水底呼声 -suitei kosei-

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  若いうちには  

モナークは,王国北部の宿場町だ.
北部を旅する人たちは,必ずこの街を通る.
カナンはそこで,茶葉の専門店を営んでいた.
宿屋や飯屋に葉を売りつけ,その葉でいれた茶を旅人たちは飲む.
ほとんど宣伝していないが,個人客相手に少量での販売もやっている.
だから,たまに旅人が葉を買いに来る.
たいていは女性か中年以上の男性だが,今日来た客は少年だった.
いや,青年か.
判断に迷う年ごろの男性だった.
黒髪黒目で,服まで黒い.
そして表情が辛気くさい.
少年,――とりあえず少年と呼ぶことにした,は低い声でぼそりと,ミルカの葉がほしいと告げた.
「よく知っているね.」
カナンは驚いた.
ミルカの葉は,北部にしかとれない.
扱っている店も少なく,一部のお茶好きしか知らない葉だ.
「宿屋の店主に聞いた.昨夜飲ませてもらったら,ほどほどに効いたから.」
「なるほど.君は普段から眠れないのかい?」
少年は肯定する.
「気の毒に.」
茶葉を小袋に詰めこみながら,カナンは同情した.
ミルカでいれた茶には,安眠効果がある.
心労や心痛によって寝つけない人のための葉だ.
「眠れない理由をたずねてもいいかな?」
カウンター越しに,商品を手渡す.
「恋人がいなくなった.」
「なんだ,その程度か.」
カナンは笑った.
「若いうちにはよくあることさ.ミルカの茶を飲むよりも,新しい娘を探した方がいい.」
少年のまなざしは,一気に冷たくなる.
「悪かった.」
カナンは謝罪した.
「私も,十代や二十代のころは,女性に振られるたびに落ちこんだものさ.」
少年がよこしてきたので,代金を受け取る.
「君もそのうち大丈夫になる.」
カナンは明るく励ました.
「別れた彼女以外にも女はいるさ.この街の女たちはどうだい?」
少年は答えずに,店から出て行った.
怒らせてしまったらしい.
多分,二度と店に来ないだろう.
恋人に去られたぐらいで,ミルカの茶を飲むとは大げさな.
だがこれも,若いうちにはよくあることだ.
カナンは肩をすくめた.

ところが三か月後,少年は再び店にやって来る.
前回と同じく暗い顔をして,ミルカの葉がほしいとしゃべった.
ただ今回は,大量に購入する.
「まだ失恋中かい?」
カナンの問いを,少年は無視する.
「君ひとりで飲むのかい?」
「陛下も飲みたいらしいから.」
「陛下?」
まさか国王?
カナンは聞きまちがいと思い,気にしないことにした.
商品を手渡し,代金を受け取る.
「ありがとう.」
少年は,ぼそぼそと礼を述べた.
恋人に逃げられたからと言って,こんな風に始終むっつりしなくても.
これでは,女も寄り付かない.
そうだ,とカナンは思いついた.
「シャージの葉を買ってみないかい?」
少年は興味をそそられたように,少しだけ瞳を見開いた.
ちょっとの間,考えこむ.
が,結局買わずに,店から立ち去った.
また,少年は来るのか.
いつまで,昔の恋人を引きずるのか.
いなくなった彼女は,そんなにいい女だったのかね.
だが,そうやって執着するのも,若いうちにはよくあることだ.
カナンはあくびをした.

すると,一か月ほどたったぐらいか.
店に,王城からの使いが訪れた.
国王がミルカの茶を気に入ったので,定期的に買い付けたいと話すのだ.
カナンは仰天する.
「どのようにして,私の店を知ったのですか?」
あの少年が言った“陛下”は,本当に国王のことだったのか.
「ウィル様に教えてもらいました.」
「黒髪で黒服の?」
「はい.」
カナンは言葉を失った.
ウィルは,国王のそばにいられる人間だったらしい.
貴族か王族か,はたまたそば仕えか.
ウィル様と呼ばれているのだから,きっと前者だ.
「国王陛下は眠れないのですか?」
「何をのん気なことを.」
使いの男は語気を強くする.
「陛下は,王国を背負っているのです.」
カナンは「は,はい.」とどもる.
「いつも感謝しております.」
あせって,おべっかを口にする.
「私どもが商売できるのは,陛下が正しく国を治めてくださっているからです.」
男は満足して,うなずいた.
ウィルはカナンにとって,幸運を運ぶ使者だったようだ.
新たな顧客,――王城に売るならば店の評判も上がる,を与えたのだから.

カナンが日夜,ウィルに感謝していると,
「こんにちは.」
約半年ぶりに,当人が店にやって来た.
しかも,輝くばかりの笑顔だ.
カナンは,手にしていたさじを落とす.
お前は誰だ? と聞きたい.
続いて,黒髪の女性が店に入ってきた.
「こんにちは.」
にこりとほほ笑まれて,カナンはほうけたままで,あいさつを返した.
新しい恋人ができたのか,寄りを戻したのか.
ウィルは大層,機嫌がいい.
「今日は何を?」
もはやミルカの葉ではあるまい.
「シャージの葉をちょうだい.」
カナンは笑みが引きつった.
ウィルの隣に立っている娘は,相当に世間知らずらしく,まったく理解していない.
シャージの茶には,体を温める作用がある.
なので,寒い時期にはよく売れる.
しかし男が女に飲ませる場合には,特別な意味を持つ.
“体を温める”を転じて,“今夜,愛し合いましょう”だ.
「露骨すぎないか?」
カナンは商品をウィルに渡して,ささやく.
たいていは,もっとさりげなく飲ますものだ.
それを本人の前で買うとは,恥ずかしいにもほどがある.
ウィルはただにっこりと笑って,金をよこした.
「この店にはよく来るの?」
黒髪の娘がたずねる.
眼鏡をかけているので,金持ちの娘だろう.
シャージの茶を知らないほどに,初心な箱入り娘だ.
「ううん.今日で三回目.」
ウィルは,にこにこしている.
いや,シャージの葉を買ったのだから,でれでれが正解だ.
「でもミユちゃんを取り戻したら,この店でシャージの葉を買おうと決めていたんだ.」
店主に勧められたしね,とこちらを見やる.
カナンは返事に困った.
「なんで?」
首をかしげる娘の腰を抱いて,ウィルは額に口づけを贈る.
「あとで教えてあげる.」
「ウィル,お店の中だから!」
娘は真っ赤になって逃げようとするが,ウィルはくすくすと笑って離さない.
彼女の方も本気で嫌がっているわけでも,怒っているわけでもない.
つまり,ふたりはいちゃいちゃしているだけだ.
「じゃぁね,おじさん.」
ウィルは手を振って,恋人とともに店から去った.
カナンは,ぼう然とするばかり.
ふと思い出して,落としたさじを拾って,布でぬぐった.
ウィルは性格が変わりすぎていないか.
これも,若いうちにはよくある,……ことか?
そう言えば,国王に店を紹介してくれてありがとうと礼を伝え忘れたな.
だが今のウィルには,カナンからの謝意など不要だ.
カナンはため息を吐いた.
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