水底呼声 -suitei kosei-

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  砂漠の歌姫3  

「私の声を風は運ばない.私の想いは届かない.」
ウィッヂを返してもらった日から,メイシーは自治区にいたときのように,毎日ウィッヂを弾いて歌っていた.
「けれど月が見守ってくれる.あなたに届かなくても,私の想いは死なない.」
自室で歌っていると,ライクシードがふらりとやってくる.
でもほんのちょっとおしゃべりしただけで,すぐに立ち去る.
「あなたのまなざしは,乾いた大地をうるおした.」
もっと長居してくれればいいのに,彼は遠慮して部屋を出ていく.
「雨のような喜びと,悲しみをもたらした.」
だから日持ちのするお菓子を,部屋に常備するようになった.
甘くておいしいクッキーを,双子のメイドのディアナとエルに作ってもらったのだ.
夫を引き止めるための,ささやかな作戦だ.
「あなたに出会ったことは,無意味ではない.」
メイシーの想いは,日に日に強く深くなっていく.
自覚できるほどに,歌声やウィッヂの音色が変わった.
一流の奏者になるためには恋をしろと師匠に言われたが,確かにそのとおりだった.
「千年,万年,変わらない.銀色の月が輝いている.」
後奏まで弾きおえると,部屋の扉がこんこんとたたかれた.
彼が来たのだろう.
メイシーはウィッヂを円卓に置いて,いそいそといすから立ち上がった.
扉を開けると,ライクシードが緊張した面持ちで立っている.
「大切な話があるんだ.」
いつもとちがう彼に,メイシーは不安になった.
思い返せば彼は昼食のときも,普段と様子がちがったかもしれない.
「はい.」
大切な話とは何だろう.
メイシーは彼を,部屋の奥のテーブルとソファーに案内する.
棚からクッキーの入った皿を取りだしてテーブルに置き,夫の向かいに腰かけた.
けれど彼はなかなか話し出さずに,菓子にも手をつけない.
オアシスの泉みたいな青の瞳が迷っている.
メイシーが辛抱強く待っていると,彼は口を開いた.
「私と君の結婚は,政略上のものだ.このことをずっと黙っていた.すまない.」
ライクシードには,謝りぐせがあるようだ.
しょっちゅうではないが,結構な回数で,すまないが出てくる.
「はい.」
メイシーは返事して,続きの言葉を待った.
しかし彼は,気うつな表情のまま何も言わない.
しばらくたってから,怒ったように,
「私は君をだましていた.君を助けるためではなく,わが国の利益のために結婚した.」
「いいえ.私は,」
メイシーは押されたように,身を引いた.
「神聖公国の王弟とバンゴール自治区の族長の娘の結婚と,承知しています.」
政略結婚だと,ちゃんと理解している.
そもそもライクシードのような立場の男性が,人助けで結婚するわけがない.
この婚姻は,神聖公国と自治区のつながりを強くするためのものだ.
実際に,神聖公国に自治区の商人が増えたと聞く.
ライクシードは,ため息をついた.
「君は聞き分けがいい.私を責めてもいいのに.」
少しの間,黙ってから,また話す.
「だが政略結婚だけではないことが,君以外の人たちにはばれている.」
メイシーは首をかしげた.
政略結婚ではない?
「しつこくつきまとって結婚してもらっただの,砂漠からさらってきただの,部屋に閉じこめて楽器を弾かせているだの,城や城下街でさまざまなうわさが立っている.」
メイシーは,あぜんとした.
「なぜそんな,ひどいうわさが流れているのですか?」
ライクシードは情けなさそうに,まゆじりを下げる.
「私が過去に,いろいろな騒ぎや問題を起こしたせいだ.私は一度,城を追放されている.」
追放という言葉に,ぎょっとする.
いったい何があったのだ?
「でも安心してくれ.もう解決して終わったことだ.」
彼はあわてて弁解した.
「今では,ミユとは友人だし,カズリもほかの男性と結婚して幸せに暮らしている.くわしいことは言えないが,――いや,君が知りたいなら,きちんと説明する.」
しかし不安げに,メイシーを見つめる.
「いいえ,結構です.」
メイシーは断った.
詮索したい気持ちはあるが,興味本位で彼の過去をあばきたくない.
それに,何となく検討はつく.
最初のころは,男性不信がひどくて気づかなかったが,彼は相当な美形だ.
こんなにも華やかで人目を引く男性は,初めて見る.
立ち振る舞いも優美で,親切で社交的で,おごり高ぶったところがない.
女性に人気があることは,容易に想像がつく.
したがって周囲の女性たちが,騒ぎや問題を起こしてもおかしくない.
メイシーの返事に,ライクシードはほっとしていた.
「それで話は戻るが,明日かあさってには,誰の目にも政略結婚だとあきらかになる.」
メイシーは,まゆをひそめた.
今度は政略結婚らしい.
なぜ,こんなにも話が二転三転するのか.
「だからその前に,伝えたいことがある.」
真剣な声とまなざしに,どきんと鼓動が跳ねた.
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