水底呼声 -suitei kosei-

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  砂漠の歌姫4  

「昨日から言いたかったが,――いや,結婚したときから告げたかった.」
引きこまれるように彼を見つめる.
どきどきと胸が鳴っている.
「だが君にさらなる負担を与えそうで,言えなかった.しかし今なら,君は毎日楽しく歌っているから,大丈夫だと判断したんだ.」
負担を与えるということは,何か仕事をしてほしいのだろうか.
「君に初めて会ったとき,君は自治区の楽器を演奏して歌っていた.」
メイシーはうなずいて,続きを促した.
「私はそのとき重大な使命を帯びていて,けれど自分にできるか不安で,あと失恋したばかりで,さらに城からまた追放されたようなもので,」
ライクシードは再度情けなさそうな表情になって,言いよどむ.
だがすぐに,目もとをきりっとさせた.
「そんな私のしずんだ心を,君は励ました.だから,私は,」
口を開けたまま,彼は黙った.
視線があちこちにさまよって,テーブルの上のメイシーの手に落ちつく.
「君の手は,意外に大きいな.」
「はぁ.」
確かにメイシーの手は大きく,指は長い.
ウィッヂが弾きやすいので,メイシーは気に入っている.
ちなみに背も高い方だ.
「私の手と,あまり変わらないじゃないか.」
ライクシードは,手を広げて近づけた.
「そうですね.」
メイシーも手を接近させる.
けれど彼の手に触れるのはためらわれて,そっと体温だけ感じた.
かぁ,と自分の顔が赤くなるのが分かった.
夫なのに,彼とは手をつないだことさえないから.
鏡に映したみたいに,ライクシードのほおも赤くなる.
「私は,君が,」
彼が,緊張した声でしゃべる.
ふたりの手が触れそうで触れない.
「す,」
トントン,トントン!
メイシーはどっきりして,音のした扉の方に視線をやった.
「メイシー様,ライクシード殿下,いらっしゃいますか?」
明るい声が扉の向こうでする.
視線を戻すと,ライクシードは力つきたようにテーブルにつっぷしていた.
メイシーは,扉を開くべきか彼に声をかけるべきか迷った.
するとライクシードは,ものすごく怒った様子で顔を上げる.
「スミのやつめ,今のはわざとか?」
大またで歩いて,扉を勢いよく開いた.
国王バウスの親衛隊の少年は,こげ茶色の瞳を丸くする.
この少年は,セシリアの婚約者でもある.
婚約したのは,つい一か月ほど前の,メイシーがライクシードに剣を返した翌日だった.
「なんで怒っているのですか?」
驚いているスミに,ライクシードは怒りが抜けたらしく,両肩が下がっていく.
「怒ってすまない.君は悪くない.扉をたたいただけだ.」
がっくりとうなだれた.
スミはとまどって,メイシーとライクシードに交互に視線をやる.
「お邪魔でしたか? でも今日は,おふたりとも大広間に行かないといけませんよ.」
スンダン王国と神聖公国で,それぞれの国境軍を縮小する約束がなされたという.
なので大勢の兵士たちが国境警備の任を解かれ,故郷へ帰ることになった.
彼らは,大多数が南方に住む地元の男たちだが,首都や首都近郊から派遣された兵士たちもいる.
和平が決まるまで,神聖公国を命がけで守ってきた男たちだ.
地元の男たちは,南方の大きな街で歓待を受けて,すでに帰郷した.
そして首都や首都近郊の男たちは,長旅をして城まで戻ってくる.
「明日かあさってに帰ってくるという話でしたが,予定よりはやく城に着いたらしいです.」
メイシーは小さく,あ,と声を上げた.
ライクシードの言った,明日かあさってとはこのことだったのか?
しかし,なぜ国境軍の縮小が,――スンダン王国との戦争終結が,メイシーとの結婚に関係するのか.
メイシーは自治区の姫であって,スンダン王国の姫ではない.
「今はもう大広間も前庭も,帰還兵たちでごった返しています.今日は一日,城も城下街もお祝いですよ.」
酒も菓子もいっぱいです,とスミは楽しげに笑った.
「それでバウス陛下が,メイシー様に大広間で歌ってほしいとおっしゃっていますが,どうでしょうか?」
「もちろん,喜んで.」
メイシーは即答した.
メイシーは十日ほど前に,バウスに自治区の歌を披露した.
正確には,バウス,マリエ,セシリア,スミ,ライクシード,ライクシードたちの父親に,だ.
彼らはとても喜んでくれた.
そして今日,バウスはメイシーに歌を依頼した.
依頼したということは,メイシーの歌とウィッヂを高く評価したということだ.
これ以上に,うれしいことはない.
しかも祝いの席で国王に請われて歌うなど,大変名誉なことだ.
さて,どんな曲を演奏しようか.
ライクシードとスミがひそひそと話す横で,メイシーの心は浮き立った.
「構わないですか,ライクシード殿下?」
「彼女がいいと返事している以上,私もいいに決まっている.ただ彼女が歌う前に,私の妻だと周囲の男どもに言い聞かせるのみだ.」
戦士たちの帰郷を喜ぶ歌,故郷へ帰ってきたときの歌,愛する人と再びめぐりあえた恋の歌.
「怒らないでくださいよ.」
「怒っていない.メイシーが歌っているときに,私が隣に立っているだけだ.」
ほかには,どのような歌が場にふさわしいか.
「それは相当,邪魔ですよ.あなたも一緒に歌うのですか?」
「あぁ,歌おうか? ひーかりーの,くっにー,ラート・リナーゼー,たったえよーっ! 神をぉおおー,」
しかし,最近弾いていない曲をやるのは不安だ.
普段から練習しているものの方が無難だろう.
「失礼ですが,本当に下手ですね.もはやちがう曲ですよ.」
「私は昔から,歌が苦手なんだ.」
「セシリアも音痴ですし,もしやバウス陛下も,――あ,そうだ.メイシー様,……メイシー様!」
いきなり名前を大声で呼ばれて,メイシーはびっくりした.
「え? 何かしら?」
「セイキ族長が会いたいそうです.あなたが元気かどうか,心配していましたよ.」
急に水を浴びせられた気分になった.
「それじゃ,はやく大広間に行ってくださいね.」
スミは愛想よく手を振って,廊下を立ち去った.
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