水底呼声 -suitei kosei-

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  12−20  

「なぜ結界を壊しているんだ?」
洞くつの結界に開いた穴をくぐり抜けたライクシードは,顔を真っ青にしている.
祖国が危機にひんしていることを,彼は悟っている.
「あなたのためよ.」
百合はライクシードにすがった.
「洞くつの結界がなければ,あなたは故郷へ帰れる.」
逆に好都合だ,とウィルは思い直した.
「逃げるよ.」
みゆと,そばまで駆け戻ってきたスミとセシリアに,ささやく.
「ユリのことは,ライクシードに任せて.」
力で彼女を押さえつけるのは不可能だ.
結界への攻撃をやめるように説得するしかない.
そして説得ならば,ライクシードが適任だ.
百合と敵対したウィルたちは,この場にいない方がいい.
ライクシードは自分の仕事を分かっているらしく,百合に優しく話しかけている.
よくあんな自分勝手な女性の相手ができるものだ.
彼は本当に忍耐強い.
ウィルはスミとうなずきあって,走り出した.
セシリアはライクシードを気にしていたが,スミが手を引いて走らせる.
みゆは,ウィルが横抱きにしている.
ところが,
「ウィル,結界が…….」
後方から,セシリアが声をかける.
ウィルも感知していた.
話し合いがうまくいっていないのか,結界が崩壊しつつある.
ライクシードを助けるために,戻るべきか.
けれど百合を説きふせるのに,ウィルたちは邪魔でしかない.
さらにドナートの性格を考えると,洞くつの結界が消失しても大丈夫だ.
彼は必ず神聖公国と交渉してから,洞くつをくぐる.
もちろんドナートの命令を聞かずに,強引に洞くつを通り抜ける人たちもいるだろうが.
そういった困った事態に関しては,ドナートと神聖公国の王や王子に対処してもらうしかない.
「逃げるよ.僕たちには,どうしようもない.」
ウィルは走る速度を緩めずに,しゃべった.
すると背後で,百合のわめき声が響き渡る.
ウィルとスミとセシリアは足を止めて,振り返った.
ライクシードが,興奮する百合をなだめている.
「落ちつくんだ,ユリ.そして結界を,もとに戻してくれ.」
頼む,と悲痛な声を出した.
「分かった.」
百合は,ほうけたように答えた.
説得は成功したのか?
ウィルたちは息をのんで,彼女を見つめる.
百合の漆黒の瞳から,涙が落ちる.
「あなたが私の助けにならないことが分かった.誰も,私と娘を守ってくれない.」
洞くつ内に充満していた百合の力が,すとんと消えた.
だが,嫌な予感がする.
百合は力尽きて,壁に体を預ける.
洞くつの薄暗さが増した.
「逃げろ,ライクシード!」
ウィルがさけぶと同時に,地面がどぉん! と下から突きあがる.
「うわぁ!?」
ウィルの体は,みゆを抱いたままで宙に浮いた.
落ちる瞬間,ウィルはみゆをかばう.
しかしセシリアが転がってきて,三人で倒れた.
地面が跳ねるように上下に動く,天井の土が雨みたいに降ってくる.
スミが,遠くへ転がっていく.
ウィルは土に埋もれながら,それでも恋人を守ろうとした.
けれど,無理だ.
死ぬ.
ここで全員,死んでしまう.
ウィルはみゆと,しっかりと抱き合った,そのとき,
「助けて,ミユ!」
セシリアが,みゆに手を伸ばす.
「私たちは死にたくない.」
涙ながらに訴える.
みゆの体が,びくりと震えた.
降り注いでいた土が,不自然に止まる.
代わりに,白い羽が舞う.
大きな一対の翼が,ウィルたちを守るように包む.
みゆのとてつもない力に,ウィルは驚きに言葉がない.
はっと気づいて,彼女から離れる.
翼の外に,――どしゃぶりの土の中に手を伸ばした.
「来い,スミ!」
だが視界がきかない,スミの声も聞こえない.
「こっちよ!」
セシリアがウィルの肩を後ろから押して,腕の方向を変える.
ウィルの手は,スミの手と思われるものに触れた.
たがいにがっしりと握り合う.
ウィルはスミを,こん身の力で引っぱった.
「ぬお,おおお!」
スミは土に埋まっているらしく,なかなか抜けない.
しかも地面が縦に揺れているので,両足の踏ん張りがきかない.
「ウィル,がんばって!」
「スミを助けて!」
みゆとセシリアが左右から抱きついて,ウィルの体を支える.
三人の力を合わせて,スミはずぼっと抜けた.
直後,急に明るくなり,ウィルはたまらずに目をつぶる.
体の均衡を崩して,みゆとセシリアを道連れに背中から倒れた.
スミはウィルの上にのったらしく,げほげほと苦しげにむせている.
「ウィル,スミ君.」
みゆの声がして,ウィルは目を開く.
空に,真昼の太陽が輝いていた.
ウィルの右にみゆが,左にセシリアがいる.
そして見知らぬ人々が心配そうな顔をして,ウィルたちを囲んでいる.
「トティさん.」
スミの安心した表情を見るかぎり,仲間らしい.
「大丈夫か,スミ.」
トティと呼ばれた兵士は,ほかの兵士と協力して,満足に動けないスミを地面に降ろしてくれた.
スミは,右腕がほとんど動かないようだった.
みゆの背中にあった翼は消えて,彼女は不安そうに自分の腹を見ている.
みゆもウィルも,スミもセシリアも,全身が土で汚れている.
ウィルは立ち上がって,あたりを見回す.
ここは神聖公国にある禁足の森の,カリヴァニア王国へ続く洞くつの入り口付近だ.
入り口のあった崖は,崩れている.
魔物をかたどった石像が,半分以上,土に埋もれていた.
二体あったうちの一体しか見当たらないので,もう一体は完全に土の中だろう.
みゆが力を発揮しなければ,その石像と同じく生き埋めになるところだった.
「ライク兄さま!?」
突然セシリアが半狂乱になって,石像近くの土を素手で掘り返す.
「兄さま,返事して!」
ウィルはぎくりとして,ライクシードの気配を探ろうとする.
しかし,
「ミユ様,おけがはないですか? 痛いところはありませんか?」
みゆのそばに,初老の女性とひとりの兵士が寄って来た.
「マージさん.キースさん.」
みゆは親しげに,彼女たちの名前を口にする.
彼女たちも,敵ではなく味方らしい.
ウィルはほっとして,みゆから離れようする.
だが,マージと呼ばれた女性が,ウィルを止める.
「ラート・ウィルですね? ご立派になられて…….」
なぜか,ウィルを感慨深げに見つめる.
理由は検討つかないが,ウィルは首を縦に振った.
次に,ライクシードの姿を求めて歩いた.
森の木々が視界を邪魔したが,四,五十歩ほど離れた場所に,二人の男女が倒れている.
男の方が,ふらふらと起き上がる.
「セシリア,スミ.ライクシードはあそこだ.」
ウィルは,崩れた崖を掘り続ける少女と,少女を止めようとするスミに指をさして教えた.
セシリアは涙にぬれた顔を向けて,一目散に駆け出す.
両手が血まみれになっていた.
ウィルは歩いて,少女についていく.
ライクシードは,周囲を見回しつつ立ち上がった.
彼も,銀の髪から足の先まで土で汚れている.
「兄さま!」
少女が飛びつくと,ライクシードはしっかりと受け止める.
「お前が無事で,よかった.」
ぎゅっと抱きしめて,喜んだ.
それから,ウィルに視線で問いかける.
「全員,生きて脱出できた.僕たちはミユちゃんの力で,そっちはユリの力だね.」
百合は起き上がれずに,はぁはぁと浅く速い呼吸を繰り返している.
顔は真っ赤で,額には玉の汗が浮かんでいた.
「力の使いすぎだよ.」
ウィルは彼女に近づいた.
「僕も子どものころは,たまにそうなった.」
彼女は答えずに,ぜいぜいとあえいでいる.
少し冷たい風が吹く.
新しいにおいを運んでいる風だ.
「世界から,すっかりと結界がなくなったね.」
結界を守る余裕はなかった.
おかげで結界は百合によって,跡形なく破壊された.
洞くつの結界だけではなく,すべての結界が.
従って,神聖公国は結界の守りを失い,カリヴァニア王国は結界のおりから開放された.
これから世界がどうなるのか,ウィルには分からない.
ただ,自分の大切な人々を守るのみだ.
「一応,礼を言っておくよ.君のおかげで,僕はミユちゃんのそばに戻れた.」
百合は何かに思い当たったらしく,両目を見開く.
「私を利用したのね?」
「してないよ.」
ウィルはそっけなく答えて,きびすを返す.
「息子のために,私を裏切ったのね.」
彼女の悲しげな声が耳に届いたが,ウィルはみゆたちのもとへ戻った.
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