブルームと言い、フリージ家の当主でもある。
 現在は帝国から、占領したレンスター王国の領土を任されている。
 「…頭が痛いな。トラキア軍の動向に、残存するリーフ王子の反乱軍に、イザークでは、あの反逆者シグルトの息子が反乱を起こしたそうだ」
 ブルームが大きい溜息をつく。それを三人の若者が、それぞれの同情の顔で見ている。
 「…おじ様、大丈夫ですか?」
 三人の中で、最も心優しい、彼の姪にあたるティニーが心から心配してくれる。
 「…ああ、すまない。ティニー」
 …優しい子だ。ブルームはそう思う。こんな優しい娘に、どうして我が妻、ヒルダは冷たく当たるのか不思議である。
 「問題が多い中、マンスターでは自治権を要求してきた。前からそんな不穏な空気はあったが、ここまで抵抗するとは」
 「父上」
 細い。…何が細いかと言えば、身体だけではない。声も、眉も、目も、顔も細いのだ。だが、芯の強そうな精悍な顔をしている。
 イシュトー。ブルームの嫡男であり、次期フリージ家の当主である。
 「父上は、確かにレンスターをほぼ掌握しました。実質上、レンスターの王です。しかし…」
 息子の言葉に、疲労の顔を少し滲ませながらも、鋭い眼差しを息子に向ける。
 「支配者は時として、寛大さを見せなくては行けません。自治権を認めてもよろしいのでは?」
 息子の意見に、ブルームは顔色ひとつ変えずに呟く。
 「アルスターの、穀物生産量は、重要な兵糧になる」
 「知っています。だが、我々は支配者であって、略奪者ではありません。ちゃんとした税として取れば彼等は文句を言いません。我々は税と称して、アルスターから資金を奪っているのが現状です」
 「イシュトー!」
 ブルームが叫ぶ。威圧感のある声で、気の弱い者なら、声を失い、怯えるだろう。だが、イシュトーはひるまなかった。
 「父上、民が豊かになってこそ、税も多く取れます。我々の今のやり方なら、彼等を貧しくしています。彼等を豊かにしてやるのが支配者としての…」
 イシュトーは最後まで言えなかった。
 ブルームが掌を息子に向けた。これは「分かった」の意味である事を、三人の若者は知っていたのだ。
 「もういい。確かにその通りだ」
 ブルームが、頭を抱え呟いた。確かに息子の言っている事は正しい。だが、ブルームはそれが出来なかった。
 何故なら彼は恐妻家であり、自分の行おうとした政事(まつりごと)は、全て妻に口出しされ、彼女の方法に従ってしまうのだ。
 「…マンスターの代表者に使者を送ろう。まずは話し合いだ」
 すると、今度は、なびく銀色の髪を横で束ねた女性が言う。
 「父上、その使者の役目。私が引き受けましょう」
 「イシュタル…」
 娘の名前を口にして、暫く考える。
 (…うむ、イシュタルなら巧く纏められるかも知れぬ。しかも、イシュトーやティニーと違って、情より、支配者として話を進められるだろう)
 ブルームは決断した。
 「よし、イシュタル。すまないが頼んだぞ」
 「御意」

 イシュタルが用意を整えた時、傍にイシュトーと、ティニーがいる。
 「で、父上に何と?」
 「自治権を認めても良いが、条件は帝国が有利になるようにと」
 それを聞くとイシュトーは双肩を揺らして笑った。
 「ひらたく言えば、名前だけの自治権にしろ…だな」
 「そんな…」
 ティニーが言うと、理知的で芯の強そうなイシュタルは、従妹に優しい微笑を浮かべた。笑うと、イシュタルは少女の様なあどけなさを残した顔になる。
 「心配しないで、ティニー。話をしに行くだけだから」
 そう言うなり、イシュトーとは握手で、ティニーとは抱擁で挨拶し、(瞬間移動)の魔法で、この場を離れていった。
 残された二人が目を合わせる。
 「イシュトーお兄様」
 「…分かっている。イシュタルは、ユリウス様が付いていない限り、優しい」
 「…」
 「大丈夫だ。イシュタルの根は優しいさ。無茶な事はしない」

 

 

 マンスター城を治めていたクレイッツオ家は、一五年前に帝国軍によって、反逆罪の罪で、下は三歳、上は七一歳まで全員が絞首刑にされた。
 それから、マンスターは治めるべき人を失い、その為に帝国の都合の良いように振り回されてきた。
 一五年間もだ。
 その一五年間はマンスターにとって、屈辱的であった。
 だが、誰もマンスターをひとつに纏められる人材は存在せずに、帝国の属国の日々が続いたが、今、このマンスターを纏める若者が現れた。
 流浪の旅人に過ぎなかった緑石色の髪と瞳の青年が、この城に訪れてから、マンスターは一変したのだ。  
(たった、一人の人間がここまで人々を変えられるものなのか?)
 半年ぶりに、マンスターを訪れたイシュタルはそう思った。
 半年前まで、帝国の属国であったこの国は、無気力で悲観的な空気が街を支配していた。
 だが、今は違う。若者達は希望に燃えているし、町全体に活気と楽観的な空気が流れている。
 「クレスト、マフティ」
 イシュタルは、護衛に付いてきた二人の剣士を呼ぶ。
 「この国を治めていた我が帝国の人間はどうした?」
 「はい、まだ、城内にいます」
 「支配しゆにも、マンスターの人々が全く言う事を聞かなくなったそうです」
 「…うむ、羊も群れて行動すると恐ろしいからな」
 熟練の剣士、クレストが、イシュタルに尋ねる。
 「イシュタル様。そのミュラー侯爵に会っていきますか?」
 「必要ない。父上もその様な無能な男は捨てておけと言っていた。私達が会うべき人物は、マンスターの代表者だ。名前をなんと言うのだ?」
 「はい、セティと言うそうです」
 「セティ?」
 それは、十二戦士の一人の名前である。言わばユグドラル大陸の英雄である。その名前を名乗るとは、身の程知らずだな。
 そう思いながらも、若い剣士、マフティに尋ねる。
 「向こうは話し合いに応じると言ってきたのだな」
 「はい。講和は何時でも歓迎だと」
 イシュタルは冷笑した。我々を試しているなと思う。
(兄上の言う通り、大国の寛大さを見せて、自治権を認めるか、それとも大国の威信の為に、今まで通りに属国にさせるかだな)
 情では、自治権を認めてもいいと思っているが、義では、愛するユリウスの為に、彼の望む完全な支配体制の世界の為に、属国のままである。
 今の所、心は苦しいが、義が勝っている。
 そう、いくらあの優しかったユリウス様が、突如狂気に捕われ、変わったとしても、自分はユリウス様の為に生きるのだ。

 

 

 セティが国から旅立ち半年が過ぎた。
 半年前、残ったシレジア軍を再編成し、冬の季節を武器として、帝国軍の兵糧と軍資金を絶ち、殲滅させ、祖国を解放させて半年が過ぎた。
 グランベル帝国の衰退は、その時に決まったのかもしれない。そう、シレジア王子セティ・シレジアの策略の前に、帝国はシレジアから撤退したのである。
 その情報を聞いた帝国王侯貴族の間では戦慄が走り、皇帝アルヴィスは驚愕し、ダナンやブルーム、ヒルダですら青ざめた。
 ただ、ユリウス一人が静かに笑っていたと言う。
 その噂を聞いたセティは、ユリウスの狂気を見抜いていた。 「ユリウス個人は怖いが、皇子としてのユリウスは怖くない。戦士としては有能だろうが、皇子としては無能だ。皇子として恐れる必要はない」
 そう言いきったと、側近の一人が後に記述している。
 後に、「賢聖王」と呼ばれるセティだが、この頃から、相手の言語や仕草から相手の心理を読むのを得意としていたと言う。
 相手の性格を見抜き、それに合った戦略を立てるのがこの頃から得意であったのだ。
 祖国は、自分の片腕とも言うべき、最も信頼するホークに任せてある。
 彼なら、期待を裏切るどころか、それ以上の事をしてくれる。
 それと、帝国も、シレジアに再び侵略してくる戦力はないと踏んだのだ。
 イザーク、ヴェルダン、アグストリア、レンスター各国で反乱が起こり、帝国は戦力を分断されている。
 しかも、帝国の二大将軍、ブルームとダナンが、レンスターとイザークにいる以上、ホークの敵となる将軍はいないと確信している。ホークの将軍としての才能は、大陸でも有数だとセティは確信している。                          
(…それに、このマンスターが力を付ければ、レンスターの残党も集まり、リーフ王子率いる正規軍もこちらへ来るだろう)
 …そうすれば、レンスターは再び反撃への狼煙を上げられるだろう。
 それまでは、このマンスターに力をつけなければならない。すでに、マンスターの正規軍は、帝国より、セティの配下になっている。
 正規軍は、元々マンスターの人間である。マンスターを蹂躙した帝国より、マンスターを開放させようとするセティの味方になって当然であろう。
 しかも、同じ「余所者」なら、人間的魅力の高いセティである。
 堂々として、常に冷静で、知性と教養を見事に融合させた姿勢と言語。気品と頼もしさを重ね持ち、ハンサムなセティにマンスターの人々は噂した。
 「きっと、どこかの王家の血を引いているに違いない」「いや、ここまでマンスターに力を貸してくれるのは、セティ様こそ、我がレンスターのリーフ王子その人に違いない。名前を偽っているのは理由があるんだ」
 後者の噂は、セティにとって迷惑だが、「利用」した。
 肯定はしなかったが、否定もせずに、うやむやにしたのだが、その態度が実に巧みで、「リーフ王子説」の噂が大きくなっていく。
 そう、リーフ王子なら、レンスター領土であったマンスター人にとって希望の象徴であり、セティに尽くすようになる。
 (リーフ王子には悪いが、暫く利用させてもらおう)
 そう思いながらも、リーフ王子の悪い噂を立たないようにも、毅然とした姿勢と、清濁併呑たる姿勢を崩さずに努力した。  
 そのセティが、若草色のマントを身に付け、マンスター長老の家の中庭にある安楽椅子に座り、軽い睡眠に入っていた。
 忙しい日々が続く中、少しの暇があれば眠りに付く習慣が身についている。
 これは、何もマンスターに来てからの習慣ではない。幼い頃から徹底した英才教育を受けてきたセティにとっての、当たり前の習慣なのである。
 両手を膝の上に置き、その手には胸に何時もぶら下げている銀のロケットを手にしている。
 そのロケットは開かれており、中に、若い少女の肖像画が入っている。
 緑石色のショートヘアーの明るい笑顔をした少女が、深緑色のドレスを着ている絵であった。
 シレジアで高名な画家の描いた絵であり、上手に描かれており、この絵の少女を知らない者でも、絵を見るなり、
 「セティ様の妹だろう」
 そう思わせる絵である。笑顔の中にある優しさと教養を感じさせるところといい、鼻筋や顔の輪郭などはセティに似ている。
 だが、セティは浅い眠りからゆっくりと目覚めた。
 それは、「ある気配」を感じたからである。
 (大物が来たみたいだな…何が目的だろう?)
 そう思い、軽く背伸びをした時、庭に一人の若者が入って来た。
 「セティ様。グランベル帝国の使者がセティ様に会談を求めに来ました」
 「ああ、そうだったな。すまないケリス」
 セティは立ち上がり、全神経を一気に覚醒させる。
 「女性です。見事な銀髪と、あれほど綺麗な青い瞳なんて見た事がありません」
 「…フリージ人の様だ」
 フリージ。その名前に、ケリスも緊張した。
 「セティ様…」
 「この会談マンスターの未来がかかっている。成功させるぞ」
 笑った。
 セティは品のある、落ち着いた笑みを浮かべる。
 普通の男の笑みではない。勇者セティの笑顔だ。人々を安心させる魔力を秘めた笑みなのだ。
 言葉に安心させる要素はなかったが、セティ様なら必ず成功させてくれると言う安心感はあった。  
 「相手は、帝国です。万が一の為に、護衛を付けます」
 ケリスは、セティの正体を知らない。と、言うより、マンスターの人々の間でも、セティがシレジア王子である事を知らないでいる。
 印刷技術や、情報伝達技術の低い世界では、遠国の王子の存在など知らないのが普通であり、顔や名前を知らないのは当然である。
 「いや、良い。我々に敵意がない事を証明する為に、護衛はいらない」
 「しかし…」
 「客人達にお茶の用意をお願いします」
 そう言って、セティは会見場へ脚を向けた。

 

 

 マンスターで、最も大きな宿屋、「白狐の巣」。
 その中庭は四季に応じて様々な美しさを見せてくれる木々と庭がある。
 かつて、このレンスター王国の王子、キュアンが、シアルフィ公国の公女、エスリンに、この中庭で求婚したと言われている場所である。
 今は池の傍で紫陽花、菖蒲が咲き、微かな匂いを放っている。
 その中庭の広場で、白い円卓のテーブルと、白い椅子を並べられ、そこにイシュタルが座り、二人の剣士が背後で立っている。
 「変わった趣向だな。この様な場所で、会談とは」
 イシュタルは少し面食らったようだ。
 その彼女にうやうやしく、この宿屋の侍女が彼女の前にワインをそそいだ。
 イシュタルは、美食家ではないし、ワインにも疎いが、香りだけで上等なワインだと分かった。
 イシュタルは少しだけ飲み、グラスをテーブルに置いた時、強い「気」を感じた。
 (何?)
 その時であった。先ほどの侍女が、誰かを連れてきたようだ。
 若者である。長身の美丈夫な身体をした若者で、緑石色の髪と瞳をした若者である。
 優雅で、気品のある若者だ。年齢は自分と変わらないだろうが、風格やその姿勢や仕草は、「只者」ではないと思わせる威圧感がある。
 それは、クレストとマフティも気付いたようで、二人は姿勢を正し直した。
 だが、イシュタルは、その威圧感に押される女性ではない。
 彼女とて、フリージの女王だ。王族の品と風格を漂わせている。
 若者は、イシュタルの存在に気付き、軽く一礼した。
 「初めまして。マンスター代表のセティと、申します」
 「帝国軍を代表して、フリージから来たイシュタルだ」
 「…座ってよろしいですか、イシュタル様?」
 「座らないと会談にならないだろう」
 セティは深く一礼し、対面に座った。
 それと同時に、イシュタルはクレストとマフティに、
 「下がれ」
 二人は驚くが、言い出したら止まらない彼女である。それに、護衛と言っても、名前だけで、イシュタルに護衛は要らないのだ。護衛とは、される人間より強くなくてはいけない。…イシュタルより強い者など存在しない…。
 二人は短く応え、この場を去った。
 …残されたのは、セティとイシュタルだけとなった。
 イシュタルは、脚を組み、気楽に座っているが、優雅さは感じられる。
 セティも、脚を組み楽に座りながら目の前にあったワインを自分のグラスに入れて、グラスをかかげる。イシュタルもグラスを取り、両者、軽くグラスを揺らし、グラスを重ねずに乾杯した。
 「会談に応じてくれて恐縮です。改めて自己紹介します。セティです」
 「フリージ家のイシュタルだ」
 挨拶を再び交わしたが、二人とも自分の本来の正体までは述べなかった。
 本来なら、セティはシレジアの王子であり、「フォルセティ」の継承者。イシュタルは、フリージ家の象徴である「トールハンマー」の正統継承者である。
 言わば、両国の象徴の二人なのだ。
 だが、二人はお互いの本来の姿を知らない。…この時点では。
 戦乱の中で、国が一度占領されたシレジアでは、レヴィン王の嫡男の存在は帝国でも確認されているが、名前と顔までは、はっきりしていない。
 また、王姫がいるのも知られていないのだ。
 また、セティもフリージ家に恐ろしい魔法の使い手の女がいる事を知っているが、まさか目の前の女性とは思っていないようだ。
 「セティ殿。貴公が現在、マンスターの支配者なのか?」
 「私は支配していません。指導しているだけです」
 「指導?」
 「ええ、私は彼等に命令はしません。良い方向を指示しているだけです」
 イシュタルは、少し興味をもったらしく、セティの方に身を向け、脚を正しく並べると、セティもそれにならった。
 「…支配ではなく、指導だと?それだけで、この国は変わったと?」
 「変わったのではありません。目覚めたのですよ」
 「何に目覚めたと言うのだ?」
 「責任感です」
 セティは堂々と答える。だが、イシュタルは冷笑した。
 「責任感にだと?…ハハッ、面白い事を言う男だ」
 「そうでしょうか?」
 「そうだとも、責任感とは王侯貴族の特権だ。国と民を守る責任感があるからこそ、王侯貴族なのだ。その責任感の無き者が、平民なのだ。その平民にどんな責任感があると言うのだ?」
 イシュタルの問いに、セティは即答した。
 「生きている事への責任です」
 その答えに、イシュタルは冷笑を止めた。
 あきれたのもあるだろうが、理解出来なかったのも事実である。
 「生きている間に、次の世代の為に、責任感を持って生きる。より良い世界の為に」
 「…より良い世界だと?」
 「はい、マンスターが少しでも良くなる為にです。ただ、生きているだけじゃなく、次の世代の為に、より良いマンスターにする為にです」
 「…それで、自治権を要求したのか?」
 「はい。マンスターを代表して私達は要求します。マンスターの未来の為に、そして帝国の為にも、マンスターに自治権を御与え下さい。それは、必ず帝国の為にもなります」
 セティは立ち上がり、イシュタルに頭を下げた。
 頭を下げたからには、彼の方が下手に出ているのだが、心理的には、イシュタルの方が押されていた。
 (…な、何なのだ、この男は?)(マンスターを属国にした帝国に対して、為になるだと?)(…何者だ、この男は?)
 セティが更に話を続ける。
 「支配して、租税を搾り取っては、マンスターの人々の首を絞める行為に他なりません。いや、それどころか帝国の首を絞めている行為でもあります。正しい貿易と商易によって両国は発展するのです。一方的であれば、片方が弱くなれば、それに頼っていた片方も弱くなるのは自明の理です。我々マンスターに自治権を御与え下さい。そうして正しい交易を行ってください。そうすれば、マンスターの膨大な穀物生産量は復活します」
 「…復活?」
 「はい、帝国に支配されてから、マンスターの穀物生産量は、全盛期の4割に低下しています。これは何故だと思います?」
 イシュタルは即答出来ない。セティは答えを待っていた訳ではなさそうだ。
 「略奪に近い行為により、農民達の勤労意欲の低下。働き盛りの若者の徴兵による労働力の低下です」
 「…つまり、我々の責任だと?」
 「そうです」
 セティははっきり答えた。
 「一方的に押し付けた帝国の責任です。貴女は先程、国と民を守る責任感は王侯貴族の特権と言いましたね。それなら、その責任感を果たして下さい。その責任感を果たした時、民も彼等の責任感である、労働を果たします」
 イシュタルは声を失った。これほど物事をはっきり言う人物は、今まで彼女は一人しか知らない。
 それは、ユリウス皇子である。
 「責任感は、生きている人間の義務です。自分の行動、言語に責任を持ち、その責任感を果たしてこそ初めて自由になれるのです」
 (…この男、何者だ?!)
 イシュタルは思わず身を引いた。
 今までに聞いた事のない価値観を聞かされ、イシュタルは驚愕している。
 選ばれた才能のある者が、才能の無い者を支配し、導くのが正しい世界だと彼女は信じていた。だが、この若者は全く違う世界観を持っているのだ。
(何故、何故私は反論出来ない?)
(迷っているのか?…私は迷っているのか?)
 この緑石色の髪と瞳を持つ若者に今、雷神イシュタルは圧倒されていた。

(続く)


← back   next →