水底呼声 -suitei kosei-

戻る | 続き | 目次

  旅立ち  

みゆの羽を受け取ったルアンは,ベッドから離れて部屋の窓を開けた.
ルアンの泊まっている部屋は二階にあり,宿は王都の中心から少し離れた場所にある.
朝の柔らかい日差しの中,眼下に広がる街は静かで,大通りでは犬が一匹寝ているだけだ.
しかししばらくすると,通りに人が増えてきて騒然としてくる.
人々はみな興奮して,楽しそうにしゃべっていた.
「すごいことが起きた! 白い羽がどこからともなく現れて,」
「見たことのない景色が,――一面の草原や火を噴く山が見えた.」
「女性の声がしたわ.あれは誰なの?」
「世界の果ての海や山の向こうに,私たちと同じような人々が暮らしていた.信じられない.」
ルアンは微笑した.
みゆにはかなわないな,と思う.
ルアンはウィルを守るために,百合を利用してバウスを裏切った.
これしか方法はないと考えたから,やったのだ.
だがみゆは,ルアンとは別のやり方でウィルを守った.
本当にウィルのためになることをやったのは,ルアンではなく彼女だ.
二年前もみゆは,ウィルを眠らせて部屋に閉じこめたルアンをしかった.
そして,ルアンとウィルの話し合いの時間を作ってくれた.
ルアンは,そっと窓を閉じる.
ベッドを振り返ると,枕もとに置いていた羽はなくなっていた.
もともと実体のないものだから,消失して当然だろう.
部屋から出て,食堂のある一階に降りると,店主やほかの客たちもはしゃいでいた.
「王都の暗さを,――いや,王国中を覆っていた闇を消すような光の羽でした.」
店主は,感動をそのままにルアンに伝える.
「あなたのところにも羽は来たのでしょう? 何が見えたのですか?」
みんなそれぞれ,ちょっとずつちがうものを見たらしいですよ,と教える.
「僕には,今は遠く離れている息子の姿が見えたよ.」
ルアンはにっこりとほほ笑んだ.
朝食を取ってから,会計を済ませ宿屋を後にする.
王城に足を向けると,城の前は人々でごったがえしていた.
どうやら掲示物があり,それを見るために人々が集まっているらしい.
ルアンも人混みに入り,看板に張られた大きな紙を見上げた.
羽には害はない,くわしいことは追って説明するということが,簡潔に書かれていた.
ルアンは看板から離れて門まで行き,門番の兵士に国王に会いたいと告げる.
兵士はルアンの顔を覚えていて,すぐに城の中へ案内した.
客室のソファーに座って待っていると,ドナートがやって来る.
じゃっかん疲れた風だが,はればれとしていた.
「お待たせして申しわけないです.」
ルアンは立ち上がって,彼を迎える.
「こちらこそ,おいそがしいところ,おそれいります.」
ルアンにとってドナートは,十才以上も年上だ.
気さくな人柄をしているが,国王らしい貫禄もある.
ふたりはたがいに笑いあい,ソファーに向かい合って腰かけた.
カートを押したメイドがやってきて,お茶とお菓子をテーブルに並べ出す.
「今日は,別れのあいさつを伝えにまいりました.」
ルアンはしゃべった.
「今から,息子のいる神聖公国へ帰るつもりです.ミユちゃんも,そばにいるみたいです.」
羽で見えた景色から,ふたりは大神殿にいるようだった.
「ミユに会ったら,王国を救ってくれてありがとう,指輪は君の好きにしてくれと伝えてください.」
「はい.」
ルアンは快諾して,お茶でのどをうるおした.
カップを受け皿に戻すと,メイドの女性が話しかけてくる.
「私もお願いしてもいいですか?」
「何だい?」
「ミユ様にお伝えください,『あなたは私の信じるとおりの女性でした.私たちの未来を守ってくれてありがとうございます.』と.」
亜麻色の髪の,美しい娘だ.
彼女は心底うれしそうにほほ笑んでいる.
「承知した.君の名前は?」
「ツィムと申します.」
メイドは一礼して,部屋から立ち去った.
「彼女はミユと親しいのです.ミユがこの国に召喚されたときから,ずっと.」
国王が教えた.
「もしミユを召喚したときに,神の呪いをはらってくれと頼んでいたら,どうなっていたのでしょうか?」
異世界人であるみゆのとてつもない力によって,呪いは消し去られたのかもしれない.
「分からないです.ただ彼女は,力を使いこなせていませんでした.なので呪いは,はらえなかったでしょう.」
ルアンは答える.
「そうですね.それに,力を使いこなしていたとしても,」
呪いを解くことはしなかっただろうと,ドナートは語った.
「ウィルもそうですが,ミユもそうとう変わりました.二年前は,ウィルと同じ孤独をまとった娘だと感じました.けれど今は…….」
彼の唇は弧を描き,言葉をつむがない.
ルアンも黙り,きのこの形をしたクッキーを口に入れた.
続きの言葉は必要ない.
みゆとウィルは,孤独とは無縁だと分かっている.
ふいに泣きたいような暖かな気持ちがこみ上げてきて,ルアンは深く頭を下げた.
「ウィルを育ててくださって,ありがとうございました.」
顔を上げると,ドナートは目を丸くしていた.
それから,ゆるゆると首を振る.
「感謝してはいけません.私は彼に,殺人を強要しました.」
「ですが,あなたがいなければ,息子はもっとつらい人生だったでしょう.」
カイルは,ルアンとリアンのおかした罪のために,ウィルを純粋に愛せなかっただろう.
「ウィルを孤独から救ったのは,ミユです.」
ドナートはやはり否定した.
けれど彼がいなければ,ウィルはみゆと出会う前に死んでいたのかもしれない.
もしくはみゆと出会っても,彼女を守り愛することができなかった.
あるいは,みゆのいなかった二年間で,世に絶望して命をたっていたのかもしれない.
ウィルに愛することを教え,親としての愛情を注いだのは,きっとドナートやエーヌたちだ.
「そしてミユは,王国までも救ってくれました.だから次は,国王である私ががんばる番です.結界がなくなって,水の国と国境が接してしまいました.」
カリヴァニア王国は,水の国の中にある.
さらに王国は,大陸で一番小さな国だ.
呪いがなくなったとはいえ,王国の状況は依然厳しいままだ.
「おろかな国境争いで,国民の命を犠牲にするつもりはありません.王国はすでに,大勢の人々の血や不幸の上にたっています.これ以上の悲しみは,国をほろぼすでしょう.」
国王のしわの深い顔に,悔恨の念がゆらめく.
百合や殺されたいけにえたちのことも含めて,多くのことを思い出しているのだろう.
「水の国に使節団を送り,こう伝えます.」
大陸中の国々に羽をばらまいた人物は,カリヴァニア王国と神聖公国に縁の深い者だ.
その者は,大陸で争いが起きることを望んでいない.
「水の国の人たちは驚くでしょうね.」
ルアンはくすくすと笑った.
つまりドナートは,こう言いたいのだ.
わが国に戦争をしかけると,みゆを敵に回すことになるぞ.
彼女は大陸中に羽を降らせることができるほどに,強い力を持っているぞ.
よって水の国に,大きな災いをもたらすぞ.
要は,おどしだ.
「しかし,せっかく世界が広がったのですから,仲よくやりたいものです.」
ドナートは朗らかに笑い,クッキーをつまむ.
「封じられたる部屋のかぎは,神の御手にあり.開かれた世界は,彼らの知るところにない.」
ルアンは祈りの一節をつぶやいた.
「そのとおりでしたね.かぎを持っているのはミユでした.これからは,私たちの知らない世界が広がっているのでしょう.」
国王のせりふに,ルアンはうなずいた.
「名残惜しいですが,私はこれで失礼します.」
ソファーから腰を浮かす.
「国王になるように,ウィルを説得してくれませんか?」
ドナートが,結構真剣に頼んできた.
「あの子は,国王というがらではないですよ.」
「ならば,ミユに女王になるように,」
ルアンは思わずふきだした.
「それこそ適役ではないです.彼女は意外に,好戦的で気が強いですから.」
ドナートも同意して笑い,ソファーから立ち上がる.
ルアンは彼と握手を交わして,部屋から出た.
次はエーヌにあいさつをして,王都を出ていこう.
そして愛する息子のもとへ向かおう.
ルアンの足は,自然とはやくなった.
戻る | 続き | 目次
Copyright (c) 2014 Mayuri Senyoshi All rights reserved.
 

-Powered by HTML DWARF-