水底呼声 -suitei kosei-

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  王子の恋愛騒動7  

新人研修が終わったころだった.
洗濯物の入ったかごを抱えて廊下を歩いていると,バウスが話しかけてきた.
「君,新しいメイドだろ?」
「はい.」
マリエは返事をする.
「名前は?」
「マリエです.」
王子はおかしそうに笑った.
「前にも思ったけれど,落ちついているな.新人メイドの中で,君だけがおばあさんみたいだ.」
唐突に悪口を発せられた.
まだ二十才にもなっていないのに,おばあさんと呼ばれるとは.
少しむかっときたが,彼に悪気はなさそうだ.
ぽんと,マリエの頭に手をのせる.
「俺のところに来てくれ.人手が足りないんだ.」
俺の前で萎縮しないメイドは貴重なんだとしゃべる.
「気の弱いやつなんか,声をかけただけで泣くからな.」
あっはっはと笑うが,それは結構大事なのでは.
マリエはあきれたように,王子の顔を見やった.
視線に気づいて,彼は弁明を始める.
「別にメイドをいじめたわけじゃないんだ.机の上は触るなとか,茶が薄いとか言っただけで.」
要望を伝えただけなのに,冷血非道な王子とうわさがたったらしい.
「ライクのそばには,メイドはいっぱいつくのに…….」
俺とあいつで何がちがうんだ? とぶつぶつと言う.
そして次の日に,マリエはバウスのそば仕えになった.
人の頭に手をのせるのは,彼のくせなのだろうか.
初めて話しかけられたときも,解雇される前日も,頭に手をのせられた.
「スミ,城へ帰るぞ.」
図書館から出ると,王子は少年に向かって言う.
「え? いいのですか?」
スミはマリエを気にしつつ,主君に問いかけた.
「いいんだ.――マリエ,また会いに行く.」
優しくほほ笑みかける.
しかし,
「困ります.」
マリエとユージーンの声が重なった.
バウスもスミも弟も驚いて,こちらを見る.
「そのような理由で,図書館に来られては迷惑です.」
「君は俺よりも,図書館が大事か.」
彼はため息を吐く.
「俺の部屋の本棚も,徹底的に整理していたしな.」
「そうではなくて,私が城へ戻ります.」
今度は彼が,困ると訴えた.
「まだ結婚の準備が整っていないんだ.」
おそらく,ほぼすべての臣下が反対しているのだろう.
特に,年ごろの娘を持つ貴族たちは.
「正直に告白すると,何年後に結婚できるか分からない.だから君は,家で待っていてくれ.」
「嫌です.あなたが困難な仕事をなさるのならば,私はそばで手伝います.」
彼の仕事を,マリエは間近で見てきた.
そのどれもが,大変なものだった.
特につらかったのは,カリヴァニア王国との間にある結界が壊されたときだった.
国境がやぶられたという極度の緊張の中で,バウスは不眠不休で働き,マリエは付き従った.
「メイド以外の身分をください.誰よりも役に立ってみせますから.」
王子は苦笑する.
「情けない話だが助かるな.なんせ君がいないと,俺の一日の予定が立たないし,部屋のどこに何があるか分からない.」
「それって,姉さんは雑用係なんじゃ,」
弟が心配そうに問いかける.
否定しようとすると,バウスに抱きつかれた.
「ごめんなさい.殿下の面倒を見られるのは,マリエさんだけなんです.」
不機嫌な顔になるユージーンに,なぜかスミが謝る.
「机の上をいじっても怒られないのは,彼女だけですし.」
それはマリエの仕事がら,そうなっていただけなのだが.
王子が,耳もとでささやく.
言葉を理解したとたん,マリエは顔を赤くして,彼の腕から逃げ出した.
「気づくのが遅くて,悪かった.」
彼はすまなさそうに笑う.
「君はずっと,そばにいたのに.」
「やっぱり断ってくれ,姉さん.苦労するのが目に見えている.」
ユージーンが横から抱きついてくる.
が,マリエとバウスは笑いあった.
「明日,帰ってこられるか?」
「はい.夕方までには.」
そして彼はスミを連れて,街へ出ていく.
空は青く晴れて,太陽が銀色の髪や肩を照らしていた.
「俺は本気で反対なんだけど.」
心配顔の弟に,マリエは微笑する.
「そうね.」
ユージーンだけではなく家族は皆,反対するのかもしれない.
「私には分不相応な方だと分かっているけれど.」
「何を言っているのさ.」
彼は肩をすくめる.
「あの強引なやり方,頑固な姉さんにそっくりだよ.言い出したら聞かないところとか.」
ある意味,お似合いだねと笑った.
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