水底呼声 -suitei kosei-

戻る | 続き | 目次

  13−8  

「はぁぁ,やぁあああ!」
丸テーブルの上の小さな木箱に両手をかざして,みゆはさけぶ.
「結界よ,立ち上がれーっ!」
「何かがちがうんだよなぁ.」
向かいの席のキースが,首をひねっている.
彼の隣では,マージが苦笑いをしていた.
みゆは恥ずかしくなった.
キースが小箱を取り,ぱかっとふたを開ける.
「結界は張れていないね.」
みゆの魔法の訓練は,完全に難航していた.
最初はちゃんと呪文を唱えて,練習していた.
そのうちにキースが,――彼は神の一族らしい,アドバイスをくれる.
「祈りは言葉よりも、心や気合だよ.」
よって「はぁ!」とか「やぁ!」とか,かけ声を上げることになったのだ.
「ミユの祈りは,理屈だけの気がする.」
キースがしゃべる.
「そもそも,できると考えていないような…….」
確かに,そうかもしれない.
国を守護する結界を生み出せるだの神になれるだの,唐突に言われても信じきれない.
加えて大神殿に戻ってから,やたらと姉との美しい思い出がよみがえり,集中できない.
「洞くつの結界にできたひび割れを,直すことはできたんだよね?」
「はい.」
キースの問いかけに,みゆは答える.
最終的には百合にすべて破壊されたが,みゆは一度,セシリアと結界を修繕している.
「あのときは無我夢中で,できるかできないか悩む余裕はなかったです.」
だから,うまくいったのか.
あるいはあのときと同じく,セシリアと協力すればいいのか.
「ミユ様,休憩しましょう.」
マージが優しくほほ笑んだ.
「結界はすぐにできるものではないと,ラート・サイザーもラート・ウィルもおっしゃったでしょう.」
結界を張ることは,壊すことよりもはるかに難しい.
さらに,傷ついた結界を修復するのではなく,新しく作りなおすのだ.
当然だが,後者の方が労力がかかる.
みゆが結界の作製方法を覚えるのに,半年以上はかかるだろう.
そして国を覆う巨大結界を築き上げるのには,何か月かかるか分からない.
建物ひとつを覆うときでさえ,何日もかけて祈りをささげるのだ.
みゆがフルーツジュースを飲んでいると,部屋にスミが訪ねてきた.
右腕を三角巾でつっている.
みゆが心配そうに見つめると,
「大丈夫ですよ.医者にみてもらいましたから.それに痛みも,だいぶ引きました.」
少年は笑った.
「どれくらいで治りそうなの?」
「数か月か半年ほどと言われました.」
「そっか.」
スミのけがに関しては,百合を恨みそうになる.
もしもスミが死亡していたら,みゆは彼女を許すことができなかっただろう.
いや,今も許していないのかもしれない.
実際にみゆは,体調をひどく崩している元クラスメイトをあまり気にかけていなかった.
キースが席を立って,スミのためにいすを引いてやる.
スミは礼を述べて,みゆの隣に腰かけた.
みゆはさっそく,新しい結界を作ろうとしていることを少年に話した.
「なら,セシリアに大神殿まで来てもらいましょう.城に帰ったら,あいつに声をかけます.」
「ありがとう.」
「でも,セシリアと力を合わせるより,ウィル先輩とやった方がよくないですか?」
もっともな質問だ.
だが,
「それが,ウィルは誰かと一緒に魔法を使った経験がほとんどないの.」
そんな彼にとって,初心者のみゆとともに魔法を発動させるのは難しいらしい.
「ラート・サイザーやキースさんともやってみたけど,できなくて.だから,セシリアは相当うまいのだと思う.」
少女は,魔法を知らないみゆを上手に誘導したのだ.
すると部屋に,ウィルが帰ってきた.
「白いですね.」
スミは,彼の服の色に驚く.
「うん.」
ウィルは適当に答えてから,みゆに二冊の本を手渡す.
タイトルは,“妊娠生活と出産の心構え”と“初めての子育て かわいい赤ちゃん”だ.
「本は借りられたけれど,絶対に傷つけるな,紛失するなと念を押されたよ.」
黒の瞳は,なぜか寂しげで悲しげだった.
「何があったの?」
みゆには検討つかない.
まさか本の貸し渋りをされたから,落ちこんでいるわけではあるまい.
ウィルは立ったままで,ちょっと迷ってから口を開いた.
「二年前に,スミが君に『どんな状況になっても,わが子を捨てないですか?』と聞いたのを覚えている?」
簡単には思い出せなかった.
スミに視線をやると,けげんな表情をしている.
「ミユさんが初めて,神聖公国へ行くために洞くつをくぐったときのことですよね?」
カリヴァニア王国側の洞くつの出入り口で,ウィルとスミと別れるときだった.
スミの問いかけに,みゆは分からないと返答した.
そのときのみゆにとって,子どもはとても遠い存在だったから.
「覚えているよ.」
みゆは答えた.
「今,僕が同じことをたずねたら,どう返事するの?」
みゆの脳裏に,ルアンの顔が浮かんだ.
わが子のウィルを奪われた,守れなかったと打ち明けたときの苦痛に満ちた表情が.
「私は子どもを捨てない.そして奪われないように,全力で守る.」
たとえ力がおよばずに守れなくても,ルアンとウィルのように必ず再会してみせる.
ウィルは安心したようにほほ笑んだ.
「僕も守るよ.君と子どもが,ずっと笑顔で暮らせるように.」
いすに座っているみゆを抱き寄せて,額にキスをする.
そっと離れて,
「スミ,部屋の外で話そう.」
ウィルはスミを連れて,部屋から出ていった.
戻る | 続き | 目次
Copyright (c) 2014 Mayuri Senyoshi All rights reserved.
 

-Powered by HTML DWARF-