水底呼声 -suitei kosei-

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  王子の恋愛騒動(おまけ)  

とうとうバウスは,自分の名前と身分を打ち明けた.
それらを聞いて,マリエの母は驚いたようだ.
軽く目をみはっている.
しかし彼女の態度は,変わらなかった.
「先ほどまでの無礼な振るまいをお許しください.」
余裕を取り戻して,にこりとほほ笑む.
「ですが,娘に何のご用でしょうか? 用件さえ教えてくだされば,私が伝えます.」
家の前に立ち,バウスとスミが中に入れないように,立ち位置を調整している.
「そして城へ向かわせます.殿下はどうぞ,城でお待ちになってください.」
鉄壁の守りだった.
王子の護衛をしているスミは,感動さえする.
「たいした用じゃないんだ.少し会って話したいだけで.」
「そうでございますか.」
彼女はおっとりと答える.
「では,そう伝えますので,城でお待ちになってください.」
「いや,だから,」
バウスは言い募った.
「マリエを責めるわけでも,害するわけでもないんだ.」
「そうでございますか.」
さらりと受け流す.
「申し訳ございません,殿下.あなたをこのような軒先に立たせて.」
すまなさそうに話すが,スミたちを家に入れるつもりはなさそうだ.
「お疲れでしょう? どうか城に戻って,お休みください.」
マリエの母は,にっこりと笑う.
バウスは,がっくりとうなだれた.
なぜ,こんなことになったのか.
スミは,ことの起こりを思い出す.
バウスは,メイドのマリエを解雇した.
それは,求婚するためだった.
スミたちは当然,彼女に事情を話してから,退職させたと思っていた.
けれど実際は,王子は何も告げていなかった.
そのことを聞いたエリンは,驚いて机の上のインクつぼを倒したという.
彼はすぐに,マリエに会いに行くように勧めた.
が,バウスは照れくさいのか面倒なのか腰を上げなかった.
「わざわざ話さなくても,マリエは事情を分かっている.」
「何を根拠に,そう思うのですか?」
「あいつは普段から,俺の行動や思考を先読みしている.」
今回もすべてを察した上で,おとなしく家で待っているだろうと言う.
「でもこれは,いつもの仕事とはちがいますよ.」
マリエが恋慣れた女性ならともかく.
そしてエリンが自分が行くと主張すると,王子はついに立ち上がった.
「俺が行く.」
そんなわけで,バウスは出かけることにしたらしい.
で,街歩きの護衛に選ばれたのがスミだった.
だがマリエの家を訪ねると,彼女の母が出てきて,「あなたは誰? 何の用?」の一点張り.
王子が名乗らないでいると,どんどんと目は厳しくなり,警戒の水位が上がっていく.
そして正体を明かしても,彼女の態度は変わらない.
むしろ笑顔に,迫力が増した.
あきらかに,彼女は怒っていた.
「殿下,差しさわりがなければ,教えてほしいのですが.」
彼女は問いかける.
「何だ?」
これがきっかけで,事態が好転するかもと期待した声で,バウスは聞いた.
「なぜ,娘は解雇されたのでしょうか?」
にこにこしているのだが,ほほ笑みの底には猛烈な吹雪があった.
主君の背後で,スミは凍る.
つまり彼女は,マリエが突然辞めさせられたことについて怒っているのだ.
「それは,俺の都合で…….」
王子はしどろもどろ答える.
「いきなり首を切られて,その日のうちに追い出されるという非道な話が,城でもあるとは意外でしたわ.」
彼女の笑顔は崩れないが,声は氷点下だった.
「娘は青い顔をして食欲もなく,私たち家族には何も教えません.そうですか,あなたのご都合でしたか.」
スミは,この場は撤退すべきだと悟った.
寒い,寒すぎる!
「殿下,城へ戻りましょう.」
しかしバウスは渋った.
普段は引き際を心得ている彼なのに,今回は決断できないようだ.
「いいですから,帰りましょう!」
無礼にならない程度に,王子を引っぱって立ち去る.
マリエの母は,ていねいな態度で見送った.

「何なんだ,あの母親は!」
家から離れた後で,バウスは怒った.
だがスミは,自業自得だと思った.
突然,理由も分からずに解雇されて,マリエは失意の日々を送っているのだろう.
そして家族はそんな様子の娘を心配し,城に対して怒っている.
「それに,あの家にマリエさんはいませんよ.」
スミは,王子に告げた.
彼は目を丸くする.
マリエの母は,娘が家にいるともいないとも口にしなかった.
ただスミたちを追い返そうとしたので,家にいると思わされたのだ.
スミも最初は,マリエは在宅していると思った.
ところが気配を探ってみると,彼女はいない.
マリエの祖母らしい女性が,二階の窓から心配そうに見下ろすだけだ.
つまり今,家にはマリエの母と祖母しかいない.
バウスは,完全にだまされたのだ.
「マリエさんは,図書館ではないでしょうか?」
「図書館か.」
彼はげんなりした様子だ.
図書館には,マリエの父と弟と祖父がいる.
こちらの方が手ごわいにちがいない.
「俺は,ナールデンが苦手なんだ.」
王子は,マリエの祖父が苦手らしい.
「ライクがいれば,間を取り持ってくれただろうが.」
ため息を吐く.
「館長さんを避けて,マリエさんを探しましょう.」
スミは励ました.

そして図書館で,スミとバウスはナールデンを避けてマリエを探し,やっと彼女を見つけたら,今度は逃げる彼女を追いかけて.
捕まえたときには,二人ともくたくただったのだ.
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