恋歌は風になった

第一章


 轟音が天空を震わせ、大地に炸裂した!  耳の鼓膜を破壊しかねないほどの轟音が、空気を薙ぎ倒し、網膜を破壊しかねない閃光が、大地を包み込んだ!
 「スカサハ!ラクチェ!」
 解放軍の若き指揮官、セリスが思わず叫んだ。
 その想像を絶する神々の怒りを思わせる閃光の刃は、解放軍でも屈指の剣士である双子に襲い掛かった。
 帝国軍から、「死神兄妹」と呼ばれ、恐れられる大陸でも最強クラスの双子が、雷撃を受けて、倒れたのだ。
 巨大な剣を片手で振り回し、敵を鎧ごと叩き潰す戦法を得意とするスカサハは、なんとか立ち上がり、倒れている妹、ラクチェを肩で担いだ。
 ラクチェは、優雅で見事な業物の剣を手にしたまま、気絶していた。
 (やべぇ、逃げるか)
 ラクチェは圧倒的な強さを誇るが、スカサハに劣るものがあるとすれば、腕力とタフさである。
 スカサハはタフである。疲労というものを、母のお腹の中に忘れてきたような男である。その男が、目の前から迫り来る銀髪の女性を見て、自分の無力さを思い知った。だが、怯える男ではない。
 恐怖と言う感情も、母のお腹に捨ててきた男でもあるのだ。
 (逃げるしかないな…)
 敵は、イシュタル。
 フリージ家の人間にして、雷騎士トードの血を正統に受け継ぐ女賢者にして、最強の雷魔法、「トールハンマー」の使い手。
 この世に、十二の聖戦士の武器があり、そのうちの十一は、攻撃武器であり、どれもこれもが、想像を絶する破壊力と戦闘能力を秘めており、それを受け継ぐ聖戦士は、その武器を手にすると、「たった一人の軍団」と化する。
 そう、その武器を手にした者が近付くと、戦況は一変する。
 そして、聖戦士と戦う事は、死を意味する。
 …筈だが、スカサハは自分が死ぬとは決して考えない男である。
 それは、92%の自信と、8%の慢心から来るものである。  それに、スカサハは一度ラクチェと協力して、イシュタルを一度払いのけているのだ。
 当然、イシュタルはこの二人を覚えていた。
 「…好敵手を失うのは辛いが、これも戦場の運命。貴様等『死神兄妹』の名前は、この雷神イシュタル、決して忘れずにいるだろう」
 「美人に忘れずにいられるのは光栄だけどね、俺は往生際が悪いんだ」
 スカサハは笑う。死すら恐れない男の余裕の笑みである。
 その時であった。
 気を失ったラクチェを肩に担ぐスカサハと、再び「トールハンマー」を放とうとするイシュタルの間に、人影が入った。
 二人は一瞬、その影に驚く。
 「お姉様! やめて下さい!」
 普段は、清楚で可憐な少女だが、この時ばかりは、細身の肢体から全身全霊の声をイシュタルに放った。
 「……ティニー」
 「ティニー!」
 「お姉様! どうして戦うのですか? もうやめて下さい!」
 イシュタルとティニーが向かい合う。
 お互い見事な輝く銀髪の髪の持主である。そして完璧に近い澄んだ碧眼は、フリージ家特有の容姿である。
 事実、二人は従姉妹である。それも、本当の姉妹の様に育った…。
 顔を見ても、良く似ている。
 ただ、イシュタルは理知的で、芯のしっかりした顔をしていて、ティニーの方は、儚げで、清楚な顔をしている。
 ただ、どちらも哀しげな瞳をしているのだが。
 「…ティニー、そこをどきなさい。私は貴女を殺す事は出来ない」
 「私も、お姉様と戦う事は出来ません。でも、お姉様が何故、帝国に力を貸すのか教えて下さい!」
 「…ティニー…」
 「お姉様! あの優しいお姉様はどこへいったのですか? お姉様も子供狩りには反対の筈です」
 その時、イシュタルは静かに、ゆっくりと手を上げ、ティニーに掌を向けた。
 動きが怠惰であったが、その動きはティニーに優しく黙りなさいと言う合図であった。
 「…そうよ、間違っているのは分かっている。…でも、もう遅いのよ」
 イシュタルが哀しげに呟き、呪文の詠唱に入る。
 「さあ、どきなさい、ティニー。私は、貴女を殺す事は出来ない…。早くしないとユリウス様が来るわ。…ユリウス様が来ると…」
 イシュタルは最後まで言わなかった。何故なら、強烈な「風」を感じたからであった。
 この気配は、魔法を操れるものにしか分からない。ティニーも、その気配に感じ、思わず呟いた。
 「セティ様?」
 従妹の呟きに、思わずイシュタルはハッとする。
 黒い衣服を、訪れた風になびかせ、イシュタルの顔が真剣になる。
 …「風」がやってきた。
 まさしく、風の様に流れるように動き、周囲の風を支配し、緑石(エメラルド)を溶かしたような、見事な緑石色の髪と、緑石をはめ込んだような、涼しげな瞳の青年が、ティニーの前に立ち、イシュタルの方にその均整取れた美丈夫な身体と、理性的な瞳をイシュタルに向けた。
 セティとイシュタルの視線が合い、二人は無表情のまま、言葉を交わす。
 「…セティ…、お久しぶりね」
 「ああ」
 二人の声に悲しみが混ざっている。
 (え?、お姉様とセティ様は知り合いなの?)
 ティニーがそう思いながら、セティの背中を見る。
 「…ティニー、下がってなさい。聖戦士同士の戦いは、天変地異を引き起こすから、危ない」
 「…戦うのですか…お二人とも戦うのですか?」
 イシュタルも哀しげな瞳で、ティニーに語る。
 「…お下がりなさい、ティニー。危険よ」
 「でも…」
 「フィー!」
 セティが物静かだが、反論を許しはしない口調で叫ぶと、ティニーの頭上から、一頭の天馬が降り立ってきた。
 セティの妹、フィーであった。
 兄と同じ髪と瞳の、一見活発な美少年と思わせる容姿だが僅かな化粧と、身体の線は、やはり女性を感じさせる。
 明るく、無邪気な性格をしているが、幼い頃から頭脳明晰にして、教養もある「神童」と呼ばれた兄に逆らう事は不可能に近い。
 「ティニー。乗って」
 「でも…」
 「早く! お兄ちゃんを信じてあげて! それと、イシュタルも信じたら?」
 何時の間にか、スカサハも、ラクチェと自分の愛用の巨大な剣を担いで、戦線から離れていった。
 フィーも、殆ど強引にティニーの手を掴み、強引に天馬に乗せる。
 フィーは、解放軍の中でも小柄だが、力は強い。そして、ティニーは非力である。同じ体格でも力の差は歴然である。
 フィーが強引にティニーを連れ去り、その場所には、風の継承者と、雷の継承者が残った。

 

 

 二人は距離を取りながら、精神を集中させる。
 セティの周囲に突風が起こり、彼を中心につむじ風が起こる。
 イシュタルの周囲にも暗雲が湧きあがり、小さな落雷を起こしだす。
 「…やはり、戦うのか、イシュタル?」
 「…すまぬ。私にはもう、引く事が出来ないのだ」
 「優しい君が、何故?」
 「……私が男なら、喜んで解放軍に加わったであろう。だが、私は…女にしか過ぎない」
 「…」
 二人が視線を逸らさず、お互いの真剣な顔を見つめ合う。
 もはや、二人は自分達の持つ最強魔法で勝負に出るのは間違いない。
 セティは、「風使いセティ」の最強の風魔法、「ファルセティ」を。
 イシュタルは、「魔法騎士トード」の最強の雷魔法、「トールハンマー」を。
 そして、どちらも、歴代の聖戦士の中でも、その血筋の中では、「最強の実力者」と謳われる二人である。
 風が、突風ととなり、セティの周囲を回り、つむじ風が、竜巻へと変化する。
 イシュタルの周囲の暗雲が前方に終結し、周囲に激しい放電を行い、近くの木を薙ぎ倒していく。
 解放軍は下がった。とても近寄れる状態ではない。  アレス、アルテナの二人が全員に退避を命じた。
 「聖戦士同士の対決だ!巻き込まれると命がないぞ!」
 「全員退避せよ!魔法同士の激突なら、神話クラスの破壊力が発揮されるぞ!」
 かたや、帝国軍は一人しかいない。
 ユリウスである。ユリウスは遠方から、イシュタルが戦闘に入ったのを確認し、微かに笑い呟く。
 「ほほう、この遊びは、イシュタルの勝ちかな?」
 優雅さと狂人めいた笑みを見事に融合させた笑みを浮かべている。だが、そのユリウスですら、二人に近付こうとしなかった。
 さすがのユリウスも、聖戦士の魔法使いの激突の余波に巻き込まれれば、自分とて危ないのを知っているのだ。

 それは、まさしく天変地異であり、アルテナの言ったとおり、神話クラスの破壊力であった。
 セティとイシュタルの周囲に激しい竜巻と雷の閃光が走り、大地を巻き上げ、砕き、天空をも揺るがし、雷が大気を破った。
 風が、鋭いカマイタチとなり、イシュタルに襲い掛かり、雷が閃光の弓となり、セティに襲い掛かる。
 激しい風と雷の轟音が、周囲の大地とも砕き、天変地異が支配する。
 カマイタチも、閃光の弓矢も、激しく飛び交うが、二人は躱し合う。
 「イシュタル!今からでも遅くない!その力を解放軍…いや、力なき人々の為に使ってくれ!」
 「…遅いのだ。もう遅いのだよ、セティ殿!」
 イシュタルは微かに淋しい笑みを浮かべている。
 「私には、もうユリウス様しかいないのだ」
 セティの気が緩んだ。それはセティの魔力の低下に繋がったのだが、イシュタルも気がそれ以上に緩み、魔法の壁が緩み、セティの「フォルセティ」をまともに受ける結果となった。
 その、偉大なる魔法の風は、イシュタルの若々しい健康的な肢体を切りさき、大量の血を噴出した。
 「…イシュタル」
 セティは魔法を止めた。
 天空と大地をも巻き込んだ魔法合戦は終わり、周囲をも破壊した戦いは終わった。
 だが、それと同時にユリウスがイシュタルの前に現れた。
 「!」
 再びセティが構える。ユリウスはセティを下らぬ下等動物を見るかの様に嘲りと見下した目で見つめ、イシュタルに治癒魔法をかける。
 「遊びは終わりだ。帰るぞ」
 そう言うなり、傷ついたイシュタルの身体とユリウスの身体は光に包まれ、消え去った。

 

 

 (私が…動けなかった)
 セティは、ユリウスの恐怖に呑み込まれていた。
 (勝てるのか…あのユリウスに?)
 セティの背後から歓声と歓喜が聞こえてきた。
 解放軍である。
 セティは振り向くと、真っ先にやってきたのは妹のフィーであった。
 フィーは天馬で近付き、傍まで来ると、天馬から降りて、無邪気な笑顔で、兄の首に両手を回し抱きついてきた。
 セティは無言で笑い、イシュタルを撃破した英雄に近付く解放軍の歓迎を受ける身分となった。
 (だが、私はあのユリウスに勝てるのか?)
 (…それより、イシュタル。彼女が何故?)
 (…あの優しくて、聡明で、美しい彼女が…)

 一方、城に戻り、手当てを受けるイシュタルは夢の中でうなされていた。
 (遅いのだよ…何故もっと早く私の目の前に…)
 (セティ…貴方は現れるのが遅すぎたのだ)
 (……貴方がもっと早く現れたのなら、私は迷わずに…)
 彼女の心は、マンスター城で出会った、若き賢者との出会いの頃に飛んでいた。  

 そして、セティも新たなる行軍の中、物思いに耽っていた。
 途中、ティニーに話し掛けられる。
 「セティ様?」
 「…何だい?」
 「セティ様は、イシュタルお姉様と、御知り合いだったのですか?」
 その質問には、しばらくの沈黙の後に、理性的な顔のまま頷いた。
 「ああ、マンスターで知り合った」
 「…セティ様が守った、あの城ですか?」
 「ああ、君達が来る前日まで、彼女とは一緒に行動していたんだ」
 「…」
 「詳しい事は、また後で話そう。フィーの話では子供達が逃げ、それを救出に行かねばならないし、いろいろしないといけない事が多すぎる」
 「はい」
 そして、セティは気付いていた。
 いや、彼だけではない。逃げる子供達の中から、「偉大なる力」を感じるのである。
 それは、セティだけではない。シャナン、アレス、アルテナ、ファバル、コープルにも感じられている。
 そして、何よりもセリスが強く感じている。
 「僕が、直接あそこに行かなければならない!」
 セリスが叫んだ。
 その叫びは、聖戦士の血を正統に受け継ぐ者達に、確信を持たせた。
 あそこには、セリスだけが使える、聖騎士バルトの血を正統に受け継ぎし者のみに扱える聖剣『ティルフィング』があることを。

 そして、ティニーも気付いていた。
 心の中でティニーは呟く。
 あの日、マンスターで初めてセティと出会った日、「勇者セティ」は、自分の顔を見て驚いていた。あれは間違いなく、私を誰かと間違えたのだ。
 ティニーは今、それを確信した。
 「…あの、どうしたのでしょうか?」
 ティニーはその時、そう尋ねると、セティは理性と教養を感じさせる物静かな笑みを彼女に向け、彼女の目を見ながら優しく答えた。
 「…申し訳ない。失礼した」
 ティニーも今まで、セティのような、理性的な青年を初めて見た。
 顔だけなら、解放軍で一番の美男子と言われるのが、アレスであるが、内面から滲み出る魅力は、間違いなくセティの方が上であろうと、ティニーは思った。
 そう、アレスが異性を惹き寄せる美貌なら、セティは、人間を惹き寄せる、「カリスマ」の持主であろう。
 「…あのう、…私を誰かと見間違えたのでしょうか?」
 ティニーは、あの後、セティに尋ねると、セティは微笑で答えた。
 「…さあ、…私の母上でない事は確かです」  

 そう、あの時のセティの顔は、物悲しそうであった。
 「…イシュタルお姉様は生きているでしょうか?」
 思わず、ティニーはセティの背後から語ると、セティは首を曲げて、ティニーに呟く。
 「ああ、生きている。ユリウスは彼女に回復魔法を唱えていた。間違いなく生きてるさ」
 優れた知性と、人を惹き寄せる教養を重ね持つ青年は、ティニーを安心させる様に言った。
 普通の男が言ったのではない。セティである。気高き理性と教養を持つ若者の言葉は、聞く者に信仰に近い安心感を与える。  だから、ティニーは安心した。
 まだ、イシュタルお姉様を説得出来る好機があると信じている。お姉様なら間違いなく、味方になってくれると信じているのだ。

 そのティニーに背中を向けたまま、セティは想いに耽っていた。
 (…イシュタル。…君なら分かってくれると思う。君なら…)
 マンスター。
 …そう、全てはマンスターからであった。

(続く)


← back   next →