水底呼声 -suitei kosei-

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  砂漠の歌姫5  

バンゴール自治区は,元砂漠の国だ.
結界が壊れて羽が降り注ぐという大事変があるまでは,国土のほとんどが砂漠だった.
メイシーは羽を受け取ったとき,若い女性のなぞめいた声を聞いた.
しかし今は,何の力が働いているのか,砂漠は緑地になった.
急激な気候変動により国中が混乱し,今まで渇望していた水や湿気に逆に苦しめられた.
けれど二か月ぐらいたつと新しい環境に慣れて,砂漠だったときよりずっと暮らしやすくなった.
だが外国の者は,いまだに自治区を砂漠の国として認識する.
なのでメイシーは神聖公国では,“砂漠から嫁いできた姫”だ.
メイシーの褐色の肌は目立つので余計だ.
そしてバンゴール自治区は,国のようで国でない.
簡単に説明すると,ひとつの国の中に六つの部族があるのだ.
六つの部族はそれぞれ独立していて,仲がよかったり悪かったりする.
さらにラセンブラ帝国と親しい部族がいたり,スンダン王国と懇意にしている部族がいたりする.
そんな中メイシーは,ヘキ族長の娘のひとりとして産まれた.
ヘキには現在,三人の妻と十四人の子どもがいる.
メイシーの異母姉のうちのひとりに,ロウシーという女性がいる.
メイシーは,母親を早くになくした.
ロウシーは,そんなメイシーにとって母親代わりの姉だった.
しかし彼女は,セイキ族長に嫁いで一族から出ていった.
メイシーはセイキと面識はないが,かなりの切れ者だとうわさは耳にする.
そして彼は,スンダン王国と密接なつながりを持っている.
「神聖公国とスンダン王国の間を取り持ったのは,セイキ族長ですね?」
スミがいなくなった後,自室の中で,メイシーはたずねた.
「あぁ.」
ライクシードは,言いづらそうな顔で肯定する.
「あなたが自治区を旅していたのは,セイキ族長に停戦の仲立ちを頼むためだったのですか?」
「そうだ.私は,和平のために力を貸してほしいと,セイキ族長やダカン族長に頭を下げた.」
ダカン族長もスンダン王国と仲がいい.
「そしてロウシーお姉さまが,私との婚姻を条件に出した.」
おそらく姉は,メイシーの苦境を人づてに聞いたのだろう.
彼女はメイシーを救うために,ライクシードに結婚をせまった.
「ちがう.しかし私は君と縁づくことによって,セイキ族長の協力を得た.」
「え?」
「つまりは政略結婚だ.私は下心を持って,君に求婚した.」
詳細は分からないが,やはり政略結婚だったらしい.
初めて会ったときライクシードは,大勢の人の命がかかっていると口にした.
戦争の終結という宝が,メイシーの背後にあったのだ.
だからメイシーがどんな女性でも,ライクシードは結婚を申しこんだ.
結婚の宴の席でも,話題の中心は自治区ではなくスンダン王国だった.
スンダン王国との和平だった.
メイシーの心は冷えた.
政略結婚だと分かっていたのに.
けれど,こんなにも大きなもののための結婚だったなんて.
いや,本当は分かっていなかったのだろう.
ただ漠然としか,政略結婚の意味を理解していなかった.
風に飛ばされる鳥の羽のように,メイシー自身の存在は軽いのだ.
メイシーは,ライクシードから視線を外す.
円卓に置いてあるウィッヂを取った.
ライクシードは落ちこんだ様子でいる.
「大広間へ行きます.」
メイシーは一応,彼に声をかけた.
「君が何を考えているのか分からない.」
彼はうつむいたままで,しゃべる.
「さっきは政略結婚だと承知していると言ったのに,」
ゆっくりと顔を上げて,心配そうに見つめる.
「今は病人みたいに青い顔をしている.……私はうぬぼれていいのか? うぬぼれていいなら,来てくれ.」
両手を広げて,メイシーを待つ.
ここに来てくれ,と.
メイシーは,わが身を守るようにウィッヂを抱いた.
「もし私がウィッヂしか持たない旅芸人だったら,あなたは結婚しましたか?」
「しなかった.」
彼は,はっきりと答えた.
「私は君より,神聖公国を守ることを選んだ.」
普段優しいだけに,声はひどく冷たく感じられる.
多分,メイシーはちがう答を期待していた.
君が誰であっても結婚した,という.
「私が君と結婚したのは,君がセイキ族長の義妹だったからだ.」
メイシーはウィッヂを抱えて,ライクシードから走って逃げた.
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