水底呼声 -suitei kosei-

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  7−1  

翔の手紙が張り出された日から,貧民街に城の兵士たちがうろつくようになった.
家々を訪ね回って,みゆを探しているのだ.
捜索には,ライクシードと翔が加わっている.
目立たないように振るまっているが,銀髪の王子はどうしても目を引く存在だ.
ウィルにとっては,目障りなことこの上ない.
さらに,王子たちとは別に,動いている男たちもいる.
彼らは平服に身を包み,街の住民のふりをして,貧民街全体を見張っている.
つまり捜索隊から逃げれば,そちらに捕まるというあんばいだ.
なかなかに,やっかいな状況だった.
女装したウィルは,さりげなく街中を歩き回る.
大きな布袋を抱えて,いかにも買い物帰りを装って,街の様子を探った.
このせまい街に,いったい何人の兵士がいるのか.
数百人,下手をすれば千人を超えるのかもしれない.
女装姿で顔を合わせたことのあるライクシードは避けて,少年は隠れ家へ帰った.
「ただいま.」
家の中では,みゆとスミがダイニングテーブルで繕いものをしている.
ちくちくと布を縫っていたみゆは顔を上げて,おかえりとほほ笑んだ.
ウィルは,袋から三冊の本を取り出して,彼女に手渡す.
家の中に閉じこめられることになった彼女のために,図書館で借りてきた本だ.
ふいに,少年は思う.
王子は,挑発しているのだろうか.
どちらが彼女にとってふさわしい男か,決着をつけようではないかと.
けれど,どれだけ追いかけようと,彼女はウィルのものだ.
この事実は,何があっても変わらない.
「街はどうでしたか,先輩.」
上着にボタンをつけていたスミは,歯で糸を切ってからたずねた.
「八百から九百人ほどいるね.」
スミは,まゆを寄せる.
「日を追うごとに,増えますね.最初は二百人程度だったのに.」
今日はウィルが街に出たが,偵察は基本的には,顔の知られていないスミの仕事だ.
「それと東の方で,兵士たちと街の住民たちがもめていた.」
「案の定ですね.」
ウィルとスミの会話に,みゆは一人,不思議そうにまばたきをする.
「ここは貧民街ですから.」
スミは微笑した.
貧民街には,ウィルたちと同じく,すねに傷を持つ者が多い.
兵士たちに家のまわりを歩き回られては,たまったものではない.
また街には風俗,闇金融などの非合法的な店が存在する.
彼らにとっては,商売あがったりだ.
それにたとえ身に覚えがなくても,居住地に兵士たちがいるのは快いことではない.
四日たった今日,街の住民たちのいらだちは,頂点に達したのだろう.
「そのうちバウス王子が,兵士たちを引かせるでしょう.」
これから先,住民たちとのいさかいは増える一方だ.
人探しを続けるのは,ほぼ不可能だろう.
「俺たちはあせらずに,それを待てばいいだけですよ.」
スミの説明に,みゆは納得したようだ.
ただ,ライクシードはどうするのかと,ウィルは考える.
彼が簡単にあきらめるとは思えなかった.

夕刻,城へ戻ったライクシードを,兄が厳しい顔をして出迎えた.
「貧民街での活動は,今日で打ち切りだ.」
昼間の騒動のことが,耳に入ったのだろう.
「分かりました.私とショウだけでやります.」
翔に引きずられる形を取りながら,彼女を求めているのはライクシードの方だった.
「ライク,お前も手を引け.」
立ち去ろうとしたところを,兄に肩をつかまれた.
「そして婚約者に,会いに行くんだ.」
「嫌です.」
自分でも驚くほど,たやすく拒絶できた.
「ミユを探すことは,兄さんの命令でしょう.」
「ショウの監視には,別の騎士をつける.だからお前は関わるな.」
兄の目に,ライクシードを心配する光が見えた.
今回の捜索にライクシードが加わっていることに,街の人々は下世話なうわさを立てている.
逃げた娘を,未練がましく追いかけていると.
そのとおりなので,苦笑することしかできない.
兄の命令にうなずかずに黙っていると,
「昨日,カズリ殿の家に行って,話を聞いてきた.」
予想外に過ぎる内容に,ライクシードはぎょっとした.
「お前から婚約の解消を頼まれていると,彼女は言っている.」
兄には内緒で,婚約をやめようとしたことへの後ろめたさよりも,別のもっと苦い思いがわきおこる.
そんなところまで踏みこんでほしくないと,唇をかみしめた.
「ミユのことはあきらめろ.」
バウスはついに,核心をついた.
「そして婚約の解消を撤回しろ.いや,もしもカズリ殿が嫌ならば,別の女性と婚約すればいい.」
今まであいまいにしか話さなかったのに,何かを決意したように.
「お前を愛してくれる女性は,たくさんいる.ミユにこだわる必要は,どこにもないんだ.」
説得するというよりは,懇願する調子で.
「ましてや,彼女には恋人がいるのだろう?」
さすがに兄の声は小さくなる.
「……もう,私に指図しないでください.」
かすかに,だがはっきりとライクシードは告げた.
「確かに,兄さんの言うとおりでしょう.兄さんは正しい.いつでも私よりも正しい.」
兄がずっと避けていた,けれど言いたかったことを言ったために,ライクシードも熱に浮かされる.
「それでも,私に命令しないでください.」
今まで言えなかった,けれど言いたかったかもしれない言葉.
バウスの顔が,とまどっていた.
ライクシードの言葉に傷ついて,兄らしくなく揺れている.
「私の,好きにさせてください.」
彼に反抗することは,これが初めてではない.
しかしこの対立は,何かがちがった.
心が寒々と冷えて,兄からの干渉を拒否していた.
「どうしてなんだ.」
兄は悲しそうに,声を震わせる.
「どうしてミユのことになると,そんなにも意固地になるんだ?」
それは,よく分からなかった.
彼女がそばにいたのは,たったの三日間.
なのに,いつまでたっても,彼女の影が消えない.
「お前がミユにこだわるのは,」
しばしの沈黙の後で,バウスはしゃべった.
「彼女がお前を守るために,神殿の兵士たちに捕らわれたからか.」
兄の問いかけは,ライクシードの胸の一番奥に刺さった.
結界を壊したみゆを守るために,ライクシードは首都神殿の兵士たちに剣を向けようとした.
だが,それを止めたのはみゆだ.
聡い黒の瞳で,剣を抜いてはいけないと告げた.
あの場で彼女が捕まったのは,ライクシードのためだ.
その事実が,今でもライクシードを苦しめる.
「……すまない.」
言いすぎたと思ったのか,兄は謝罪した.
「いいえ,合っていますから.」
硬い声が,口からすべり出る.
「私はどのような形であれ,彼女に会いたいのです.」
ライクシードの腕から抜け出して,首都神殿の兵士たちのもとへ行った.
しかし彼女は今,恋人の手で守られている.
そう思うと,悔しいのか情けないのか分からない.
「明日からは,ショウと二人だけでミユを探します.」
うつむく兄を置いて,ライクシードは立ち去った.
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