水底呼声 -suitei kosei-

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  王子の恋愛騒動4  

「悪いけれど,仕事に戻るわ.」
マリエは逃げるように,部屋から出た.
「ちょっと待ってくれ.」
廊下までエリンが追いかけてくる.
「今からが本題なんだ.」
「だから,そういう話はしたくないの.」
恋人の顔を見ただけで,気がめいるのに.
なぜ,わざわざ彼女について話しあわなくてはならない.
マリエはバウスの秘書官のようなものだが,恋人の管理は任されていない.
「君は怒っていいはずだよ.」
エリンの顔は真剣だった.
「もしくは,お茶の相手を断るか.」
マリエは,まゆをひそめる.
「俺は心配しているんだ.」
彼は部屋に戻ろうと,マリエの腕を引いた.
「君,ずっとひとり身だろ?」
「余計なお世話よ!」
かっとなって言い返す.
そのとき,
「何をやっているんだ.」
冷たい声が背後からした.
エリンの顔が,さっと青くなる.
振り返ると,厳しい表情をしたバウスがいた.
彼の手に,小さなガラスのびんがある.
もしやあれは,香水ではないだろうか.
「マリエ,来い.」
命令してから,背中を向けて歩き出す.
ただごとではない雰囲気に,マリエはエリンの顔を見た.
彼は,王子の後姿を見送った後で,
「友人として忠告だ.」
早口で言う.
「殿下のことが好きならついていけ.その気がないなら,ついていくな.」
マリエは驚いて,彼の顔を凝視した.
「行けよ.君が恋人を作らないのは,そういう理由なんだろ?」
どんと背中を押される.
よろめいた後で,小走りでバウスを追いかけた.
廊下の角を曲がり追いつくと,王子は歩みを止める.
そして背中を向けたままで,問いかけた.
「君は,エリンと付きあうのか?」
「付きあいません.」
きっぱりと否定する.
「言い寄られていたじゃないか.」
「誤解です.」
頭の中で,さきほどのエリンの言葉が,何度も繰り返される.
彼のことが好きならば,一度くらいぶつかっていけばいい.
「殿下こそ,恋人がいらっしゃるではないですか.」
声が震えた.
驚いた顔をして,バウスが振り返る.
マリエは,顔に熱が上がるのを自覚した.
メイドが王子に言っていいせりふではない.
それは承知している.
けれどさきに,立場を超えた発言をしたのは彼だ.
メイドの個人的な恋愛に口出しした.
マリエは逃げたい気持ちを抑えて,バウスの視線を受ける.
彼は,多少ほうけた様子で,
「そうだな.」
ひとりで納得した.
そして,苦笑する.
「マリエ,君がほしがっていたものだ.」
小びんを,マリエの手に握らせる.
予想どおり,それは香水だった.
「いただけません.」
数日前に,貴族の娘たちが使う香水がうらやましいと,マリエは漏らしてしまった.
そのとき,王子は冗談のように贈ると言ってくれた.
「私はメイドですから,このようなものは受け取れません.」
「そのとおりだな.」
彼はぽんと,マリエの頭に手をのせる.
「君は正しいよ.俺が悪かった.」
そして香水を取り戻して,さっと立ち去った.
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