水底呼声 -suitei kosei-

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  13−18  

目が覚めたとき,部屋にはウィルしかいなかった.
「おはよう,ミユちゃん.」
彼はほほ笑む.
水色の服を着て,枕もとのいすに腰かけていた.
「今は昼だよ.」
窓から入る日差しが,彼を明るく照らしている.
今,思い返せば,黒一色の服はやはり暗かった.
「あれから,どうなったの?」
みゆはベッドから起き上がって,たずねる.
「マージさんとキースさんは隣の部屋にいる.神官長とひいおばあちゃんは,普段どおりに過ごすみたい.スミやライクシードたちは城に帰ったよ.」
恋人は黒の瞳を,楽しげに細める.
「数か月ほどは,大陸中が混乱する.けれど,いい方向に流れていくと思う.呪いやゆがみや結界がなくなったから.」
「でも世界のゆがみは残っている.」
みゆはつぶやいた.
「私自身がゆがみ.地球から来たのだもの.」
うつむいて,自分の腹に視線を落とす.
「私とウィルの子どもも,白井さんと桜ちゃんも,ウィルも,ルアンさんも,ラート・サイザーも,セシリアも.聖女と呼ばれた人たちと神の一族全員が,ゆがみ.」
この大陸は,地球人の影響を完全に排除できていない.
ウィルが,微妙に困った顔になる.
「すべての人を連れて,チキュウへ帰る? 何百人なのか何千人なのか,検討つかないけれど.」
「無理ね.」
みゆは笑った.
結局,一度ゆがめたものは,元に戻らないのだ.
ウィルも微笑して,みゆのほおに手を伸ばす.
「けれど,もう誰も神の塔に入らない.そして,カリヴァニア王国と神聖公国は救われた.」
だから放っておけばいい,と気楽にしゃべる.
「放っておけば,何百年後かには,ゆがみはなくなっている.」
クローンである聖女がいなくなり,言語が日本語でなくなったように.
ゲームみたいに世界を操ろうとしても,必ず裏切られる.
一個人の思いどおりにはならない.
そのとき胸もとから,かすかな音がした.
みゆは,いつも首にかけているふたつの指輪を見る.
片方の指輪についている,緑色の大きな宝石がひび割れている.
ふたつに割れて,台から落ちた.
この指輪は,カリヴァニア王国の国王ドナートからもらったものだ.
ドナートの祖先が,女の神を殺害した.
だが少し異なる事実が,みゆの目に映る.
人々の憎悪を受け命を狙われたのは,女の神ではなかった.
男の神である透だったのだ.
かやがみゆをかばったように,透の姉もそうしたのだ.
透は,みゆと同じ立場の人間だった.
だから少年は,タイムトリップできなかった.
もしも過去に戻り姉に忠告すれば,死ぬのは透の方だった.
下手をすれば,ふたりとも命を落としたのかもしれない.
よって透は,姉の復活を試みた.
姉を殺した人々を呪い,聖女と神の塔を作った.
そして大神殿で塔を覆い,塔と聖女を守らせたのだろう.
さらに透は,五百年後の未来へタイムトリップせずに,塔の地下で眠って待った.
きっと,姉の分身である代々の聖女たちのそばから離れたくなかったのだ.
とにかく透は子どもなりに,姉の再生に心をくだいた.
姉に償うために,必死だったのだ.
みゆも贖罪のために,かやと同じ大学を目指したり,呪われた王国を救おうとしたりした.
しかし彼女たちの望みは,そんなことではない.
それを悟った今,みゆは初めて死んだ姉と向き合えた.
かやは光の中でほほ笑み,みゆを見守っている.
ただみゆが,気づかなかっただけなのだ.
「姉さん.」
言葉が口をついて出た.
するとウィルの瞳から,透明なしずくがこぼれ落ちる.
「ありがとう,古藤さん.」
まぎれもない日本語が,唇からすべり出る.
「透,――弟を地球へ帰してくれて.」
少女のように清く柔らかにほほ笑んだ.
「ウィル?」
みゆがぼう然としていると,彼はいつもの調子でにっこりする.
「と,指輪が言っている.」
ベッドに落ちた宝石のかけらを拾うと,かけらはふたつとも粉々にくだけた.
「ドナート陛下からもらった指輪も,お父さんからもらった指輪も壊れてしまったね.」
長い長いときを越えて,役目を終えたように.
「次は僕が指輪を贈るよ.左手の薬指にぴったりのものを.」
みゆは驚く.
左手の薬指は地球の習慣であり,この世界にはない.
ウィルだって知らないはずなのに.
「ずっと君を探していた.これからは,夫婦として生きていこう.」
彼はくすくすと笑って,みゆを優しく抱き寄せた.
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