水底呼声 -suitei kosei-

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  13−6  

ユージーンは馬を走らせて,大神殿から城へ向かった.
城に入ると,ひとりのメイドを捕まえて,姉のいる場所まで案内してもらう.
たどりついた広間では,マリエは大勢の人たちに囲まれて,せわしなく動いていた.
ユージーンは人々の間をぬって,彼女のところまで歩く.
バウスの姿はなかった.
「国境地帯の動乱が首都に来るまで,まだ時間がある.今は,首都リナーゼの門を閉める必要はない.」
「結界が切れた二年前と同じく,流言飛語が飛び交うだろう.正確な情報を,できるだけ多く城から出すべきだ.」
さまざまな会話が,耳に入る.
冷静な人もいるが,いらいらしている人やどなっている人も多い.
「一部の商人が,結界の崩壊に感づいたみたいだ.食料や日用品の値上げをしている.」
「くそっ,目さきの利益だけを追いやがって!」
ユージーンは怖くなってきた.
結界が壊れたと,やっと実感したのかもしれない.
マリエのそばまで行くと,彼女はユージーンに気づいた.
「わざわざ城に来るなんて,どうしたの?」
「相談があるんだ.人から聞かれたくないものなんだけど.」
マリエは即座に,ユージーンを広間の隅に連れていった.
ユージーンはさっそく,百合のことを話す.
「神官長は,結界を破壊した犯人を公表せずに,ラート・ユリを厳罰に処さないでほしいと言っている.」
姉の眼光は鋭く,ユージーンは少しおじけづいた.
「今,ラート・ユリは大神殿の一室に閉じこめている.二,三日中には彼女の力を封じこめるつもりらしい.」
つまり大神殿から出さずに奇跡の力も取り上げるから,それで見逃してほしい.
マリエは考えこんでから,
「ラート・ユリの力を完全に消してから,城と交渉するように伝えて.」
百合の危険な力を野放しにしたままでは取り引きに応じられない,ということだ.
「了解.」
ユージーンが立ち去ろうとすると,入れちがうように中年の男がそばまでやってきた.
「マリエ,君に頼まれていた書類を全部持ってきたよ.」
「ありがとうございます,陛下.」
姉の返答に,ユージーンはえ? と声を上げた.
陛下と呼ばれるのは,国王のみである.
ということはこの男性は国王であり,マリエは彼に使い走りをさせているのか?
ユージーンが嫌な汗を流していると,彼はユージーンに目を留めた.
「君は,見ない顔だね.」
「私の弟のユージーンです.」
マリエが紹介すると,国王はほおをゆるめる.
「初めまして.私は,バウスの父のコウトーラだ.」
「姉が陛下を軽々しく扱って,申し訳ございません!」
ユージーンは恐縮して謝った.
「いいのだよ.」
コウトーラは,おおように笑う.
「今,危機にひんしているこの国を救うためには,息子たちにすべてを任せるのが一番だ.」
彼の瞳には信頼があった.
「私は引っこんでいた方がいい.私には難しいことは,ちっとも分からないからね.」
ひくつな言葉なのに,彼の表情からはひくつさは感じられない.
「けれど部屋に閉じこもっているのも情けないから,雑用を手伝っているのさ.」
彼は状況を理解し,正しく判断していた.
ぴりぴりとした雰囲気の広間で,ひとりだけゆったりとして,笑みを浮かべている.
これが,恐がりで無能と陰口をたたかれている王の本性かもしれなかった.
ユージーンはマリエたちに別れを告げて,城から大神殿に戻り,次は神官長とサイザーに面会した.

遅い目の昼食を取った後で,みゆはサイザーから結界の張り方を教わろうとした.
サイザーは,ウィルとマージに遠慮しているのか,昼食のときは部屋から出ていったのだ.
そして食後に,部屋に戻ってきた.
丸いテーブルをみゆ,ウィル,サイザーで囲んで座る.
みゆの後ろでは,マージがいすに腰かけてキースが立っている.
サイザーがまず,小さな木箱をテーブルの上に置いた.
なんの変哲もない空っぽの箱で,容易にふたが取れる.
「この箱で練習しましょう.」
「はい.」
みゆが返事すると,ウィルが心配そうに口を開いた.
「異世界人のミユちゃんに,僕たちと同じ魔法が使えるの?」
「魔法?」
サイザーは不思議そうに聞き返す.
「えぇ,……魔法ね.」
神聖公国では奇跡の技と言い,カリヴァニア王国では魔法と言う.
さらに百合は,超能力と言っていた.
「ずれが生じるけれど,ユリはうまく調整していた.」
「器用だね.」
ウィルは答える.
「だからミユも,すぐに慣れるわ.」
「でもミユちゃんは,信じられないほどに不器用だよ.」
唐突な悪口に,――ウィルに悪気はなさそうだが,みゆはぎょっとする.
「どんな簡単な料理のときでも,僕はミユちゃんに包丁を持たせたくないもの.」
「だって料理したことがなかったし!」
ゆえに仕方ない,と言い訳すると,サイザーが目を丸くした.
「炊事の経験がない? あなたは,どこかの国の姫君だったの?」
墓穴を掘ったようだ.
みゆは便利なコンビニに慣れきって,料理はほとんどしたことがない.
あの完璧だった姉のかやでさえ,料理は不慣れだった.
彼女は中学生のとき,バレンタインのチョコレート菓子を作ろうとしてひどく失敗した.
「不器用でも努力しますから.この話題は置いといて,魔法の呪文を教えてください.」
「そうね.」
とりあえずといった態で,サイザーはうなずく.
「暗記は得意ですから.」
受験勉強から遠ざかって半年ほどたっているが,みゆは元予備校生だ.
ウィルの使う呪文のうちのいくつかは,ある程度は覚えている.
「言葉をなぞればいい,というわけではないけれど.」
サイザーは不安げにしゃべった.
「最初に,僕が見本を見せるよ.」
ウィルが木箱を手に取る.
「あなたのそでの下で,彼らは眠る.光へ誘いたまえ,我らが神よ.神の栄光は永遠に,世界に降り注ぎ……,」
呪文は延々と続き,ついには箱に赤色の網目模様がついた.
みゆはウィルから箱をもらって,ふたを取ろうとする.
接着剤でくっつけたみたいに,ふたは動かなかった.
サイザーは驚いて,ウィルに問いかける.
「こんな格式ばった祈りを,いつもやっているの?」
「うん.これしか知らないから.」
「そう.――ミユ,もっと楽なものを教えるわ.さきほどのものは,神官長とか学者とかしか使わない.」
なるほど,とみゆは納得した.
ウィルに魔法を教授したのはカイルであり,彼は学者だった.
サイザーは,みゆから箱を受け取る.
赤い模様はすぅっと消えて,箱はたやすく開いた.
つまり結界を壊したのだ.
彼女は再び箱にふたをして,呪文を唱える.
呪文は,ウィルのものより短かった.
「こちらの言葉で練習しなさい.」
サイザーはみゆに箱を寄越した.
「はい.」
今度は,箱の外観は変わっていない.
しかし箱のふたは,微動だにしない.
ウィルが箱を指でつつくと,ふたは離れた.
「すごい.」
ウィルもサイザーも,鮮やかな手並みだ.
だが,感心するばかりではいられない.
結界を崩すとき百合は,私を止められるのはあなただけ,でもあなたは魔法を習っていないから無理と言った.
言いかえれば,みゆが魔法を使いこなせていたら,結界を守ることができた.
なのに実際は,結界を保護するどころか,百合に手玉に取られた.
スミにいたっては,大けがをした.
そして今も,みゆ次第で結界は復活する.
大切な人たちを守るための,力と知識がほしい.
みゆは箱をぎゅっとつかみ,呪文を口ずさみ始めた.
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