悪役令嬢と変態騎士の花園殺人事件

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  16 主人公のいない世界で  

 ヒューゴのせりふに、イネスははなじろんだ。ヒューゴは冷静に話す。
「私が注目するのは事実だけです。あなたは返り血がつかないように雨具をはおって、アイビーさんを刺しました。自分が罰を受けないように、王家の紋章のついたナイフを使用しました」
 ヒューゴの声は、怖いくらいに落ちついていた。彼はイネスを責めていた。安易にイネスに同情し、流されそうになった私は、自分をはじた。
「あなたはナイフをわざと落として、踊り場から逃げました。ナイフは踊り場から階段へ落ちたのでしょう。アイビーさんはあなたのもくろみに気づいて、ナイフを拾いました」
 イネスは気まずそうに視線を下げた。彼が不幸な生い立ちでも、アイビーを殺していいわけではない。殺人の言い訳にはならない。私はぎゅっと両手を握りしめた。ヒューゴは話し続ける。
「けれどアイビーさんは死にかけです。ナイフを隠したくても、できることはかぎられています」
 そのとき、私の目にアイビーが映った。血にまみれて、今、まさに死のうとしている。右手に持ったナイフを隠したい。しかし、ここは階段だ。隠す場所なんてない。不自然に広がった水色のワンピースのすそ。そこに隠されていたアイビーの片手。
「だからせめて、自分の服、――スカートで隠した」
 私は言った。イネスの肩が震えた。かなり稚拙な、ものの隠し方だ。けれど、第一発見者の私とアリアとエマには、それで十分だった。私たちは死体に慣れていない。気が動転して、ナイフに気づかない。イネスにも、それで十分だったのだろう。
 だが死体に慣れているヒューゴは、すぐにナイフに気づいた。彼はアイビーの遺志をくんで、ナイフを資料室に隠した。正解を言い当てた私に、ヒューゴは笑いかける。次にヒューゴはイネスに、邪悪な笑みを向けた。
「これだけ自己保身をはかっておきながら、殺人を他者のせいにするのは見苦しいですよ。そうそう、どうやって放課後、アイビーさんを階段の踊り場におびき寄せたのですか?」
 イネスはうつむいたままだった。けれど、ゆっくりと話し出す。
「温室でイーサン殿下に別れ話をされて、泣いているアイビーに声をかけました。殿下と仲直りできるように、相談にのる、力になると」
 うつむいていても、イネスの口もとがゆがむのが見えた。笑っているようにも泣いているようにも見えた。
「翌日の放課後、アイビーと中庭のすみで待ち合わせしました。アイビーは僕との仲が周囲に誤解されるのをおそれて、人目を避けました。最初は中庭で相談していましたが、寝ている生徒や菓子をつまんでいる生徒を見つけて、校舎内に移動しました」
 第三学年の教室へ行ったら、女生徒が三人も残っていた。つまり私とアリアとエマだ。イネスとアイビーは、階段の踊り場に移動した。階段は誰も通らなかった。
「僕は持っていたバッグから雨具を取りだし、はおりました。ナイフもアイビーに見せました。それでも彼女は殺されると分かっていませんでした。アイビーは僕からの好意を疑っていなかったのです」
 イネスは顔を上げた。気弱なまなざしがあった。彼はすがるように、ヒューゴにたずねる。
「彼女は、自分はなんでも知っている、ゲームの知識があると言っていました。けれど実際は、僕に殺されました。この世界は、恋愛のゲームです。主人公がいなくなり、ゲームは終わりました。なのになぜ、世界は続いているのでしょう?」
 私も、教えてほしいとヒューゴを見た。ヒューゴは少しあきれたように、息を吐く。
「私には分かりません。ただ、この世界がゲームでもそうでなくても、アイビーさんはあなたの殺意に無力でした」
 彼はたんたんとしゃべる。
「ゲームの知識は役に立つこともありますが、役に立たないこともあります。足を引っ張ることさえあります。あまりゲームにこだわるべきではないと、私は思います」
 ヒューゴの言葉はそっけない。彼は事実を述べているだけなのだろう。私には耳の痛い話だった。イネスはあきらめたように、力なくソファーの背にもたれかかる。
「最後にひとつ、教えてください」
 イネスはひざの上で、両手を組んだ。
「僕に翼があると、アイビーはほかの誰かに言ったのですか? それであなたは先週、僕に『隠している翼を見せろ』と要求したのですか?」
 彼の手が震えていた。イネスはアイビーに秘密をばらされた、裏切られたと思っているのだ。だがそれは誤解だ。私がヒューゴに話したのだ。私はイネスに説明しようかと迷った。しかしヒューゴがさきに口を開く。
「アイビーさんの名誉のために教えます。彼女はあなたの秘密をもらしませんでした。私は別の方法で、あなたの翼について知りました」
「そうですか」
 イネスはぼう然として言う。彼はぼんやりとしてから、思い出したように私を見た。悲しそうに、ほほ笑みかける。
「死体なんて発見させて、ごめん。君を巻きこむつもりはなかった。アリアとエマにも謝ってほしい」
「うん……」
 私は答えた。私にとってイネスは、仲のいいクラスメイトのままだった。彼は自嘲する。
「自分で殺したくせに、アイビーの死体は怖かった。しかも彼女は、踊り場から階段へ落ちていた。僕は心底驚いたし、恐怖した」
「あなたはアイビーさんを殺しそこなったのです」
 ヒューゴの声は冷たかった。
「ナイフで刺されても、彼女はまだ息がありました。だから階段へ落ちてまで、ナイフを拾ったのです。アイビーさんは死ぬまでの間、相当、苦しかったと思います」
 イネスの顔は青くなる。私もやりきれない思いだ。ヒューゴは、何かをこらえるように両目をつぶった。やがて目を開ける。彼は優しい笑みを作った。
「明日が裁判です。今日はあなたのお母さんとゆっくり過ごすのがいいと思います」
 イネスは悲しげにほほ笑んだ。
「ありがとうございます。そうします」
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