水底呼声 -suitei kosei-

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  13−1  

スミは右肩を脱臼したように,みゆには見えた.
肩が外れるほどの大きな力で,ウィルは少年の右腕を引っぱったのだ.
ものすごく痛いはずだが,スミは背筋を伸ばして地面に座っている.
さすがに顔色は悪く,声には力がないが.
「助けてくれて,ありがとうございます.」
少年は礼を述べる.
「ウィル先輩たちが腕を引っぱらなかったら,俺は死んでいましたから.」
スミが死んでいたかもしれないという事実に,みゆは今さらながら,ぞっとした.
セシリアも顔が真っ青になる.
スミも,みゆもウィルもセシリアも,本当に間一髪で死から逃れたのだ.
「君はずいぶん若いけれど,兄さんの親衛隊の一員か?」
ライクシードがスミの制服を見て,質問を投げかける.
「はい.」
スミは返答する.
そう言えば,ライクシードとスミは面識がほとんどない.
みゆは,スミがカリヴァニア王国の人間で,ウィルの弟のような存在と教えようかと思った.
しかしスミが黙っているので,同じく口を閉ざすことにする.
「とにかく,結界が消失したことを城に伝えないといけません.」
トティが,この場にいる全員に向かって発言した.
結界が壊れたことを感知できるのは神の一族のみで,バウスたちは知ることができない.
「俺とセシリアが,バウス殿下に報告します.」
スミは答えた.
「でもその腕じゃ,馬に乗れないだろう?」
トティが心配そうに言う.
「いえ.俺たちは馬車で森に来たんです.だからそれに乗って,城まで帰ります.」
スミとセシリアとユージーンは,馬車で大神殿まで来た.
そして仕事のあるユージーンだけを大神殿に残し,スミたちは馬車で森へ移動したのだ.
夕方になればスミたちは馬車に乗り,大神殿でユージーンを拾ってから首都へ帰るつもりだった.
「ユージーンさんはおそらく,ひとりで馬に乗って首都に帰っているでしょう.」
結界がなくなって,大神殿はパニックになっているにちがいない.
いや,大神殿よりも国境地帯の方が混乱しているだろう.
他国の軍隊が,神聖公国の豊かな土地をねらって攻めこんでくる.
日本で生まれ育ったみゆには,うまく想像できないことだが.
「分かった.――腕の応急処置だけはしておく.城に着いたら,医者に行けよ.」
トティはほかの兵士とふたりで,包帯でスミの肩や腕を固定していく.
別のひとりの兵士は,セシリアのけがをした両手に薬を塗っていた.
セシリアは治療を受けつつ,ウィルと結界について話し合っている.
ウィルは難しい顔をしていた.
「僕には無理だよ.お父さんにもできないと思う.」
「ミユ様,」
声をかけられて,みゆは振り返る.
「私たちは大神殿へ戻りましょう.あなたも医者にかかった方がいいです.」
マージが心配のあまり涙ぐんでいる.
みゆも,腹の中の赤ん坊のことが気にかかっていた.
「はい.白井さんも,お医者さんにみてもらいましょう.」
百合は,眠ったのかしんどいだけなのか,瞳を閉じて横たわっていた.
ひとりの兵士が彼女に付き添っている.
「大神殿へ“戻る”?」
ウィルがけげんそうに,みゆに問う.
「いろいろあって,私は今,大神殿で暮らしているの.」
みゆは,かんじんなことを伝えていないことを思い出した.
「私,あなたの子どもを妊娠したの.」
「ええ!?」
セシリアのそばにいるライクシードが,ぎょっとして顔を向ける.
対してウィルは,まったく驚かずに,
「気づいていたよ.さっきからミユちゃんは,おなかを気にしているから.」
みゆの腹を見つめて,子どもの身を案じる.
が,ライクシードからの視線が痛い.
さらに周囲から,妙に注目されている.
「ここに長居する理由はない.はやく森から出て,馬車に乗ろう.」
しかし,いい意味で鈍感なキースが,あっさりと話を変えた.
「ラート・ユリは俺が運ぶよ.」
彼は百合の方へ向かい,彼女をさっと抱き上げる.
みゆたちはスミたちに別れを告げて,そうそうに立ち去った.
だが森を五分も歩かないうちに,ウィルがいきなり足を止めて振り返る.
みゆはびっくりして,彼の横顔を見上げた.
スミたちの騒ぐ声が,洞くつの方から聞こえてくる.
「何なの?」
みゆはウィルにたずねた.
彼は最初は真剣な表情をしていたが,徐々にあきれた風になる.
「ライクシードがスミに怒っている.セシリアの恋人であることが気にくわないみたい.」
ライクシードは相当なシスコンらしい.
思い返せば彼は,セシリアをとても大切にしていた.
「放っておこう.」
ウィルはみゆの手を引いて,森の外へ向かって進む.
みゆは少し迷ったが,ついていく.
スミの援護をしたいが,今はそれよりも,体を洗って産科医にみてもらいたい.
みゆはスミにエールを送りつつ,森の外を目指した.
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