水底呼声 -suitei kosei-

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  くせ毛  

気になりだしたら,止まらない.
みゆはむずむずとしながら,ウィルの後頭部を眺めた.
少年はテーブルにほおづえをついて,料理の本を読んでいる.
夕食のメニューについて思案しているのだろう.
だがみゆには,黒髪が妙な感じで跳ねているのが気になる.
右側の毛の一部が,ぴょんと立っているのだ.
少年の髪はときどき,こういうことがある.
前髪が左に流れていたり,つむじが爆発していたり.
くせのない髪のみゆは毎日同じ髪型をしているが,ウィルはちょっとずつちがう.
どこがどう回っているかが,微妙に変化するのだ.
あぁ,触りたい.
ブラシを入れて,直したい.
でも変に跳ねているのも,かわいい!
むしろ後ろから抱きしめて,頭をかいぐりかいぐりしたい.
うずうずしていると,少年が不思議そうな顔で振り返った.
どうしたの? と問いかける.
「何でもないよ.」
と笑った後で,みゆはうまくうそがつけなかったことに気づいた.
何でもないことはないでしょう? と少年がじっと見つめている.
素直に,髪が気になると言うべきだろうか.
みゆは悩んだ.
しかし,失礼ではないか?
ウィルは好き好んで,くせ毛をしているわけではない.
人が生まれ持った身体的特徴をあげつらうのは,よくないと思う.
いや,そこまで大げさに考えることなのか?
髪が跳ねていると,さりげなく伝えればいいではないか.
髪をぴょんとさせたまま,恋人はみゆが隠しごとを打ち明けるのを待っている.
みゆはあせった.
何か,答えなければならない.
しかも難儀なことに,少年は気が長い.
いつまでも,いつまでも待つ.
けれど,せっかく待ってくれているのに,……どうしよう,思いきり大したことがない.
どうでもいいというか,拍子抜けというか.
少年は,にこっとほほ笑んだ.
みゆは,へらっと笑い返す.
「君が好きだよ.」
「私もウィルが大好き.」
えへへへ,と二人で笑いあう.
が,何だろう,このバカップル丸出しな会話は.
みゆが我に返って恥ずかしくなる前に,少年は体をテーブルに戻した.
背中の機嫌がいい.
みゆは,そぉっと髪に触れた.
立っている部分を,手ぐしで直す.
よし,直った!
満足して立ち去ろうとすると,黒猫が不満げな顔で振り返る.
「それだけ?」
「うん,ありがとう.」
みゆは足取り軽く階段を上って,リビングから出て行った.

後に残されたウィルは,首をかしげるばかり.
結局,何がしたかったのだろう.
髪を触ってみたが,何かがついているわけではない.
まぁ,いいか.
軽く流して,少年は本に目を落として,料理の手順を確認した.
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