水底呼声 -suitei kosei-

戻る | 続き | 目次

  砂漠の歌姫2  

約二か月後,神聖公国の城で,メイシーとライクシードの結婚式が執り行われた.
メイシーは彼と会うのは,二回目だ.
彼は常に,優しい笑みを浮かべている.
メイシーは,自治区から持ってきた淡い黄色のドレスを着て,紫色の髪は結い上げていた.
紅色の瞳で,夫となる男性を見つめる.
彼のことは信頼すると決めた.
だが,やはり男は怖い.
暴力をふるったカーロとそれを許した父のせいで,完全に男性不信だった.
しかも父は,
「ライクシード殿に愛想をつかされないように,そのみにくい顔の傷をさっさと治せ.」
と命令して,メイシーの神経を逆なでした.
幸いなことに結婚式までに,体の傷やあざは目立たなくなったが.
式が終わり,国王バウスの宣言とともに立食形式の宴が始まる.
「少し抜け出しましょう.あなたは緊張で,体ががちがちになっているわ.」
王妃のマリエは,メイシーをすぐに大広間から連れ出した.
小さな食堂に入ると,王妃みずからがお茶をいれてくれる.
メイシーが恐縮していると,
「私は以前,メイドだったの.」
マリエはきまじめな顔で冗談を飛ばす.
しかし彼女のおかげで,メイシーはだいぶ楽になった.
メイシーは自治区から長い旅をして,神聖公国の城に到着したばかりだ.
旅装を解いて,ただちに結婚式だった.
なので緊張もあるが,単に疲れていたのだ.
大広間に戻ると,ライクシードの妹であるらしいセシリアが待っていた.
少女はメイシーを壁ぎわのいすに座らせて,自身も隣に座り楽しくしゃべりかけてくる.
こちらが気後れするような美少女だが,年が近く,気さくで親しみやすい性格だった.
「おなかがすいたよね? 食べに行きましょ.」
セシリアはメイシーを,大広間の中央にいくつも並べてあるテーブルまで連れていく.
神聖公国は結界があったために,外交はほとんどしていなかったという.
当然ながら,外国から姫を迎えるのは初めてだ.
その割には,メイシーはあまり注目されていない.
誰も近づいてこずに,セシリアとのんびりと食事を楽しんだ.
逆に,自治区から一緒にやってきた父と三人の異母妹たちは,あちらこちらにあいさつをして回っている.
豊かな国の王族であるライクシードと縁続きになれて,うれしそうだった.
本来ならメイシーは,父のそばに立って笑顔を振りまくべきだが.
メイシーはゆううつな気分で,父のはしゃぐ姿を見た.
ふと,父の隣にいるライクシードと目が合う.
彼は,いたわるような笑みを見せた.
大丈夫,君の気持ちは分かっている,とでも言いそうな.
メイシーは困って,視線をそらす.
そんな風に親切にされると,心が迷う.
マリエが再びそばにやってきた.
「疲れたでしょう? もう宴から出ましょう.」
セシリアはうなずいたが,メイシーはとまどった.
確かに疲れたし,早く部屋に入って,ドレスを脱いで化粧を落として休みたいけれど,
「私は何も…….」
花嫁としての仕事,――社交をしていない.
本当は父とともに,さまざまな人たちとあいさつすべきなのに.
「心配しないで.今日のあなたの仕事は終わったわ.それに実は,」
つい数日前に,結界崩壊以降ずっと戦争状態だったスンダン王国との間に停戦条約が結ばれたのだ.
なのでそちらが話題の中心になりがちで,メイシーは大して注目されていない.
よって宴の途中で姿が消えても,誰も問題視しない.
マリエの説明にメイシーは納得して,遠慮なく宴を抜け出した.
神聖公国の人々の間を通り抜けるときに,聞き耳を立ててみると,
「ついに冷戦が終わった.実際に血が流れたのは,結界が壊れた直後の二,三日だけだったとは言え,長い戦争だった.」
「これですべての周辺国と,友好条約なり停戦条約なりを結んだな.」
「南方国境にいる兵たちの疲労は,極限に達していたと聞く.停戦が決まるまで,よく耐えてくれた.」
「バウス陛下は,大陸一の賢王だ.マリエ様もライクシード殿下もよく支えてくださる.」
自分はいい国に嫁いだらしい,メイシーはほっとした.
ところが夜になると,恐怖しか感じられなくなった.
寝室のベッドで,がくがく震えながら夫を待つ.
おぼろげな知識はあり,その手の歌もよく口ずさむが,メイシーにはまったく経験はなかった.
いっそのこと,ライクシードがすぐに来ればいいのに.
手早く初夜を済ませて,この長い一日を終わらせたい.
すると願いどおりに,彼が扉を開けて寝室に入ってきた.
こわばった顔をしているであろうメイシーを見て,彼は悲しげにほほ笑む.
困っているようにも,あわれんでいるようにも見えた.
彼はベッドに近づかず,扉のそばに留まる.
「来るのが遅くなって,すまない.今夜はひとりで休んでくれ.明日,元気な顔を見せてほしい.」
さっと寝室から出ていった.
メイシーは安堵のあまり,――いや,ごく単純に疲れ切って,ベッドに倒れ伏して眠った.
翌朝は朝寝坊をして,遅い目の朝食を自室で取った.
ひとりで食べていると,ライクシードが意を決した様子でやってくる.
「私は昔から,歌が好きなんだ.」
にこにこ笑いながら,神聖公国の歌をたくさん歌って教えてくれた.
「どの歌も,ふしぎな音の動きをするのですね.」
メイシーはいろいろな国の歌を知っているが,神聖公国の歌はほとんど知らない.
とても奇妙で,興味深い.
彼と一緒に食事するのは楽しくて,自然に笑いそうになる.
けれど気持ちがぐらぐらと揺れて,心が何かを迷っている.
昼過ぎには父たちは自治区へ帰り,その夜はライクシードは寝室に来なかった.
そして,何日も何日も日が過ぎた.
ライクシードは,夜は来ない.
しかし毎日,日当たりのいい食堂で昼食をともに取る.
予定が合えば,セシリアやマリエたち家族も一緒に食べる.
城の使用人たちもみな好意的で,メイシーに不便がないように気づかってくれる.
暖かい人たちに囲まれて,異国での新しい生活に慣れていく.
なぜ心が揺れまどうのか分かった.
彼の視線を受けると,体の芯が震えるのだ.
結婚してから十五日後,メイシーはひとりでライクシードの部屋におもむいた.
預かっていた剣を返す.
「この剣がなくても,私はあなたを信頼します.」
あなたと,あなたを取り巻くすべてを.
「ありがとう.」
ライクシードは,ほほ笑んで受け取った.
そして部屋の奥からウィッヂを持ってきて,メイシーに返す.
「どうか,この国でも奏でてほしい.」
ウィッヂはまったく傷ついておらず,ほこりさえもついていなかった.
彼は大切に保管していたのだ.
もしかしたら,楽器の専門家なり音楽家なりを頼ったのかもしれない.
メイシーの胸が,じんわりと温かくなった.
彼に優しくされるたびに,心が揺れる.
男性不信に陥り,固い殻をまとっていたのに.
このまま誰も愛さないか,誰かを愛するかで迷っていた気持ちが決まった.
そして,もう二度と揺らがない.
こんなゆっくりとした恋の始まりがあるとは知らなかった.
「ありがとうございます.あなたの妻として,一生つくします.」
メイシーは心から感謝して言った.
戻る | 続き | 目次
Copyright (c) 2014 Mayuri Senyoshi All rights reserved.
 

-Powered by HTML DWARF-