水底呼声 -suitei kosei-

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  13−10  

ユージーンは大神殿でサイザーと神官長と話した後,再び馬を駆って城へ向かった.
首都の街を突っ切って城まで行こうと思ったが,あまりにも腹が減ったので家に立ち寄る.
なんせ昼食も取らずに,大神殿と城を何往復もしているのだ.
ユージーンは帰宅すると,家族にはほとんど事情を説明せず,ひたすら食事を口につっこむ.
「いったい何なの? あなたはいきなり帰ってくるし,マリエは帰ってこないし.」
母親は,ぷんぷん怒っている.
彼女の隣で,祖母は不安そうに,まゆを下げていた.
「城へ行くなら,マリエに会ってちょうだい.バウス殿下と昼食を取ったら,すぐに家に帰ると言っていたのに.」
「分かったよ.」
ユージーンは家から出て,馬にまたがり城を目指す.
入城してメイドにマリエの場所を聞くと,今度はバウスの執務室にいるらしい.
ユージーンが部屋に入ると,大勢の人たちが立ち働いていた.
バウスもいる.
扉のそばにはセシリアがいて,ユージーンに声をかけてきた.
「さきに馬車で帰って,ごめんなさい.」
当初の予定では,ユージーンはセシリアたちと馬車に乗って,大神殿から首都に帰るつもりだった.
「いいえ,構わないです.このような事態ですから.」
それから少女は,バウスは今,国境地帯に送る援軍の準備をしていると教える.
「同時に,首都防衛の準備と,禁足の森の警備の引き上げもしているの.」
まさに目の回るようないそがしさだ.
ユージーンはセシリアと別れると,
「姉さん.」
たくさんの人に囲まれているマリエに呼びかける.
彼女は人の輪から抜け出して,ユージーンのもとへやってきた.
「ウィルとラート・サイザーが,ラート・ユリの力と記憶を封じたそうだよ.」
姉は,ウィルが神聖公国にいることを知っていたのか,驚かなかった.
「さらに二,三日中には,故郷へ帰すと言っている.」
「了解したわ.今日か明日のうちにバウス殿下に,大神殿の神官長へ手紙を書いて送ってもらう.」
「どんな内容の?」
「ラート・ユリを一日でもはやく,異世界へ帰してほしい.結界を破壊した人物については公表しない.ラート・ユリは大神殿から出さないように.」
つまり,城は百合をほとんど罰しない.
サイザーの希望はほぼすべて,かなえられた.
百合の処遇をめぐる大神殿と城の対立は,起こらずにすんだらしい.
「これで俺の,神官長に頼まれた仕事は終わりだ.――話は変わるけれど,姉さんは今日は城に泊まるだろ?」
バウスの部下のひとりでもあるマリエが,家に帰って休める状況ではない.
「えぇ.」
「俺は家に帰って,母さんに事情を説明するよ.姉さんの着替えとかをもらって,城にまた来るから.」
「ありがとう.」
「ほかに必要なものはある?」
「ないわ.」
姉はさびしげに微笑する.
「母さん,父さん,おじい様,おばあ様,そして図書館のことはお願いね.」
そのとき,ユージーンには分かった.
マリエはもう,家に帰るつもりがないのだ.
彼女はすでに,ユージーンの姉ではなく,バウスの妻だった.
バウスの部下のひとりだった二年前とはちがう.
彼女はきっと,城が落ちたときは,バウスと命運をともにする.
「姉さん,……駄目だ,」
安全な家へ帰ってきてくれ.
すると,バウスがやってきた.
彼は,マリエの肩を抱いて,
「すまない,ユージーン.君たちの両親にも謝っておいてほしい.」
深い青の瞳に,疲労の色が濃い.
神聖公国の実質の統治者,彼の肩にすべてがかかっている.
軍隊を動かし,国境や首都やほかの街や村などを守れるのは,バウスしかいない.
彼からマリエを,奪えるはずがない.
姉はとっくに,王子妃として覚悟を決めている.
「承知しました.」
ユージーンの声は震えた.
姉を返せと,バウスを責めたい.
「ありがとう.」
彼は悲しげにほほ笑んだ.

夕方,みゆの部屋に,ライクシードがやってきた.
おそらく,大神殿の門が閉ざされる直前に駆けこんだのだろう.
「ずいぶん明るいな.」
彼は,ウィルの服の色にびっくりした.
「何の用?」
注目されることに飽きてきたウィルは,適当に受け流す.
「ユリのところへ案内してくれ.」
ウィルはため息を吐いた.
面倒だが,自分が連れていった方がいいだろう.
「ミユちゃん,すぐに戻るから.」
「うん.いってらっしゃい.」
みゆは笑って,手を振った.
彼女は強い.
けっして絶望していない.
ウィルとスミの話を聞くと,みゆは気丈にも笑みを見せた.
「マリエさんたちの受け売りだけど,まだ魔法の練習は始まったばかり.だから,間に合わないと決めつけては駄目.」
そして,結界を作るためにがんばり続けているのだ.
ウィルはライクシードとともに,部屋から出ていった.
扉を閉めると,
「大神殿の誰に頼んでも,ユリのもとへ案内してくれない.何があったんだ?」
ライクシードは心配そうにたずねる.
彼は親切にも,いまだに百合を気にかけているらしい.
「スミに会っていないの?」
ウィルはまず質問した.
「私が城を出たとき,スミはまだ帰っていなかった.」
「すれちがったみたいだね.」
スミはさきほど,大神殿から城へ帰った.
ウィルはスミに,ライクシードに百合のことを伝えてほしいと頼んでいたのだ.
仕方がないので,ウィルが直接,教える.
「ユリはライクシードのことも忘れているよ.それに,そもそも眠っている.」
「そうか.」
彼の顔は,さびしそうに見えた.
「ウィル,私は明日,出陣する.」
「どこに?」
「南方国境地帯だ.」
スンダン王国との国境,もっとも戦火が強いと予想される場所だ.
端的に言って,死にに行くようなものだ.
「ミユちゃんが悲しむよ.」
ライクシードは,淡くほほ笑む.
「必ず帰ってくると,兄さんとセシリアに約束した.」
バウスとセシリアは,彼を引きとめただろう.
銀髪の少女の泣く姿が,容易に想像できた.
「僕とも約束する?」
するとライクシードは,楽しげに両目を細める.
「もちろん約束しよう.今夜は一緒に,酒でも飲むか? 今日は遅いから,大神殿に泊まるつもりなんだ.」
「絶対に嫌.」
断ったのに,彼は笑い続けていた.
百合の部屋に着くと,ウィルは兵士たちに,ライクシードを部屋に入れるように頼む.
ライクシードは入室して,ウィルは廊下で待った.
百合が結界をつぶしたのは,ライクシードのためだった.
ただしこれに関しては,彼は悪くない.
悪いのは百合だ.
さらにライクシードは,結界を守護するために力を尽くした.
彼だけではなく,スミもセシリアもみゆもだ.
あの洞くつで,全員が死んでいた可能性もある.
それでも結界は守れなかったのだ.
だからライクシードが,自分を責める必要はない.
しかし,そう言葉で説明しても,彼は納得しないだろう.
彼は,おのれの責任だと感じている.
ゆえに,王子という立場もあるのだろうが,一番激しい戦場におもむくのだろう.
みゆはみゆで,翔と百合が召喚されたのは自分のせいだと思っている.
こういうところが,みゆとライクシードは似ている.
自身は悪くないのに,自分を責めて,罰を与えるところが.
ライクシードの前に,みゆに出会えたこと.
それはウィルが考える以上に,幸運なことだったのかもしれない.
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