水底呼声 -suitei kosei-

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  13−11  

ビルの立ち並ぶコンクリートの街を,みゆは歩いていた.
歩道橋の階段を,とんとんとんと上る.
空は青く晴れて,太陽が輝いている.
無人の歩道橋を渡る途中で,ふいに足を止めて,予備校のビルを見上げる.
明日もがんばって,魔法の勉強をしよう.
「あれ?」
みゆは声を上げた.
ビルの窓から,ひとりの男性が身を乗り出している.
元クラスメイトで,百合とともに異世界に召喚された翔だ.
彼は片手を口に当てて,何かをさけんでいる.
だが遠くて,聞こえない.
みゆは予備校に足を向けた.
すると前方に,見覚えのある若いサラリーマンが立ちはだかる.
「弘孝(ひろたか)さん.」
二十歳でなくなった姉のかやの,恋人だった男性だ.
みゆが予備校に入ってから,一度だけ街で会った.
「君は,超能力が使えるんだってね.」
「はい,そうですが…….」
なぜ弘孝が,こんなことを言うのか.
「私は超能力で,神聖公国とカリヴァニア王国を守りたいのです.」
ウィルから聞いた話だと,ライクシードは国境へ戦いに行くらしい.
そしてもしも,首都リナーゼまで外国の軍隊がやってきたら,ウィルとスミも戦場に身を投じる.
さらにカリヴァニア王国も,危険な状態だという.
もはや猶予はほとんどない.
なのでみゆは寝る直前まで,ウィルとベッドで魔法の練習をしていた.
「そんな世界のことより,もっと大事なことがあるだろう?」
弘孝は,いきなり怒り出した.
「君の力で,かやをよみがえらせるんだ.」
「え?」
姉を生き返らせる?
そんなことが可能なのか.
可能だとしても,命の蘇生は人間に許される所業なのか.
「何を迷っているの?」
どこからともなく,母親が現れる.
「かやを返してちょうだい.あなたのせいで死んだのよ.」
あの電車事故の瞬間,姉の手は確かにみゆをかばった.
だから,みゆがかやを生き返らせるべきなのだ.
「かやがいれば,私たち家族はこうならなかった.」
疲れた様子の父親が,ぼそりとつぶやく.
同じ家に住んでいても,会話がなく,目を合わすことさえしない.
暖かな食卓を囲むことなどない.
「その世界でかやの命を取り戻して,わが家に帰っておいで.」
父は優しくほほ笑んだ.
もう一度,姉に会いたい.
みゆは渇望した.
姉のいた景色を,姉のいた家庭を取り戻したい.
みゆは今でも,彼女を愛している.
「そうだ,君には超能力がある.」
ならば,かやをよみがえらせたい.
彼女のためなら,神の領域を侵してもいいではないか.
優しく,美しく,聡明だった姉.
死んでいい存在ではなかった.
誰よりも生きて,幸せになるべきだった.
「何を犠牲にしてもいい,かやの命を取り返してくれ!」
弘孝が訴える.
「かやのために,いけにえをささげなさい.」
母が命じる.
「何人でもいい.それだけ,かやの命は尊いのだから.」
そのとおりだ,とうなずきかけたとき,
「待って! 何を言っているの?」
みゆは,彼らがおかしいことに気づいた.
いけにえをささげろ? 何人でもいい?
正気とは思えない.
「あなたはもう,気づいているでしょう?」
母の姿が若くなり,かやになる.
「その世界に降り立った神々の正体に.」
「私には,女の神の復活を望む男の神の気持ちが,よく分かる.」
父の顔が幼くなり,中学生のみゆになる.
服には,事故のとき姉が流した血がべったりとついていた.
「ひぃっ!?」
みゆは後ずさりした.
かやの方に視線をやると,彼女は血だまりの中,倒れ伏している.
みゆは駆け寄りそうになって,踏みとどまった.
中学生のみゆとかやと弘孝をにらみつける.
「私の夢に干渉してこないで.」
“彼”の目的は,いけにえをささげて,女の神を復活させること.
そのために,かやを利用して,みゆをあおっている.
予備校のビルを振りあおぐと,翔の姿は消えている.
おそらく彼は警告のために,みゆの夢の世界に来た.
もしくは,答を教えるために現れたのか.
しかし,
「私はもう気づいたわ.」
まさかと考えていた.
だから,知らず知らずのうちに無視していた.
カリヴァニア王国の呪いを解くいけにえが,日本人女性だった理由.
地球人のみゆたちが,聖女になれる理由.
聖女どころか,神にもなれる理由.
みゆたちはみんな,尋常ではないほどの強い奇跡の力を持つ.
もとは平凡な人間なのに,異世界に移動すれば超能力が使えるようになる.
超能力者になれる理由は判明しないが,それが事実だ.
今,すべてがひとつの結論につながった.
「出てきなさい,あなたは日本人でしょう!?」
大昔に神聖公国に出現した神々は,日本からやってきた.
「姉さんが死んだ!」
突然,大声が響き渡る.
みゆは悲鳴を上げて,耳を押さえた.
「異世界のやつらに殺されたんだ.」
みゆの前にいた,かやたちが消える.
みゆは周囲を見回したが,声の主である男の神の姿はない.
「僕はもう地球へ帰れない.」
潮のにおいが,鼻につく.
ざんっと波の音がして,歩道橋の下,海面がせりあがってくる.
日本の街が海に沈む,いや,ちがう.
沈むのは,異世界の呪われた王国.
みゆが召喚されて,ウィルと出会った国.
「やめなさい!」
みゆの声に,海面が大きく波立つ.
過去に,日本人の男女,――姉弟が世界をゆがめた.
大陸の中央に富を集めて,神聖公国を作った.
けれど姉が殺された.
残された弟は姉を蘇生させるために,さらに世界をゆがめた.
カリヴァニア王国に,姉を殺した罪人たちを閉じこめた.
罪人たちの子孫であるドナートたちは,神の呪いから逃れるために,いけにえにささげた.
「私は古藤みゆ.あなたのせいで,いけにえとして召喚された日本人よ!」
大気が震える.
「古藤みゆ,だって?」
男の神の困惑した声.
みゆは,声を張り上げて宣言した.
「世界のゆがみを正す!」
金色の太陽が落ちてくる.
世界を,まばゆいばかりに漂白する.
みゆは自分の意志で,夢からさめた.
がばりと,ベッドから跳ね起きる.
「ミユちゃん!?」
隣で眠っていたウィルが驚いて,起き上がる.
みゆは彼に体を預けて,意識だけで大神殿から飛び出した.
背中に生えた白い翼で,大空を自由に移動する.
砂漠にうるおいを与え,草原に吹きすさぶ風を止める.
あふれかえった河川をしずめて,凍える大地を溶かす.
荒れ地に緑の芽を出し,色とりどりの花を咲かせる.
神聖公国だけに集まっていた豊かさを,すべての国に分配する.
呪われた王国の沈没を止めて,王国を覆っていた闇もはらう.
ほかにも,ゆがんでいるところを探しては,もとに戻していく.
不自然な状態に置かれていた世界は,みゆがほんの少し押しただけで,自然な状態に戻った.
外部の人間が与えたゆがみをなくせるのは,同じく外部の人間であるみゆだけだった.
百合による結界の破壊を止められるのが,みゆだけだったように.
朝の光の中,白い羽を世界中に降らせて,人々に知らせる.
「世界はもとに戻りました.神の支配はなくなりました.」
カリヴァニア王国の王城では,起床したばかりのドナートがぼう然として,羽を見つめる.
メイドのツィムが,髪を結っている手を止めて,羽に目をぱちくりさせる.
王都の宿では,ルアンが手を伸ばして羽を受け取る.
元娼館に住むエーヌにも,カーツ村の村長たちにも羽は届いた.
神聖公国の城の中,制服のままソファーで寝息を立てているスミの頭を,羽はなでる.
徹夜してふらふらになっているバウスとマリエの肩に,羽は静かに着地する.
セシリアがベッドの上で瞳を輝かせて,羽を両手で包みこむ.
家のベッドで横になっているナールデンやユージーンの枕もとにも,羽は落ちた.
大神殿の自室で,ぐっすりと眠っているサイザーのほおに,羽は触れる.
客室では,ライクシードがベッドから飛び起きて,羽をつかむ.
彼はすぐに棚の上から剣を取り,部屋から出ていった.
ウィルが心配そうに,抜け殻になったみゆの体を抱いている.
彼のくせのある黒髪に,羽はふわりとついた.
「信じられない.」
彼は,黒の両目を丸くする.
みゆは体に戻り,恋人を抱きしめ返した.
「ただいま.」
ウィルは再度びっくりして,みゆを見返す.
そして微笑した.
「おかえり.」
軽いキスをして,みゆの髪をなでた.
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